05 魔法使いと不思議な黒猫
1月31日14時。依頼主の話をウンザリしながら聞いていた。
依頼の内容は浮気調査。昨日確認したメールの中にあったものだ。
依頼主は20代後半の女性で、夫の愚痴を垂れ流し続けている。
ここは探偵事務所であって人生相談所ではないのだが。
いい加減限界だったので適当なところで話を終わらせる。
依頼人が帰ったのを確認した後、深い溜め息をつきながら応接間のソファに沈み込む。
「慧さん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ・・・なんつーか・・・疲れた」
「奥さん、必死に話していましたからね」
「そう・・・だな、あそこまでいくとめんどくせぇよ・・・」
ついつい本音が漏れてしまう。
「でも旦那さんのことを大事に思っているからこそなんだと思うんですけど」
「・・・俺にはわかんねぇや。旦那が浮気したからあんなふうになっちまったのか、奥さんが元々あんなんだから旦那が愛想尽かしたんだか。考えたらきりがないな・・・まぁとにかく調査だ、行ってくるよ」
そういって重い腰を上げる。簡単だと思っていた依頼だったが、思わぬところで時間を食ってしまった。
依頼主の夫に接触を試みる、といっても気づかれないように透明化して接近し、対象の心を読めばいいだけなのだが。距離があると上辺の思考しか読み取ることはできない。
手が届く程度に接近して頭に手をかざすことで記憶や深層心理を読み取ることができる。
調べてみた結果、夫は浮気をしていた。次の週末に密会をするらしい。
後は当日に浮気現場の証拠を押さえればこの仕事は終わりだ。
あまり深入りするつもりはなかったのだが気になることがあった。
浮気相手の女性は妻と同じぐらいの年齢で特別容姿がいいというわけではなかったのだ。
俺の先入観ではあるが浮気というのは若くて美人の女性と出会ってしまい、魔が差してしまうのが原因だと思っていたがこの夫の場合は違うらしい。
浮気相手のことを心から想っている、そんな様子だった。
何故そんな歪な感情を抱いたは定かではない。
森羅万象、諸行無常。
この世に存在するものは全て移り変わっていく、それは人の心も例外でない。
永遠に変わらぬ想いは存在しない―
(求めて止まないモノが手に入らないってのは辛い事だな)
感傷に浸りながら事務所に向かう。ふと下を見下ろすと昨日の公園があった。
そしてあの不思議な黒猫も同じ位置に座っていた。
黒猫はこちらの気配に気が付いたのか、なにも見えないはずの空を見上げてくる。
どうしても気になったのでその猫の元へ向かった。
猫が座っているベンチの横に腰掛け、透明化を解除する。
すると驚く様子もなくゴロゴロと喉を鳴らしながらこちらにすり寄ってくる。
「野良の癖に人懐っこいにゃんこだなぁ、お前は」
そう話しかけるとにゃ~ん、と鳴いて返事をよこす。会話が成立しているような気分になる。
頭を撫でやると機嫌を良くしたのかゴロゴロと寝転がっている。
「今度はなんか食うもんもってきてやるよ、また今度な」
そういってその場を去ろうとすると後ろからにゃ~ん、と呼び止めるような鳴き声が聞こえる。
振り返るとこちらをじっと見つめている。何かを必死に訴えているような、そんな様子で。
「わりぃけど、うちじゃぁにゃんこは飼えねぇんだ、他を当たってくれ」
ゆっくりとその場を立ち去る。するとベンチに座っていた猫が俺の後を追いかけてくる。
「あーもう、わかったよ。杏莉さんちに置いてくれねぇか聞いてみる。ダメだったら諦めろよ?」
そういうとにゃ~ん、と返事をして、またすり寄ってくる。
杏莉さんは昔猫を飼っていたと言っていた。父も猫が好きだったらしい。
もしかすると喜んで引き取ってくれるかもしれない。
猫を抱きかかえて飛び立つ。暴れると思ったが意外にも動じる気配はなく、大人しくしてくれていた。徒歩で帰るのは面倒だったから都合はいいのだが。
「ほんとにお前は不思議なヤツだな」
返事はなかった。空から見る景色を堪能しているのだろうか?
