第17話 虹の果てで時は尽きる

天体の重力は強大である。例え四百キロメートルの小惑星をぶつけたところで、地球には巨大なクレーターができあがり、そして地表が少々シェイクされる程度のこと。

だから、地表へ投げ落とされた16個の特異点。すなわちマイクロブラックホールが、総計5120トンの質量を蒸発させ、そのすべてをエネルギーに転換したときも。

地球はただ、その表面をほんの少しだけ剥ぎ取られ、荒らされた程度のことだった。

それだけですら、そこに住まう者たちにとって致命的にすぎた。

爆発的な閃光がまず、拡散した。強烈な熱線が、地平線の彼方までをしたのだ。続いて衝撃が地盤を伝わり、さらには大気が全てを押しのけ始めた。

それらは大変にゆっくりと拡散していく。地球全土を破壊し尽くすまで、丸一日はかかるだろう。最終的にはユーラシア大陸に匹敵するクレーターが生じ、そして惑星全体から生命が痕跡すら残さず一掃されるはずだった。

まさしく破局カタストロフィ

だから、そこから生きて出ることがかなったものは、地獄の底から這い出してきた悪鬼に違いない。

頭部を半壊させ、右腕を喪失したそいつは、膨れ上がる破壊の嵐の中より飛び出した。

皮肉なことに、大気中の光は。破壊的な電磁波が自らの身に及ぶ以前に、彼女は脱出してきたのだった。

もちろん、攻撃側も無策だったわけではない。

十あまりの襲撃型指揮個体たちはを形成。敵へと強烈な射撃を加えた。


  ◇


遥が我を取り戻したとき、そこは虹の中だった。

「───え?」

足下を振り返る。

迫ってくるのは白熱の光球。いや、大丈夫に見えた。こちらが上昇していく速度の方がわずかに早い。

戸惑う彼女は、周囲に視界を巡らせる。

そして見つけだしたのは、見慣れぬ服装をした、見慣れている人物。

鶫だった。

「鶫!?これは一体───!?」

「後で説明します!」

狩衣を纏った鶫。彼女に返され、遥は天を見上げた。光や電磁波すらもがドップラー効果で色を変異させる亜光速の世界。すなわち星虹スターボウに包み込まれた進行方向へと。

まず目に入ったのは、天使の輪エンジェルハイロゥ

巨大な翼を背から広げ、両腕に構えた長大な槍をこちらに向ける、銀の人型。

光背を背負う彼女らの姿はまるで───

「天使?」

神々しさすらある彼女らが天使だったとするならば、その槍から放たれたのはさしずめ、悪魔を調伏する天罰であったろう。

もちろん、そんなはずはない。真に悪魔なのは、奴らの方なのだから。

襲撃型指揮個体。すなわち大型センサーと長大な銃剣で武装し、星々を渡る放射線すらねじ曲げるほどの防御磁場と、そしてイオン膜の鏡レーザー・ディフレクターで身を鎧った金属生命体どもであった。

そう。これは鶫の視界だった。彼女がその五感で見聞きしたものが、取り込まれた遥の感覚にも与えられていたのである。

敵の銃剣から放たれた攻撃が届く。それよりほんの少しだけ早く、鶫は

背後から迫ってくる光の壁。すなわち特異点マイクロブラックホールが放つ断末魔の電磁波に呑み込まれ、そして姿が覆い隠される。

そこへ、幾つもの強烈なビームが降り注いだ。レーザービームや荷電粒子ビームの雨は目標を見失い、むなしく光壁へと突き刺さる。

次に鶫が飛び出した時、光の壁は襲撃型指揮個体ども。その直前まで迫ってきていた。

距離。鶫の左腕は、随分あっさりと敵を両断した。

刃の四肢が幾度にも閃き、そして両腰の巨大な副腕サブアームが襲撃型たちへと襲い掛かる。

襲撃型指揮個体は、敵の突撃型を迎撃するためのである。ビームによって負荷を与えた突撃型を銃剣で仕留めるために生まれた彼女らは、銃剣のリーチと大型のセンサー、放熱板による知覚・廃熱能力。そして対ビーム防御の堅牢さが突撃型に対して有利な点である。

その一方で装甲は薄く、素手での格闘能力もさほど高くない。銃剣の間合いの内側に入り込まれれば、突撃型に蹂躙されるより他ないのだ。

12体もの襲撃型が文字通りされた時、遥は何が起きているかを悟っていた。彼女の類まれなる知性は、この戦闘が亜光速の領域で行われていることすらも推察させていたのである。

