第19話 血肉と鉄と羊毛と
最初に感じたのは、暖かさ。
己が抱きしめられている。という事実を実感できる。
再構築された骨格へ神経系が絡みついた時、意識が戻った。
脳が生まれ、血管が脈動し、臓物が出来上がっていく。筋肉が作られ、そして最後に体を皮膚が覆っていく。
全てはほんの一瞬の作業に過ぎない。されど、少女にはそれが、途方もなく長い時間に思えた。
闇。まるで母親の胎内に戻ったかのような安心感が、そこにはあった。
けれど、この快適で安全な世界は少女を拒絶し始める。外へと押し出していくのだ。
透過していく原子によって神経パルスをわずかにかき乱されながらも、少女は期待に胸を膨らませた。未知なる世界へと。
外気を感じる。ゆっくりと目を開ける。
最初に目に入ったものは、強い光。
そうして、遥は、再び生まれた。
息をいっぱいに吸い込もうとして、溺れる。
「―――!?」
なんという濃密な大気!
混乱し、目を空ける。
―――水の中?
遥がそう誤解したのも無理はない。体にかかる浮遊感。あまりにも濃密で溺れたと錯覚するほどの大気。
だが違う。
広大な空間であった。
その印象を一言で言い表せば、格納庫。
それもただの格納庫ではない。驚くほど洗練された、超近代的デザインの格納庫だ。
上には―――上?いや、前ではないのか?いや、下はどこだ?地面はどこだ!?
髪の毛が浮き上がる。どころか体がふわりと流されていくではないか。
この時点でようやく、遥は自分が置かれている状況に気が付いた。これは無重力、ないしは極めて微小な重力環境だ!
咄嗟に手がかりとなるものを探そうとして手足を振り回す。
背後より伝わって来たのは、つるりとした金属の感触だった。
それを掴む間もなく、反動で宙へと飛ばされる。くるくると回転しながら遥は、見た。
表面がまるで硝子のように溶融した、碧の壁。
「―――!?」
色に見覚えがある。だが分からない。何が起きた?あれはなんだ?何故私はあれを知っている?
理解できぬまま、体の回転によってそれが視界から消える。代わりに目に入って来たのは周囲の様子。
幾つものキャットウォークらしきもの。細長い照明―――蛍光灯?LED?―――や、白っぽい金属の壁―――床かもしれない!―――に張り付いて走り回る平たい機械。
そして、もふもふ。
―――うん?もふもふ?
一瞬で視界から消えたそれを意識の外へと追い出し、再び視界に戻って来た碧へと集中する。
先ほどより離れたせいだろうか。今度は遥にも、それが何かよく見て取れた。
碧色の塊。何十メートルもあるそれは、胸から巨大な構造物を伸ばしている。そう。あれは胸だ―――突き立っているのは、敵の腕だ!!
遥はようやく、何が起きたかを思い出した。
警察官の訪問。後輩の告白。三ノ宮駅前での惨劇。鶫に抱きかかえられて、碧の巨人に呑み込まれた。壮絶な亜光速での死闘―――亜光速なのは推測だがなぜかそう確信できた―――が繰り広げられたこと。
鶫は言っていた。自分が人間とはかけ離れた巨体の、機械でできた生命体だと。
状況から論理的に考えれば、あの金属塊―――溶融し、原型をとどめていないあの物体こそが鶫なのだろう。自分はあれに呑み込まれ、鶫と会話し、そして今、あそこから出てきたのだから。
だから、手を伸ばす。鶫へと。後輩の変わり果てた姿へと。
「―――鶫!!」
回転運動は再び無慈悲に、そんな遥から後輩の姿を奪った。
―――ええい、なんということだ!傷ついた後輩に駆け寄る事も出来ないとは!!
遥には無重量環境についての知識があった。だからどうすればよいかも知っている。すべては作用反作用の法則だ。ものを押せば、その反動ともいえる運動エネルギーを得られる。
だから、最初に必要なのは足場。
幸い、それはすぐに見つかった。彼女が進んでいく先に広がる、もふもふの白い絨毯の壁。
なんで絨毯があるかは今はどうでもよい。このままの軌道なら後、何十秒かすればそこにたどり着ける。
やがて近づいてきた絨毯。どうやら何メートルもの長さの繊維の集合体らしいそれは、遥の肉体をふんわりと受け止めた。
不思議な感触だった。裸身に心地よい暖かさ。
―――裸身?
この段階で遥はようやく、自分が生まれたままの姿であることに気が付く。服はどうなったのだろうか。
少々不穏な想像が思い浮かぶが頭から振り払う。大丈夫。自分はこうして生きているし、今のところ服が生存に必要な気温でもない。
もふもふの中で、遥は姿勢をしっかりと整えた。見当違いの方角に飛んでしまったら目も当てられない。
数十メートル離れたところにいる後輩の巨体を見上げる。
やがて覚悟を決めた遥は、力いっぱい足場を蹴り出した。
いや。
蹴りだそうとした足場。絨毯が突如、動いた。
「―――っ!?」
明後日の方向に跳ね飛ばされた遥は、見た。己がぶつかり、足場としようとしたもふもふの絨毯。そいつが驚くほど滑らかに首をもたげ、起き上がったところを。
「―――羊……?」
そう思えるほどにその生き物は、羊に似ていた。目のある部分は毛で覆い隠され、鼻が見当たらず、口もしっかりと閉じられているが。角が側頭部から生えており、もふもふだ。触り心地は大変によいことは先ほど実証された。
だがそんなことは問題ではない。なんなのだあれは。
こちらに鼻先を向けてくるそいつの図体は、学校の校舎並みに大きいのだ!!
妙に洗練された―――愛嬌と言い換えてもよい―――そいつの毛をよく見てみれば、その素材は金属のように見えた。金属繊維で覆い尽くされた五十メートルの羊!
訳が分からない。咄嗟に逃げようとして、手足を振り回す。が、空気をかき回すだけで一向に推進の役に立たぬ。
無駄な努力を続ける遥の眼前で、羊は口を開いた。
生き物ではなかった。
中にあるのは精緻なメカニズム。そして喉の奥から伸びているのは砲身であろう。そいつはもふもふの毛に覆われた、超科学の産物なのだということを、遥は悟った。
口は遥へと迫り、上下を挟み込み―――
ぱくり
巨大な口が閉じられる。
―――いくらなんでもこんな最期はあんまりじゃないかね?
呑み込まれる瞬間。遥は、そんなことを思った。
◇
―――褒めてもらえるかな?褒めてもらえるかな?
金属塊から飛び出してきた者を捕らえた羊は、わくわくしていた。彼らの種族は完全に自己完結した高度機械生命体であり、その生存に他者を必要としない。されど、彼らには大好物があった。褒められることである。人工的に生み出された種族である彼ら
それにしても。
口の中にて生け捕りとした生命体へ意識を集中する。
こいつは一体なんなのだろうか。もふもふではない。毛は頭部と、それから四肢の付け根に生えている。生命構造自体は主人らのものによく似ている。脳も大きく、この活発さからすれば高い知性を持っているのだろう。金属塊によって再構築されて飛び出してきたところを見ると、未知の恒星間種族かもしれぬ。となれば彼らの機嫌を損ねることはせぬ方がよい。主人に注進せねば。
そんな事を考えながらも、彼は通信回線を開き、主人が応答するのを待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます