とりあえずの絆

「答えろ、どうして自力で登ることもできないのに、ここに上がってこようとしたと聞いている。」


黒金は先ほど僕を助けた時とは別人と思えるほど、僕を警戒しているようだった。僕に向けられている鋭い視線は、警戒というよりも敵意に近いようにも思える。威嚇するような低く迫力のある声だ。


「あ、いや、ちょ、ちょっと登ってみたくなって。黒金、そういうお前こそ、こんな所で何をしようとしていたんだ?校舎の屋上なんて、まさか物騒なこと考えているんじゃないだろうな。」


黒金の迫力のある声に動揺して、すぐに核心にせまるような事を言ってしまった。僕の言葉を聞いた黒金の凛々しい眉毛が一瞬眉間に寄る。その瞬間だけ瞳の色が青く染まり、また元の黒色に戻る。


パクが言っていた通り、黒金は普通の男子高校生ではなさそうである。


「そういうことか。心配しなくていい。こんなところで死のうなんて思っていない。俺はただ、こいつにこの景色を見せたかっただけだ。」


黒金は、僕がここへ登ってきた理由を把握したかのようにそう言うと、屋上の隅に置いてあった黒い物体を抱き上げた。それは、黒金の両手に収まるほどの生後数か月ほどに見える子猫であった。子猫へ向けられている黒金の目は、僕を助けた時と同じような優しい目をしている。


小さくて愛くるしい子猫だ。

少しだけ、違和感のある子猫だけれども。


さっきまでの凄みのある口調から、隙のない奴なのかと思ったけれど、こんな子猫に綺麗な景色を見せるために屋上へ登るだなんて、案外可愛いところもあるじゃないか。


「優しいんだな、お前。」

何はともあれ、説得の必要性はなさそうである。パクも蝶野さんも早とちりしていたようだ。


「これは、そういう綺麗なものじゃない。優しさなんかじゃなくて、償いなんだよ。こいつさ、何にも悪くないのに、ただ俺に懐いてくれて、俺の事慰めてくれていただけなのに・・・」


俺が殺してしまったんだ。


・・・は?


一瞬、黒金が何を言っているのかわからなかった。刺激しないように、なるべく愛想よく接しているつもりだったが、この言葉を聞いた瞬間は、作り笑いどころかどんな顔も作れそうになかった。


ただ、さっきから感じていた違和感の正体だけは明らかになった。

子猫が眠っているように動かなかったのは死んでいたからなのか。

さーっと血の気が引いていくのを感じる。


「そろそろ日が沈む。俺はまたこいつと別のところに寄らなきゃならない。張間、お前一人で降りられそうか?」


黙りこくってしまった僕に黒金が別れを切り出そうとする。


僕はなんて愚かで無力なのだろう。

説得しに来たというのに、少し話を聞いただけで勝手に衝撃を受けて、説得するはずの相手から帰りのことを心配されてしまうなんて、情けない。


このままではだめだ。僕は信じたくない。

僕のことをわざわざ助けてくれるような心優しい青年が、あんなに愛しむように大切に抱いている子猫を殺せるはずがない。


もっと詳しく話を聞きたい。

話を聞くためには・・・そうだ、黒金から向けられている警戒を解いて、信頼を得る必要がある。

黒金の悪事を信じたくないという強い感情は、勝手に僕の口を動かした。


「ごめん黒金、僕は一人でここから降りられない。だから降りるのを手伝ってくれ。それと、これからお前たちが向かうところに、僕も同行させてもらう。実は、僕は友達が一人もいない残念な奴なんだよ。その残念な奴は、命を救ってくれた恩人に友達になってもらいたいと、そう思っている。断るのは自由だけれど、そうすると僕はまた友達がいない残念な奴になってしまう。お前がそれでもいいと思うなら、お前は僕をここに残してその子猫と一緒に下に降りればいい。僕はその後でゆっくり一人で降りることにする。間違って足を滑らせて落ちてしまったとしても、それは友達がいなかった僕が悪いのだから、お前が気に病むことじゃない。」


黒金が途中で反論する間もなく、一気に言い切った。

自分でも驚くほど呆れた交渉をしているが、気持ちが高揚している自分を抑えることはできなかった。


黒金の方も、さっきまで無口だった僕が急に饒舌になったことに驚いている様子で、口を開けたまま固まっている。そして、しばらくして黒金は大きくため息をついた。


「そうだな・・・友達になってやってもいいが条件がある。一つはもう二度と嘘を言わないことだ。お前は『登ってみたくなって』と言っていたが、お前が屋上に上がってきたのは、俺がここから飛び降りると思ったからなんだろう?それからもう一つの条件はいつでも好きな時に友達を辞められるということだ。条件を飲むなら、友達になってやらんでもな――」


「その条件乗ったあああああ!!」


こうして、黒金の気が変わらないうちにと、やや食い気味に返答をし、友達協定を結ぶことに成功したのである。僕の返事の迫力に、黒金が笑った。黒金の笑顔を見たのはこれが初めてである。僕もやっと素で笑うことができた。


今のところ、蝶野さんとパクが言っていたように、黒金が自殺をしようとしているとは思えないけれど、ひとまずは第一関門突破といったところである。


そして、僕たちは屋上から降り始めた。

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