第41話 時の記念日
プラズマの海の中では通信が通じない。
どころかレーザーは散乱し、荷電粒子ビームは直進できなかった。センサーも無効化される。
故に、赤色巨星内部での戦闘は著しく不便なものとなった。情報の伝達は伝令によって行われ、本陣は位置を動かせぬ。動くとなれば全部隊に新たな位置を通達してからとなるからだ。戦闘の形式が原始的なものに退化しているとすら言えた。
そんな中。本陣の中央に陣取った艦艇級の指揮個体。50キロメートル級の指揮官たる金属生命体は、じっと思索に耽っていた。
───気に入らぬ。
情報が錯綜している。前線を迂回させ、敵都市級艦艇の破壊に送り出した部隊からの
曰く、味方の攻撃を受けている、と。
それ以上の情報はない。これだけ
まぁ、この視界の悪さでは同士討ちの一つ二つ起こりもしようが。一寸先は光である。まるでビッグバン直後、宇宙が晴れ上がる以前のような世界。実際、似たような誤認はすでに幾つも報告があった。
故に彼女はその問題を深く検討することなく目下の用事に専念した。やらねばならぬ事は無数にある。
実際にその報告の重要性に気付いたときにはすでに、手遅れだった。
◇
「はははははっ!凄いな、これは!!」
プラズマの壁。赤い炎の中を、ふたりの少女は飛翔していた。驚くべき高速で。
いや。実際のところ、それは現実の光景ではない。多種のセンサーより得られた情報を統合し、視覚化した仮想空間に、彼女らはいるのだ。
外は文字通りの煉獄。転換装甲で出来た強靱な肉体と、都市すら破壊しかねない威力の防御磁場を備えた金属生命体のみが生き長らえることのできる世界である。
「ごめんなさい。先輩。こんなことに付き合わせてしまって」
「うん?何がかね」
「本来、私と彼らの約束は
「ふむ?だが鶫はそれが嫌だったんだろう?」
「もちろん。だから、こんな危険を冒しています」
「ならそれでいいさ。良いことをしているんだ。胸を張りたまえ」
「はい」
遥は、傍らの後輩を。かつて自らが名を与えたという少女を抱き寄せる。
「───今日は何日かね」
「はい?ええと、6月10日、土曜日の
午前9時3分ですけど……」
「おお。合っていたか。
実は日にちを数えていたんだが、外れていなくてよかった。
今日が何の日か知っているかな?」
問われた金属生命体は考え込んだ。
「……時の記念日、ですか?」
「正解だ!
毎年明石天文科学館が無料になる日でね。本来ならば今日はふたりでプラネタリウムを見たり、天体望遠鏡を覗いたりしたいと思っていた」
兵庫県明石市。ふたりの住んでいた神戸市のすぐ隣にある土地───だった。ほんの一ヶ月前までは。日本標準時を決める子午線が存在しているが故に、この地の天文科学館では時の記念日に無料開放を行っていた。
「先輩……」
「昔あそこの展示で恒星の大きさを見た。数々の天体。中性子星。白色矮星。ブラックホール。私がホーキングを読みあさったのも、ブラックホールの不思議な性質に興味を引かれたからだ」
そこで、遥は一度息を継いだ。
「そして、赤色巨星。特に、輝くガーネットスターのことは忘れられない」
それは、人類が知る中で最も巨大な赤色巨星の名だった。太陽の1500倍以上の直径と35万倍の光度を持つ、ケフェウス座μ星。
「あれよりは小さいが、今私は赤色巨星にいる。そう。老いて、死にかけたこの星に」
遥の語り。それを鶫は、じっと聞いていた。
「星の一生は短い。地球の生命が40億年なのに対して、太陽の寿命は後50億といったところかな?その頃には宇宙全体も老いる。今ある恒星が燃え尽きて爆発する頃、新たな星の材料となる元素はずっと少なくなっているだろう。生まれてくる星々はますます減るだろう。何百億年先には宇宙は、ずいぶん寂しい場所になっているはずだ。
そして、残った星が尽きた先。各銀河の中心にある超巨大ブラックホールですら、終わりがある。宇宙が十分冷えた頃、蒸発が始まるだろう。
中性子星だって永遠ではいられない。陽子の崩壊とともに消え失せる。
鶫。君たちは。金属生命体は、そうなっても生きていけるのか?熱的死を迎えた世界でも存在していけるのかな?」
それは、問いだった。金属生命体群に、この宇宙の支配者たる資格があるのかを、黒髪の少女は尋ねたのである。
狩衣の少女はそれに答えた。
「いいえ。不可能です。エントロピーの極限には何者も抗えません。宇宙の真理をこの身で体現する私達ですら」
答えは出た。この世界の行く末を左右する結論が。
だから、遥は宣言する。
「よかろう。ならば彼らとて、宇宙の滅びと共に消え去る脆弱な生命に過ぎんわけだ」
「はい」
「文明の火は、星々の煌めきよりもなお儚い。それを絶やす者を私は許さない。絶対にだ」
「はい」
「───鶫。私は、金属生命体群を滅ぼそうと思う」
「───はい」
「実行できるかどうかは分からない。だが、君の力が必要だ。
私を、この世の果てまで連れて行ってくれるか?」
少女の声。そこに微かな震えが混じっていることを、12000歳の女子高生は感じ取った。だから、彼女は優しく告げる。
「喜んで」
会話は終わり、ふたりは飛び込んだ。敵陣のあるはずの場所へと。
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