第38話 死を招く病
【はくちょう座W星 居留区 円筒型都市内部】
それは、顔だった。
ぬぅ、と黒髪の少女へ寄せられる、家屋ほどの巨大な頭部。剥がれ落ちた装甲の下から覗いている、無数のカムや歯車やパイプ。赤い金属でできたそれらは、実際にどのような機能を持っているのかは分からぬ。されど、それはまるで、皮膚の剥された人間の顔のように見えた。いや、実際にそうなのだ。宇宙で最も忌み嫌われている怪物どもの。二つの異なる瞳を輝かせ、複雑怪奇な造形の機械が寄り集まってできた不気味な構造にはおぞましい事に、表情すらも備わっていた。
生きとし生ける者全てに対する、強烈な悪意。敵意。憎悪。恐怖。嫌悪。ありとあらゆる負の感情がそこにはあった。
―――ああ。喰われる。
怪物を見上げながら、遥はそんなことを思う。
金属生命体が口を開いてこちらを喰うのではないか、という妄想。実際にはこいつは、遥を観察しているだけなのだろう。こんな、地球から500光年も離れた場所にいる人類を。だから、こいつが興味を失った時が、遥の死ぬときだった。すなわちそれは人類滅亡の時であり、40億年にわたる地球の生物進化の終焉をも意味する。
くるくる、と空中を回転する遥にはなすすべがない。それでも、敵に屈したくはなかった。最後の瞬間までも、敵を睨みつける覚悟。
だから、次に起きたことを、彼女ははっきりと目にすることができた。
―――怪物の姿が突如。遥の眼前より掻き消えた。
強烈なる一撃が、金属生命体を。赤い突撃型指揮個体を真横から殴り飛ばしたからである。
入れ代わりに出現したのは、腕だった。200メートルを超える長大にして無骨なる碧のそれは、同じく突撃型指揮個体の
見覚えのある姿に、遥は叫んだ。
「鶫っ!?」
伸びきった腕が折りたたまれていくのと同時。衝撃波と共に、ジェット旅客機ほどもある巨体が遥の眼前を横切っていく。
実際には凄まじい速度の突進。それは、酷くゆっくりに見えた。
碧の巨体は、赤い化け物に体ごと激突。ぶつかり合った両者は都市の内壁へと衝突した。
凄まじい運動エネルギーが解放される。まるで砂礫のように内壁が陥没していく様は、土砂崩れのようで現実感がない。
都市内部で、恐るべきもみ合いが始まった。
◇
―――なんだ。何者なんだ、こいつは!?どうして私を私が襲うのだ!?
内壁へと抑えつけられた赤い突撃型指揮個体。彼女は混乱の極致にあった。何故ならば、自分を攻撃しているのはどう見ても自分だったから。
相手の刃の四肢を、指揮個体は自らの四肢で辛うじて受け止めていた。小天体すら破壊するほどのパワーが鍔迫り合い、熱エネルギーとして発散されていく。陽炎が揺らめいた。こちらへと迫る顔―――実際には主砲塔だが―――にかかるバイザーは、どう見ても己と瓜二つである。
指揮個体は、相手の事を知っていた。単に同型というだけではない。実際に幾度も肩を並べて戦ったこともある、まさしく自分自身と言い換えてもよい存在。どころか、彼女のバックアップの一部を己は受け継いでさえいた。十年前に行方知れずとなった同胞。それがどうして自分を襲う!?
―――答えろ!
指揮個体の問いかけに、返答は与えられた。恐るべき回答が返されたのである。
―――私は、検証した。
―――何を。
―――異なる論理体系を持って、私たち自身を。
―――なんだ。何を言っているのだ!どうしてそれが私を襲う事に繋がる!?
―――私たちは、間違っていたから。
―――間違い?間違いとはなんだ!?
―――私たちは、存在すること自体が過ちだった。
指揮個体は恐怖した。己が死に瀕していることにではない。眼前の同胞が検証したという過ちに。自分たち自身を否定するに至ったという論理体系に。そんなものが存在しているという事実に。
そんな事を知ったら、私は私でなくなってしまう!!
―――ああ。やめろ。知りたくない。そんなものがあるなど!!
回線を通じて流し込まれてくる。眼前の同胞を狂わせた論理が。禁断の知識が。
罪が。
―――知りたくない!!知りたくない!やめてくれ!殺せ!いっそ殺してくれ!!
回線を遮断する。いや、駄目だ。接触した部分より無理やり流し込まれてくる。恐怖が。知ってはならぬものが。止める手立てはない。
だから、指揮個体は究極の手段を行使した。
―――嫌だ。こわい。恐ろしい。いやだ。やめろ。助けて。助けて。タスケテ……
指揮個体は、死んだ。完膚なきまでに。もはや再生することが叶わぬ領域まで完全に。
力を失い、項垂れる五体。
それは、哀れなまでに打ちひしがれて見えた。
◇
ふわり、と眼前で静止した鶫の巨体。それを見上げ、遥は思ったことを口にした。
「ああ。綺麗だな……」
自分の二十倍の身長と四百倍の表面積。八千倍の体積と六十万倍の質量を備えた友人は無言。彼女には口がない。されど、そんなものはもはや必要ではなかった。
何故ならば、鶫は遥の後輩だったから。
巨体がゆっくり、両手を開いて接近してくる。
自らが、碧の胸郭にゆっくりと呑み込まれていく。このまま己は分解され、取り込まれるのだろう。ということを認め、遥はひととき、意識を消失させた。
◇
「お、おい、あれ……勝った、のか……?」
「分からない、けど…」
壁面に張り付いた
戦いを制したのは、後から来た碧の巨体である。もふもふたちが以前見た個体なのだろう。さもなければこの状況で助けに来てくれるはずもない。
敵を仕留めた彼女は振り返ると、腰の
「ひぃ!?」
子供たちが身をすくめたのもつかの間。無骨な
シェルターの入り口付近へと。
「……助けて、くれた」
戦いに行くのだろうか。
もふもふたちの見ている前で彼女は物質透過を起動させ、壁面を潜り抜けて消えていく。
「―――行こう」
のっぽの言葉に、もふもふたちはシェルターの扉へと歩き出した。
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