肝油ドロップ(4/8)


15分間の面接を終え、金森俊太郎は深々とお辞儀して退室した。

次の面接者を迎え入れる前に、私は彼の[エントリーシート]に視線を落とす。

成人し、こうして就職活動するまでに、あの母親と……家族とどんな時間を過ごしてきたのだろう。友達のおやつをくすねた日のことを憶えているだろうか。三つ子の魂が百までなら、積極性の裏返しである「自己中心的な資質」は変わっていないはず。私の一人息子の洋介がそうであるように、持って生まれた性(さが)は、そう簡単に変わるものではない。だからこそ、多くの企業は[性格適性検査]を学生に受けさせ、面接では見抜けない本質を測るのだ。


あの日、洋介は私とエレベーターで二人きりになると、声を上げて泣いた。

「ワァー」という、マンガに出てくる文字そのままの音で、堰き止めていた感情を決壊させて、涙の洪水に溺れた。

一学期に一度だけのドロップを奪われた悔しさと哀しさに加え、母親が家にいない淋しさもあったのだろう。

友達を攻めることなく、相手の母親の前では身じろぎせずに我慢していたのが洋介らしかった。自分の思いを他人の前で隠してしまう性格――。

泣き声を耳にして、私はひどく狼狽(うろた)えた。

金森親子を追いかけ、俊太郎の首根っこを掴んでドロップを吐き出させたい気持ちになったが、そんな行動を取るわけもいかず、ソファに座らせ、とりあえず、涙をハンドタオルで拭(ぬぐ)った。

洋介は、頼りにならない父親になおさら苛立つ様子で、子供を失くした母猿みたいな金切り声を上げ、肩を震わして何度もしゃくり上げた。

エアコンを切っていたリビングはまるでサウナのようで、真白い園服が汗と涙で肌に吸いついた。

ランチはそうめんを茹で、クーラーの効いた部屋でテレビゲームでもして、夕方になったら二人で病院に行く……そんな計画を変更して、「お昼はファミリーレストランで好きなものを食べるか?」と提案した。

ところが、洋介は頭(かぶり)を振り、再び激しく泣き始めた。ヒステリックに手足をバタつかせ、隣家に聞こえるくらいの音量……。

反射的に、私は目の前の頭を平手で叩いた。

そして、「泣くな!」と怒鳴りつけた拍子に我に返り、暴力を奮った自分を辱(はずかし)んだ。

私が息子に手を挙げたのは、それが初めてだった。



4月になり、金森俊太郎は2次面接もクリアして、役員面接が1週間後にセッティングされた。取締役が集う、その最終試験は、企業によっては[内定予定者の意思確認]のケースもあるが、私の会社は最も厳しい審査を行い、半数の受験者を篩(ふるい)にかけるスタイルだ。当社が第一志望の学生はそれを心得ていて、2次面接通過後に改めて気を引き締めるようだ。

一方、OJTを終えた今年入社の新人15人は、彼ら学生よりも先に緊張感から開放されて、各部門に配属された。ゴールデンウィークの到来とともに私の忙しさもようやく峠を越えたわけだ。

洋介は、そんな父親の状況を知ってか知らずか、連休明けの水曜日に「野球を観に行こう」というメールを送ってきた。私が家に居る時間は外出していたり、自室に籠っているため、同じ屋根の下でもめったに顔を合わせることがない。妻の言葉を借りれば、「大学生にもなれば、親の顔を見ないのが当たり前」だが、それなら、いっそ一人暮らしをすればいいと[厳しい顔の私]が呟く。その傍らで、[甘い顔の私]は、結婚まではずっと一緒に暮らしていいと思っている。

そんな親子関係での野球観戦の誘いは、いきなり、明日の夜だった。サークルの仲間からチケットを譲り受けたらしく、「先に球場にいるから仕事が終わったら来なよ」とメールに書かれていた。

イエスかノーかのこちらの返信を待たず、昼休みには妻からもメールがあり、「野球のチケットを預かったわよ。何か話もあるみたい」と、私のスケジュールをせっかちに確定させた。

私は二人に「了解」とだけ返し、翌日分の仕事もそつなくこなして、21時過ぎにオフィスを出た。

そうして、エレベーターで副社長の神崎に出くわし、会釈だけでデジタル数字のカウントダウンを追いかけたが、「澤田君、今年の新卒採用はどう?」と唐突に話しかけられた。私は「去年と変わらないですよ」とそっけなく答える。



(5/8へ続く)

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