カウンセリングを始めようか

女子ってこんなにいい匂いがするものなのか。ほのかに香るフルーツのような甘い匂い。桃色女子高生は突き抜けるようなまっすぐな眼差しで僕を見つめている。少し涙ぐんでいるのが色っぽい。それにしても、本当にきれいな顔をしている。眼前十数センチメートルの圧倒的な破壊力に「あ、はい。」と肯定の返答しかできなかった。


「良かったあ!」

先ほどまでの緊張感が緩み、天使のような笑顔へと変わる。桃色女子高生は本当に嬉しそうに胸をなでおろした。


彼女はこんな風に感情に身を任せるようなことをしていて、これまで後悔したことはないのだろうか。どうしてこんなにも輝いて見えるのだろう。それに…


「どうして僕の名前を?」


僕は彼女のことを知らない。高校に入学してからの1年間、綺麗な子は避けるようにしてきた。それどころか、なるべく目立たないように一人で過ごすようにしてきたはずである。それなのにどうして?


「え?ああ、ええとね、それはその…入学式で名前呼ばれていたから。」


そう答えると、桃色女子高生は少しはにかんだ。


ああ、なるほど。うちの高校の入学式って、新入生の生徒一人ひとりの名前呼んでたんだっけ。

あんまり覚えていないけれど。ん?この子、1年前の入学式で呼ばれた僕の名前を覚えていたのか?それって、どういう、まさか、僕に気があるってことじゃあ――


「あ、でも今はそんなことは些細なこと。張間君、あれを見てほしいの。」


僕が妄想に鼻の下を伸ばしかけていると、桃色女子高生は校舎の屋上を指さした。立ち入り禁止のはずの校舎の屋上には一人の男子高校生が立っていた。


「彼はね、張間君と同じクラスの黒金一丸(くろがねいちまる)君。彼の顔、見える?あれはこれから命を絶とうと考えている人間のする表情なの。私ね、思い出したんだ。何度も同じような表情見たことあるから、間違いない。だから、同じクラスメイトとして張間君に彼を説得してほしいの。」


突拍子もない話である。普通の人なら、ここでもっと詳しく話を聞いたり、彼女の不思議な言動に疑問を投げかけたりするのだろうけれど、トキメキに支配されてしまった僕は「わかりました、任せてください。」の二つ返事で依頼を承諾してしまった。


女子高生は再び天使のような笑顔になる。

「やっぱり、そう言ってくれるって信じてた。本当はね、私も一緒に説得に行けたらよかったんだけど、私ね、人の感情に敏感な体質で、ここから黒金君の表情を見るだけでも、その悲しさと苦しさで押しつぶされてしまいそうで、説得なんてとてもできそうにないから。だから、ここで張間君に会えて良かった。」


「大丈夫です、僕が一人で行ってきます。」


やはり、僕はもうときめいてしまっているらしい。気付けば、屋上の黒金とかいう男子高校生を一人で説得しに行くと、そう口走ってしまっていた。完全に感情に支配された言動である。でももう仕方がない。僕の名前なんかを覚えてくれている天使のお願いに応えないわけにはいかない。


「あの、あなたのお名前は?その、僕だけ名前を知らないのも失礼かな、なんて。」


「張間君って、優しいんだね。私の名前は蝶野麗(ちょうのれいら)、張間君と同じ高校二年生だよ。あ、そうそう、確か屋上は立ち入り禁止で、扉にはカギが掛かっているはずだから、屋上へ上がるには3階の理科室の窓から壁を伝って上がるのが正攻法だよ。黒金君もきっとそうやって屋上に上がったんだと思う。それじゃあ、健闘を祈ってるね。」


僕に屋上へのルートを伝えると、蝶野さんは再び屋上の方を向いて、不安そうな表情を浮かべる。蝶野さん、蝶野麗さん。素敵な名前である。僕は無事にこのミッションを終えて、彼女との楽しい学園生活を送れるのだろうか。久しぶりに胸が高鳴っている。そういえば、喜怒哀楽、どの感情に従って行動するときも同じように胸が熱くなっていたような…。懐かしい感覚だ。


胸の高鳴りに身を任せ、屋上へ向かって走り出す。

このドキドキは、蝶野さんに出会ったトキメキのせいだけではなさそうだ。人生で初めて自殺しようとしている人間に対面するのだ。どんな風に声をかければいいのだろう。正直なところ、成功しているビジョンが全く見えない。もし、失敗してしまったら…。緊張で手が震えている。


そして、僕はまたしても激しい頭痛に襲われた。


――どうじゃ?感情に身を任せるのも、ワクワクして――たまの刺激には良いじゃろう。どれ、ここはひとつ、儂と一緒に―――カウンセリングを始めようか――

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