この猫の考えることなど俺には到底理解できそうになかった。
「ただいまー」
自宅は開いていたので勝手に入っていく。
夕飯の準備をしていた杏莉さんがこちらに向かってくる。
「慧さん、おかえりなさ・・・あれ?そのねこちゃんはどうしたんですか?」
首をかしげながら当然の疑問を投げかけてくる。
「いやさぁ、帰り道で懐かれちゃってさ。餌とかあげたワケじゃねぇのに。俺んちはペット禁止だから飼えねぇし、そもそも飼い方が分からん。だから杏莉さんがよければここで面倒みてくれねぇかな?勝手な頼みで悪ぃんだけど」
抱えていた猫は腕の中からするりと抜け出して杏莉さんの元へ近づいていき、喉を鳴らしながら足元にすり寄っている。
「飼い猫だったのかしら?随分と人懐こいですね~うふふっ♪」
杏莉さんは膝をついてその猫を撫でている。猫も上機嫌の様子でゴロゴロと転がっている。
「昔がどうだったかは分かんねぇけど、今は野良だったみたいなんだ。だいぶ賢いにゃんこだと思うぜ」
「昔飼ってたねこちゃんと似てますね・・・かわいい~♪」
そういうと猫を抱きかかえた。彼女の胸元で猫がキョトンとしている。
(まったく・・・うらやまけしからん)
「う~ん、慧さんからのお願いなら断れませんね。うちで飼いましょう」
「マジ?いいのか?」
「はい、私も父も猫は大好きなので。それに昔飼っていたねこちゃんそっくりだから父が帰ってきたら、きっと喜ぶと思うんです」
「だってさ、良かったな」
猫に話しかけると嬉しそうににゃ~ん、と鳴き返された。
「人の言葉を理解してる気がするんだよな、だから気になって拾ってきたんだが」
「確かに返事をしてくれている気がしますね。そういえばねこちゃん、お名前はなんていうのかな?」
杏莉さんがそう話しかけると猫はなにか言いたそうな顔でこちらを見つめている。
俺が決めろということなのだろうか?
「んー・・・
「陸ちゃん、ですか?いい名前だと思います。陸ちゃん、陸ちゃーん♪」
杏莉さんが猫なで声で話しかけるとにゃ~ん、と返事をしている。
どうやら気に入ってくれたようだ。
「んじゃ今日からお前は一ノ瀬陸、だな。よろしくな、陸」
杏莉さんの腕から飛び降り二人の前に立ち、頭を下げてお辞儀のような仕草をしている。
彼なりの挨拶のつもりなのだろうか。
「うふふ♪私達によろしくお願いします、って返事をしているみたいですね」
彼女も同じ感想を抱いたようだ。
透明化を見破ったこともそうだが、コイツは本当に不思議な猫だ。
早速杏莉さんは急遽増えた家族の分も含め、料理の続きを始めた。
しばらくすると二人と一匹分の料理が食卓に並ぶ。
陸の分はねこまんまだ。人の目線からでもあり合わせで作ったとは思えないぐらい美味しそうに見える。流石だ、としか言いようがない。
一匹が増えた夕食は少しだけ賑やかになった気がした。
深く考えずに連れてきたわけだが悪い判断ではなかったようだ。
父が不在の間、彼女の心の支えになってくれるかもしれない。
そうであればこの出会いも大きな意味があったのだといえるだろう。
食事を終えると陸は杏莉さんの膝の上で丸くなっている。
それを撫でながら二人でテレビを見ていた。
普段はほとんど見ないニュース番組の中で、最近起きている事件などが取り上げられている。気になったのは俺たちの住む地域で発生している連続放火事件の話だ。
「去年の12月の初めから報道してますね・・・。最初はボヤ騒ぎが続いてましたけど、最近は規模が大きくなってきているみたいです」
