悲しみを抱える黒豹

黒金を連れて正門付近までやってきたが、そこには蝶野さんの姿はなかった。もう日が暮れている。僕が屋上にたどり着いたのを見届けてから帰ってしまったのだろうか。

なんだか腑に落ちないが、まずは黒金から話を聞かなければ。


「それで、これからどこに行くんだ?」


「ああ、白矢山(しらやさん)の葬り崖(ほうむりがけ)まで。」


無事に屋上から降りられた僕たちは、これから山に登りはじめるらしい。しかもそこは地元の人たちでもあまり近づかないような断崖絶壁である。


葬り崖は約300年前、この地域に『死に至る流行り病』が蔓延した際に、多くの人が葬り去られた崖だという言い伝えがある。その流行り病の症状は全身に発疹が出現し、高熱と食欲不振によって徐々に衰弱死するというものであったらしく、発疹が出現した者は生死にかかわらず、そこから投げ落とされたらしい。


確か、葬り崖の近くには白矢神社があり、当時、投げ落とし執行役だった東雲(しののめ)家の子孫が、今でも神社の神主を務めているとか。


「そんな物騒なとこに、何しに行くんだよ。まさか、その子猫を投げ落とすつもりじゃあないだろうな。」


「こいつは俺にとって、とても大切な奴なんだ。そんな葬り方はしないさ。それに、俺はあの崖を物騒なところだとは思わない。誰かが書いた言い伝えが、本当かどうかなんて、確かめようがないじゃないか。俺は嘘が嫌いなんだ。だからそういう嘘には敏感なんだよ。」


黒金はそういうと得意げに眼鏡をくいっと上げ、片手で子猫を抱いたまま、自転車にまたがった。

確かに、こういう言い伝えには信憑性はないけれど、それが嘘か本当かなんてわからないじゃないか。それに、夜の崖なんて物騒なことには変わりないだろう。と、僕は心の中でつぶやく。


「じゃあ、俺は先に向かっているから、ついてくるなら勝手についてこればいい。夜の山道だ。お化けに襲われないように気を付けるんだな。」


黒金はそう言い残すとハハハと笑いながら猛スピードで去っていった。


・・・


いやいやいや、ハハハじゃねえよ!

同行するっていう条件じゃないのかよ!くそ眼鏡!

ついてこれたらオーケーって、こんなの詐欺だ。冗談じゃない!!


黒金は子猫を放り投げるつもりはないらしいが、まだ猫殺しの真相は明らかになっていない。それに、あいつが自殺願望を隠し持っているのだとしたら、葬り崖ほど絶好な場所はない。そんな場所に一人で向かわせるわけにはいかない。腹が立つ奴ではあるけれど、高校で初めてできた友人を数時間で死なせるわけにはいかない。


「諦めてたまるかよ。」


ポツリとつぶやき、僕はすっかり暗くなった夜道を走り出した。

「覚えてろよ、クソ眼鏡、お前のせいで、僕の平凡な、日常は、台無しだ。」と、走りながら念仏のようにつぶやく。30分ほど走り続け、ようやく白矢山にたどり着いた。本格的な山道の入り口には黒金の自転車が止められていた。あいつ、本当にここに向かってたんだな。僕のことを撒いてやろうと思っていたなら嘘をつけばよかったのに。ああ、そっか、嘘は嫌いなんだっけ。


息を切らしながら、暗い山道を進む。葬り崖の近くは風が強く、木々がざわめいているのがかなり不気味である。4月とはいえ、夜の山の上は気温が低い。冷気が不安を誘い、黒金の”お化け”という言葉が脳内に何度も浮かび上がる。


神様が存在するくらいだ、お化けがいたとしてもおかしくはない。

そういえば、パクはまだ寝ているのだろうか。


「おい、パク、まだそこにいるのか?」


心細くなり、頭を探りながらパクに話しかけてみる。しかし、パクの返事はない。

なんだよ、いてほしい時にいないなんて。ほんと、使えない神様だな。


その時、背後からポンっと頭の上に何かが乗っかるような感触がした。


「うわああああ!」


不意をつかれたのと、お化けにおびえていたせいで、僕は情けなくも腰を抜かしてしまった。振り返ってみると、そこには子猫を抱いた黒金の姿があった。こいつが僕の頭に手を乗っけたらしい。


