第8話東くん 8 入社したての加東
友香は二十五歳の夏に、Kホテルに入社しました。
ホテル勤務はこれが初めて。何もかも分からない友香に対して、当時フロント主任だった森本と、N県最大級のホテルにて鍛えられた太田は細かい指導をしました。
入社一ヶ月後に友香は売店係に配属され、二人とは違う部署になりました。
けれど松永の態度もあってか、森本と太田はホテルマンたるものを教えました。
その甲斐あってか、友香は松永の四倍近い売上をたった一人で達成しました。
お客さまアンケートでは、毎月名指しでのお褒めのお言葉をいただいたそうです。
また、友香はホテル主催の観光案内バスツアーのガイドも務めました。
「俺たちは夢を売っているんだ。その一つに携わっていることに誇りを持て」
旅行に慣れていらっしゃる方はお気付きでしょうか。
友香のかつての勤務先は、ネットでも話題の、日本最西端の島にあるホテルです。
そこにはかつて、森本や太田のように誇りに満ちた社員が存在していました。
今はどうなっているかは分かりませんが。
話は戻りますが、友香は身のこなしに至るまで、二人から随分と厳しく教わったそうです。
森本からは女性らしい仕草を、太田からはホテルマンの処世術を。
Kホテルの女性用制服はスカートです。
脚の開き方一つで、女性らしさ、上品さが表れます。
歩き方にしても同じことが言えます。
スカートの中身を隠すように、一本の線の上を渡るように歩くと、ワンランク上の上品さ、優雅さが演出されます。
また、ついて良い嘘、悪い嘘も森本から教わっています。
業務に差し障る嘘は悪いものですが、お客さまを思っての嘘は良いものとされます。
例えば夕食の時間調整に関して。
込み合っていない場合にも関わらず、時間を三十分毎にずらしたいケースが発生します。
すると実質はホテルの都合でお客さまにご迷惑をおかけすることになります。
では、お客さまに不愉快な思いをさせないためにはどのような嘘をつけば良いのか。
森本が例に挙げたのは、以下の言葉です。
「今日お誕生日でお越しのお客さまがいらっしゃるので、お時間がかかる場合がございます」
善心をお持ちのお客さまは大抵の場合、こう思います。
「あ、誕生日会のために来てるお客さんがいるんだ。ならば仕方がないな。その人たちの夕食時間が十八時だというから、三十分くらい待ってやるか!」
これを友香は夕食会場のヘルプにて応用しました。
「申し訳ございません。銘酒の○○は、昨日のお客さまに大変好評で売れて、仕入れが間に合わない状態でございます」
実際は仲居さんの仕入れ忘れです。
ですがそのお客さまはこうおっしゃったそうです。
「そんなに人気なの? じゃあ、どこのお店で買えるか教えてくれる?」
友香は即座に知っているお店の名前を挙げたと言います。
ホテルの経験がない友香には、ホテルマンらしき武器は持っていませんでした。
経験以外で比較的早く身に付けられる武器といえば、情報力、つまりH市に関する知識のみです。
あとは持ち前の英語力。このとき友香はすでに中国語を独学していましたが、本格的に話せるようになるのは、まだ先の話です。
不幸か幸いか、友香は売店係だったので、地域情報だけでなく、商品に関する知識を持っていました。
知識を得るため、友香は松永の目を盗んでは業者に情報提供を求め、休日には城や観光名所、土産物屋を巡ったそうです。
友香は休日であっても休んだ気がしなかったでしょう。
その努力の甲斐あってか、友香は配属後わずか一ヶ月で売店の看板娘に登り詰めました。
では友香は太田から、どのような処世術を学んだのでしょうか?
答えは大きく分けて二つ、ホテルマンの責任回避と、お客さまにyesと言わせることです。
例えば、お客さまが楽器を持って来られたとしましょう。
当然ながら高価なものであり、お客さまにとっては大切なものです。
そのような代物を、部屋案内係のフロントに預けるでしょうか。
ほぼ百パーセントnoです。
ですが日本人である限り、はっきりとnoと言えるお客さまはなかなかいらっしゃらないでしょう。
だからと言って、万が一ホテルマンが運搬時に楽器を壊したら、会社が弁償しなければなりません。
そのような最悪の事態を避けるためにどうすれば良いでしょうか。
太田はこのようにお客さまに声かけをするそうです。
「恐れ入りますが、こちらは貴重品とお見受けいたします。お手数ですが、こちらはお客さまにお持ちいただいてもよろしいでしょうか?」
そして衣類が入ったバッグを持って差し上げるのです。
するとほとんどのお客さまは快くyesと答えます。
友香はフロントのヘルプも兼業していたので、太田の真似をしました。
おかげで荷物持ちに関するクレームは皆無だったそうです。
後に、友香は太田のように、東に荷物持ちの重要さを教えます。
何もかも分からなかった友香。彼女は確実に成長していきます。
心の健康と引き換えに。
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