確か、応接間で読んだ地方紙でも取り上げられていた。
火事があまりにも多発しているので放火の疑いがあるとかなんとか。
ニュースによると同一犯の犯行とみられる火事が約二ヶ月の間に30件以上あり、最初はボヤ程度で済んでいたようだ。
しかし被害は徐々に大きくなっていき、一週間ほど前からは家一軒が全焼してしまうまでになっているとのことだ。
唯一の救いは死傷者が今のところ出ていないことだろうか。
だがこのままエスカレートしていくとそうもいかないだろう。
「この家も犯行現場の範囲内みたいですし、心配ですね・・・」
「・・・そうだな」
犯行にはガソリンや灯油などの可燃性の物質が使われた痕跡はないらしい。
にもかかわらず最近の火事は火の回りが早く、消防が駆け付けた時には既に家一軒が全焼してしまっているらしく、専門家も頭を抱えていた。
(不自然な放火、なんの痕跡も残さない犯人・・・か)
魔法使いの仕業、そう考えるのが自然な流れだった。
動機は憂さ晴らしといったところだろうか。
おっさん妖精の言葉を思い出した。魔法を悪用する人間もいる。
覚悟はしていたがこれほど早くその状況に直面するとは―
(ヤツの口車に乗るつもりはねぇが、このまま放っておく訳にも・・・いかねぇよなぁ)
「浮気調査の依頼の目途はついてる。明日この事件を探ってみるよ」
「え?放火事件をですか?でも警察の方々の捜査でも手掛かりが全然ないみたいですし・・・というか今日の依頼、もうなにかわかったんですか?」
「ああ、旦那さんは黒だったよ。後は浮気現場の証拠を押さえればそれで終わる。だからそれまで少し時間があるんだ」
「すごい・・・でもだいじょぶですか?もし慧さんが犯人に見つかったりしたら・・・」
「その辺はうまくやるさ、心配無用だ。それにな・・・」
そこで言い淀んでしまう。彼女が話の続きを気にしている。
「うまく言えねぇんだけど、その・・・なんだろうな・・・君の親父さんが居たら、同じことをしていたんじゃないかと思ってな」
彼女は少し驚いた表情を見せたがなにかを考えるような真剣な顔をし始めた。
しばしの沈黙、そして彼女は話し始めた。
「絶対に、無理はしないと約束してくれますか?」
「ああ、約束する。危険な真似はしない」
「・・・絶対ですよ?」
「はは、大丈夫だよ。俺はまだ君の料理を満足するほど食ってないからな、夕飯までには帰ってくるさ」
「・・・慧さんって、食べ物のことしか考えてないんですか?」
「んなこたぁない。君の料理が特別なだけだよ」
「もうっ、慧さんったら!」
そういうとプイっとそっぽを向いてしまった。
本気で怒っているわけではなさそうだが初めて見る表情だった。
そんな仕草も可愛いと思えてしまう。
もう少しからかってやりたかったがその気持ちを抑える。
「やらなきゃいけないことはまだあるからな、だから無茶はしないさ」
そういって立ち上がる。ここ数日は一日が終るのが早い。
年を重ねたせいだろうか?それとも―
「それじゃ、また明日」
「はい、明日もよろしくお願いします」
「陸もまた明日な」
新しく増えた住人、もとい住猫にも声をかける。いつも通りにゃ~ん、と返事を返してくる。
それを聞いて俺は一ノ瀬家を後にする。
俺を取り巻く環境が加速度的に変化していく。
万物は一定の形を保たずに刻一刻と変化していくモノだ。
それは人がどれだけ否定しても変わることのない真理。
永遠に変わらないモノは果たして存在するのだろうか?