「ハハッ。そんなに怖かったのか。まさか、本当に来るなんてな。」

置いて行って悪かったな、こっちだ。と、そんなことを言いながら、黒金は葬り崖の方へ歩き出した。


「いや、別に怖かったわけじゃなくて、不意に頭に衝撃が走ったから、単純にびっくりしただけで・・・」


必死で言い訳をしようとする僕の言葉を「はいはい」とあしらいながら黒金は先に進む。

そういえば、友達になる条件って、嘘をつかないことだったっけ?些細なことではあるが、黒金に嘘をつくのに抵抗を感じてしまう。


「ごめん、ほんとは少し怖かった部分もある。」


黒金は、素直に謝った僕の方を振り返り「お前って、変な奴だな。」と笑った。

その後も黒金は木々をかき分けていく。しばらく進むと、少し開けた場所に出た。着いたようだ。確かここが葬り崖である。


そこは、僕の記憶とは違う世界が広がっていた。本当に美しい夜景と星空。さっきまで不気味だと感じていた木々のざわめきや冷たい風も気持ちよく感じる。


「ここの景色も、その子に?」


「ああ。」


「これも償いなのか?」


「そう。」


黒金は徐に眼鏡をはずすと、黒猫の顔に当てた。


「何してるんだよ。」

黒金の行動を疑問に思い、問いかける。


「張間、お前って視力いいんだっけ?」


「一応、両目とも1.5だけど。この綺麗な夜景もはっきり見えるよ。」


「これ、掛けてみろ。」


そういうと、黒金は子猫に当てていた黒縁眼鏡を僕に渡した。

言われたとおりに眼鏡をかけると地上の光がぼんやりとして、花火のように見えた。


「おお!ぼやけているのに、綺麗なんだな。」


僕のリアクションを見て、「な?」と、黒金はニッと笑って見せた。


「俺、目が悪いんだよ。・・・ちょっとさ、親父に殴られたことがあって。視力に障害があるんだ。俺が初めてここでこの景色を見たとき、花火がキラキラしているみたいで、凄く幻想的だった。世の中さ、上辺のことだけ多くなって、何もかも見えにくく汚れてしまっているけれど、こうやって裸眼で見た景色に感動することもあるんだなって思った。」


そういうと、黒金は一番眺めがよさそうなポイントで地面を掘り始めた。

きっと、そこに子猫を埋葬するのだろう。


「・・・お前の親父さん、暴力をふるうのか?」


「・・・ああ。まあ、それも俺が犯した罪の当然の報いなんだ。妹も、きっと俺を恨んでいる。・・・張間ごめん・・・俺、これからここで死のうと思ってる。お前はそれを止めようと思って、ここまで追ってきてくれたようだけど、無駄足になっちまったな。」


蝶野さんやパクが言っていたことは本当だった。

黒金は僕の想像以上の闇を抱えていそうだ。恩返しをしたい。友達として、黒金をその深い闇から解き放ってやりたい。


パクに言われたカウンセリング手順では、この後ストレスの原因を聞きだすんだったっけ?

それで、黒金を救えるなら、黒金の力になれるのなら、やってやる。


「・・・詳しく、話を聞かせてくれないか?」


それから、黒金はポツリポツリと自身の過去について語りだした。


***************************

黒金には、心優しい両親と家族想いの可愛い妹がいた。生活に不自由はなく、それなりに幸せに過ごしていたそうだ。しかし、そんな罪のない、幸せな家庭にも不幸というやつは訪れる。


