第3話東くん 3 宿題

 午後六時頃、東のホテルマンとしての一日が終わろうとしていました。

 「東くん、私からの宿題は何だったかな?」

 身長百六十センチの友香が、五センチのヒールで百八十センチの東に視線を届けようとします。

 当然ながら、ヒールだけで十五センチの身長差が埋まるはずもありません。それでも友香は頭部を傾け、顎を上げます。

 「……笑顔の練習と、笑顔の形を完成させること、です」

 しんちょうなだけに、東は目下の友香に対して、慎重に返事をしました。

 「そうよ! 明日、チェックインまでに見せてね! 明日の本番は明日しかないのだから。できるよね?」

 「……はい。頑張り、ます」

 東は精一杯答えました。

 友香の牙を見た東には、言い訳が許されませんでした。


 「加東、東くんはどうだ?」

 午後七時頃、太田とペアでの遅番を勤める友香。

 友香の隣で、太田がぼそりと訊ねました。

 「……なかなか手強いです」

 友香は本心を告げました。下手に愛想笑いをしたところで、十歳年上の男に敵うはずもないからです。

 「確かに。だがお前の成長には欠かせない存在だぞ」

 「はい、分かっています」

 友香は自分を未熟者だと認めています。東には悟られないよう気丈に振る舞っているけれど、友香の心は不安で埋め尽くされているのです。

 それも毎日、不安が体内に蓄積されています。友香はそれが嫌で堪らないようです。

 その理由を、太田は知っています。

 「加東、お前は必ず成長できる。だから、決して自分の信念を曲げるな。それと俺からお前に宿題だ。今日までに東くんに教えたことを、清書してきなさい」

 「はい」

 友香は太田の指示に素直に返事をします。

 友香は太田をホテルマンとして目標とし、また兄のように慕っているからです。

 Kホテルへの入社以来、太田は友香に対してホテルマンとしてのプライドを教えてきました。

 友香は言葉で人を操る術をも身に付けました。

 太田無しに現在の考えはありません。

 東を指導する未来もなかったでしょう。

 「加東ー! 東くんはどがんー?」

 事務所から抜け出し、フロントに神出鬼没する森本ゆきなに対しても同じことが言えます。

 森本は友香にとっては上司であり先輩でもあります。それ以前に、女性ホテルマンとしての目標です。

 「なかなか、手強いです」

 「だよねー! ゆきなも正直、どう接したら良いか分からんわー!」

 その目標の人物が、お手上げだと言います。

 友香にとっては困ることこの上ないことです。

 「でもね、加東なら何とかなると思うの。だって、加東は優しいからー、東くん、少なくとも加東には心を開いてくれるはずなんだよねー。すぐには難しいけれど」

 友香は森本の言葉が現実になることを願っていました。

 ホテルマンたるもの、相手が打ち解けやすいように雰囲気を作るべきだから。

 それができなければプロ失格だと、友香は今でも思っているようです。

 失格の烙印など、誰も望みません。

 必ず、東を一人前の社会人に仕上げてみせる。

 友香は一人、そう誓ったと言います。

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