―――ここは、あの巨人の。鶫の、中。となれば。足元より迫っているこの、巨大な光の壁は。

不幸なことに、彼女にはそれの正体すらも推察することができた。

己の故郷に、一体どのような災難が降りかかって来たのかも。

誰も。それこそ古細菌1匹たりとも助からぬであろうことすら。

「鶫―――」

口に出しかけ、そして黙り込む。戦いは終わっていない。敵がまだいるのだ。

鶫が、残る敵勢へと向き直った。


  ◇


地球近傍。衛星軌道上に展開していた金属生命体群は混乱の極致にあった。

当然であろう。仲間が突如し、自分たちへと襲い掛かったのだから。

たちまちのうちに25体が撃破された。残るは仮装戦艦4。指揮官を含む突撃型3。そして戦闘能力を持たぬ母艦タイプの金属生命1。

だから、指揮官。刃の四肢を持った少女的フォルムの金属生命体は、率先してつぐみへと襲い掛かった。

互いに交差する軌道。緩やかな弧を描きながらぶつかっていく両者は、まるでダンスを踊っているかのよう。

互いに刃を受け流した両者。彼女らは虚空で円を描き、再び交差する軌道に乗る。

次は、真正面から激突しあった。

刃の四肢が縦横無尽に振り回され、腰の副腕サブアームが激しくぶつかり合う。

互いの攻撃は波と化した敵の構造を破壊できない。ボース=アインシュタイン凝縮した躯体は津波同様、大きさの物体をぶつけぬ限り形を維持する。

だから、彼女らの戦いは、目まぐるしく前方投影面積を変化させながらの激しい格闘戦となった。破壊しやすい入射角に対して重装甲化された結果が、少女を思わせるフォルムとなったのは運命の皮肉であろう。

互いの実力は互角。されど、過剰な機動によって膨大な熱を貯め込み、腕と頭部を負傷したつぐみは既に限界を迎えつつあった。

さらに。左右より救援に駆け付けたのは残る2体の突撃型。

この時点で、指揮官は勝利を確信した。

相手の胸郭へ、刃の左腕を突き込む。

敵は逃げなかった。どころか踏み込み、そして残る腕と両足でこちらを抱き込んだのだ!

副腕サブアームが振りかぶられる。

巨大なそれは、内に偏在させていた量子機械を活性化。トンネル効果の制御によって先端部分の質量が内側へとし、そしてシュバルツシルト半径内へと収まるのと同時。

指揮官の胴体に、それは突き込まれた。

限りなく無に近しい大きさの特異点マイクロブラックホールは、致命的なまでのエネルギーを吐き出す。俗に言うマイクロブラックホールの蒸発。人類がホーキング輻射と呼ぶ現象は、指揮官の巨体を内側から蹂躙、内破せしめた。

強烈な閃光が、迫る2体の突撃型。そやつらの感覚器を焼き、一時的に盲目めくらにする。

指揮官は敗北を認めながら、意識を喪失させた。


  ◇


―――あと、4体。

敵勢の大半を屠った鶫。されど、その体は満身創痍であった。体温は危険なほどに上昇し、自爆させた副腕サブアームの一本は喪失。それに巻き込まれた自身も装甲が半ば溶融している。

だが、まだ戦える。

残る敵勢へと目をやる。

全高35メートルの人型。されどその質量は鶫の3倍以上ある。四肢の先端から長大な特異点砲を伸ばし、頭部副砲塔にはレーザー・荷電粒子砲を内臓。観測帆の展開能力と特異点の弾丸となる質量を抱え込んだ巨体は、仮装戦艦と呼ばれた。

奴らは恐れるに足りない。突撃型とは特異点砲を潰すためにこそ存在しているのだから。

傷ついた五体に鞭打つ。加速する。迎撃のレーザーを、形成したイオン膜の鏡レーザー・ディフレクターで軽減し、あるいは荷電粒子ビームを防御磁場で逸らしながら、亜光速で肉薄。1体を蹴りの一撃で断ち切る。

2体目を始末しようとしたとき、レーザーが鶫の残る頭部を吹き飛ばす。レーザー・ディフレクターがとうとう機能を停止したのだ。元から壊れていた。惜しくはない。

さらには、防御磁場も沈黙。

左肩が破壊され、腕が脱落。大丈夫。まだ武器はある。副腕サブアームで3体目を握り潰す。そいつを盾に、最後の相手へと加速する。

幾つもの攻撃がへと突き刺さる。貫通はしない。鶫に致命傷を与えるのは不可能だろう。

―――これで、最後。

盾とした亡骸を投げ捨て、鶫は相手へと躍りかかった。

その、瞬間。

最後に残った仮装戦艦は、自らの構成原子。その全てをシュバルツシルト半径内の一点へとさせ、マイクロブラックホールと化して自爆した。

10万トン以上の質量。その全てが、エネルギーとなって世界を呑み込んでいく。

破壊の光は、太陽系全域へと広がっていった。


  ◇


時間は全てを解決する。

されど、人類にはもう、その時間がない。

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