中学生3年生の頃、黒金一丸は母親を病気で亡くした。


黒金と父親はその悲しみを乗り越えようとしていたが、母親を一番慕っていた妹は、ひどくショックを受け、何も食べなくなってしまったのだという。


そこで黒金は可愛い妹を悲しみから救うため、小さな嘘をついた。

大切な人を慰めるための、優しい類の嘘だった。


「亡くなった人の遺品を葬り崖に埋めると、その人はずっと家族の事を見守っていてくれる」と。


それを聞いた黒金の妹は、「本当!?これから埋めに行こう!」と、とても喜んだそうだ。真夜中だったため、二人は翌日遺品を埋めに行くと約束し、その日は就寝した。


しかし、黒金の妹は約束を守ることができなかった。一刻も早く母親を感じたかった少女はその日のうちに葬り崖へ向かってしまったのだ。


その日、黒金の妹は崖から転落した。


一命はとりとめたが、意識が戻ることはなく、今も医療施設にいるのだという。


それ以来、黒金の父親は暴力を振るうようになった。その虐待は、聞くに堪えない内容だったが、黒金がそれに抵抗することはなかった。


そんなある日、酒で酔った父親はいつもより激しい暴力をふるったのだという。家の外に放り出された黒金は、気付けば葬り崖で泣いていたのだそうだ。


ぼんやりとしていて、涙でキラキラと輝いた夜景を目にした時、もう飛び降りてしまおうと思ったのだという。


***************************


「その時だよ、こいつが現れたのは。ボロボロに汚れてやせ細って、今にも死にそうなくせに、俺の靴に乗っかってきて、死んじゃだめだって言っているみたいで。なんだか守ってやりたくなっちまって、今日まで世話をしてたんだよ。・・・でも、俺が世話をしなければもっと長生きできてたのかもな。」


話の途中から、黒金の声が震え始めた。聞いているだけで胸が苦しくなるような話だ。よほど辛かったのだろう。


「どうして子猫は死んでしまったんだ?」


「俺のせいだ。親父に蹴られてあっけなく死んじまった。こいつ、どこから忍び込んだのかわからなけど、今日は突然家の中に現れたんだ。殴られて床に倒れた俺を庇おうとして、間違って親父に蹴られちまったんだよ。・・・小さいくせに、何してんだよ。自分の身体の何倍も大きい奴相手に、勝てるわけなんかないのに・・・。それに、俺なら、これぐらいの痛みなら、なんでもなかったのに。なんでだよ。」


人差し指で優しく子猫をなでる黒金の目から涙がこぼれる。


黒金が抱える苦痛は計り知れない。僕にそれを軽減できるかなんてわからない。だけど、こんなに心が乱されて、僕が黙っていれるわけない。感情をコントロールできなくなった僕は、気付くと黒金の肩に掴みかかっていた。


「なんだよそれ。ふざけるな!その猫は立派じゃないか!命がけでお前を守ろうとしたんだよ。それなのになんだよ償いって。死ぬってなんだよ。それじゃあ、子猫がお前を庇ったのが、本当に馬鹿みたいじゃないか!なんの意味もないみたいじゃないか!そいつは、お前に教えたかったんだよ。虐待を受け続けるのは間違っているって、命を張ってでも教えたかったんだよ!そんなこともわからないなんて、本当に馬鹿なのはお前だろうが。痛くないわけないじゃないか。助けようと思っていた大事な人が事故にあって、その責任を自分だけで抱え込んで、そんなんで胸が痛くないわけないじゃないか。殴られるたびに、妹の事故のことを責められるようなものなのに、それが胸が痛くないわけないじゃないか。・・・僕は子猫の意志を継ぐ。僕は絶対にお前を死なせない。」


僕の言葉を聞いた黒金は、子猫の死体を強く抱きしめて泣き崩れた。


――初めてにしては、上出来じゃな―――


その時、ズキンと頭が痛み、パクが目の前に姿を現した。


「よくストレスの正体を突き止めたの、小僧。やはり、そこの眼鏡の心は壊れかけていたようじゃ。どんな大物が出てくるか楽しいみじゃわい。どれ、ストレスを具現化するぞい。」


パクは象のような鼻を伸ばし、黒金の頭にポンと乗せた。すると、黒金の身体が激しく光り始めた。


「ぐあああああ!」


黒金の叫ぶ声が聞こえ、突風で木の葉が舞い上がる。強い光のせいで何が起こったのかよくわからなかったが、目を凝らしてみると、そこには巨大な、青い目の黒豹が、黒金の身体を咥えてそこに立っていた。

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