第9話 夜更けの来訪者

【南米 チリ共和国】


星空が美しい夜だった。

大気は澄み渡り、風は冷気を含んでいる。冬の先ぶれが、地上に広がる市街地を撫でて行った。

幹線道路沿いの地方都市だった。アスファルトとコンクリートで覆われ、夜でも灯りに照らし出された、ごくありふれた都市。

そんな街の中央からはやや外れたあたりに、酒場は存在していた。平屋づくりで、カウンターを備えたごく標準的な作りである。

酔客たちが乾杯し合い、笑い声が響く。料理を静かに食べている者もいる。

客の一人。まだ若い、20代の青年もその一人だった。ラフな服装の若者である。

カウンター席に座った彼は、コースターの上に置かれたグラスがふと振動し始めたことに気が付いた。氷の浮かんだウイスキーの表面がさざ波立ち、震える。

「地震か?」

揺れはますますひどくなり、収まる気配はない。いや。振動が周期的に訪れている。

まるで一歩一歩大地を踏みしめているかのように。

震源は、外。

若者は立ち上がる。他の客や店員も動き出した中、いち早く扉の外へと抜け出した彼は、周囲を見回した。

―――いない?

の主の姿は見えぬ。一体何だったんだろう。と思う彼の頭上を、何かが横切った。

「―――!?」

咄嗟に顔を上げた若者。その視界に映ったのは、何かとてつもなく巨大な物体。機械のようにも見えるそいつのに当たる部分を目の当たりにしたのである。

―――ビルディング?いや。ビルが動くものか。重機?そんな馬鹿な。機械とは思えぬ動きの滑らかさだ。そもそも一体何なんだあれは!?

そいつは、ゆったりとした、しかし実際は凄まじい速度で酒場の上をまたいでいく。

どころか、その姿は周囲の風景に溶け込み、消えていくではないか。まるで保護色に覆われたかのように

やがて完全に姿を消していった巨体。ごく一部しか見ることがかなわなかったが、今のは一体。

呆然とする若者。

その背後から、他の客や店員たちも出てくるが後の祭りだ。もう消えてしまった。

今見たのは、一体なんだったのだろう。

首をひねりながらも、若者は店内へと戻った。


  ◇


―――ちっぽけな星だ。

街の建物を慎重にながら、突撃型指揮個体の1体は思った。

熱光学迷彩を発動させた彼女の姿を捉えるのは容易ではない。肉眼・熱・電磁波。いずれに対してもその姿をほぼ完全に隠すことができるし、惑星の環境に慣れた今ではもう、振動を起こすこともない。中性微子ニュートリノ重力子グラヴィトンは流石に遮蔽できぬが、大地に隠れれば見つかる心配はほぼ消失する。

だが、その前にもう少しだけ情報を集めておきたい。既にインターネットと呼ばれる、惑星を覆い尽くした電子通信網から作戦行動に必要なだけの知識は得ていたが、やはり生の情報が欲しかったのである。

だから彼女はゆっくりと街を歩いていく。3万トンの質量を誇る彼女だが、地面を自重で破壊する心配はなかった。自らの質量を制御することが出来たから。

街の建物の大半よりも背が高い彼女の身長は、12階建てのビルにも匹敵する。前方投影面積をにデザインされた人型の五体は大半の建物を乗り越えることが出来たし、そうでない建物は身に備わった機能によってできた。ぶつかってもすり抜けられるのである。そうすることで、中の物体をより高精度に調べる事すらできた。

35メートルの巨体を誇る彼女は、その全身が高性能の複合センサーだ。頭頂部から足先まで、その全てが働き、周辺をスキャンしていった。

通りすぎていく自動車。家々の中で眠りに就いている原住知的生命体じんるいたち。路地裏の野良犬。地下を通る上下水道。電線の中を通る電子の流れ。空中を飛び交う電波に含まれた情報。大気中の振動から、地平線の彼方までをも知ることもできた。

やがて、満足できるだけの情報を得た彼女。突撃型指揮個体は、この場から立ち去る事とした。

ゆっくりとその身が、地面へ沈んでいく。透過しきれない原子がこすれあい、かすかな蒼い原子光を発する巨体はやがて、完全に地上から消失した。


  ◇


この日、宇宙より鋼の巨体が地球上へと降り立った。1体だけではない。何体もの金属生命体が、人類からはその姿を隠しつつ降下したのである。

彼女らが目指すのは極東の国、日本。惑星全体の文明レベルに対して不釣り合いな、高度な技術を持つ者を見つけ出し、接触するのがその目的である。

彼女らは熱光学迷彩で、あるいは異なる手段で身を隠しながら目的地を目指した。

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