いくら考えても答えは出ない。
暗闇の中をひたすら探し続ける事、それしか俺に出来る事は無い―
―――――
「誕生日、おめでとうございます!」
「ああ、わざわざありがとな」
1月30日の夜、二日遅れの誕生日会が始まった。
今日はいつも以上に張り切って料理を作った。我ながら良い出来に仕上がった。
「やっぱ杏莉さんの料理はうんめぇなぁ!」
慧さんはいつも以上に嬉しそうに私の料理を食べてくれている。
少し残るかと思ったけど、全部残さずに食べてくれた。頑張った甲斐があった。
「デザートもありますよ、ケーキを作ってみました!」
「マジ?」
「マジです」
「やったぜ!俺甘い物めっちゃ好きなんよ、たまらねぇぜ!」
すごく意外な反応、男の人はあまり甘い物が好きではないかと思ってた。
特に慧さんの場合は見た目とのギャップが激しいからとても驚いた。
コーヒーはブラックしか飲まない、甘い物は苦手だ、なんていわれてしまうと思ってたから。
「甘い物、苦手かなって思って甘さ控えめに作っちゃいました」
「いやいや、全然ヘーキヘーキ、あぁ~生きててよかったー!」
目を潤ませながら両腕でガッツポーズをしている。
そんなに喜んでもらえるとは思ってなかった。
言葉通りケーキも美味しそうに食べてくれた。
「そんなに食べれるんですか?」と質問をしたが「甘い物は別腹なのだよ杏莉君」と返されて笑ってしまった。ほんと、意外過ぎてやっぱり可笑しい。
今日は慧さんが父の探偵のお仕事を引き受けると言ってくれた。
父が居ない間にも依頼はきていたけど、父がいつ帰ってくるか分からない以上、依頼を引き受けることができなかった。しかしそうなると事務所を経営していくことはできないので、慧さんの申し出はとても有り難かった。
そしたら初仕事を難なくこなしてしまった。慧さんには驚かされてばかりな気がする。
依頼主を見送った時はとても嬉しかった。探している大切な家族が見つかったのだから。
でも一方で父のことを考えてしまう。いつ帰ってきてくれるのだろうか、と―
慧さんはなにもいわず、去っていく依頼人ごしにとても遠くを見ているようだった。
私には慧さんがなにを見ているのかはわからない。
でも、いつかそれがわかる日が来るのかな・・・?
翌日、慧さんは新しい依頼の調査に出かけて行った。
帰ってくると手に黒猫を抱きかかえていた。昔飼っていた猫にとてもよく似ていた。
よかったら飼ってくれないかと頼まれた。
父が居ないこの家は少し寂しかったので、その申し出はとても嬉しかった。
今の私の気持ちを見抜かれているのかと思った。
慧さんは人を思いやることのできる優しい人だと、改めてそう思った。
テレビのニュース番組を見ていると連続放火事件の話が取り上げられていた。
私達の住んでいる近くで起きている事件みたい。
「君の親父さんならこの事件を調べるだろう、だから代わりに俺が調べる」
慧さんはそう言っていた。確かに父ならそうしていたと思う。でもとても心配だった。
事件に巻き込まれて彼まで居なくなってしまうようなことがあったら私は―
無理はしないでください、と念を押す。彼は冗談半分でそれに答えた。
これもきっと彼なりの思いやりなのかも。私も冗談で少しだけ不貞腐れるふりをしてみせた。
誕生日会が終わって、慧さんは別れを告げて家に帰った。
彼が居なくなってしまうと、また一人きりになってしまう・・・。
その時間がとても寂しかった、でも今日は違う。
彼が陸と名付けた新しい家族が今は居てくれる。
陸ちゃんをお風呂に入れて綺麗にしてあげることにした。
嫌がると思っていたがお湯を入れた桶の中でくつろいでいる。まるで人間のようだった。
体を洗ってあげている間も大人しくしていてくれた。
慧さんのいう通り、人の気持ちを理解してくれるこの子はとても賢い猫だと思う。
一通りの家事をこなして今度は私がお風呂に入る。
お風呂につかりながらこれからのことを考える。
父はいつ帰ってきてくれるのか、それは私には分からない。
でも今は私を支えてくれる人が一人いる。
お風呂から上がると陸ちゃんが出迎えてくれた。
「そうね、支えてくれるのは一人だけじゃなかったね」
自室に向かうと私の後を追いかけてくる。
私がベッドに入ると、彼は椅子の上に座って私のことを見守ってくれている。
「おやすみ、陸ちゃん」
そういって電気を消して眠りにつく。
私は一人じゃない。
私の事を助けてくれる人が、支えてくれる人が、想ってくれる人が、私の傍に居てくれる―
そう思うとこの暗闇の中でも安心して眠りにつくことができた。
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