2月14日 始業前

 和樹は学校への道のりを一人歩く。家を出た時間は昨日と一緒だが、昨日とは違い雪は降っていなかった。雪が降っていると仕方ないと思えたこの肌寒さも、降っていないとなぜか余計に憎く思えてくる。

 しかし天候の違いなどは些細なことだった。一番の違いは隣に弥生がいないことだった。昨夜、携帯電話に「明日の朝はちょっと用事があって一緒に登校できません。ごめんねー」というメールが届いていた。

 理由はあえて聞かなかったけれども、今日がバレンタインデーということを考えるとチョコ絡みの用事ではないかと和樹は想像していた。昨日は瑞姫の質問に素っ気ない態度をしてしまったが、生まれて初めてもらえる義理ではないチョコにどうしても期待は高まっていた。

 隣に弥生がいないというこの状況を何となく持て余していると同時に、この後待っているであろう楽しいイベントを考えれば、寂しさだけがつのることはなかった。


 律儀にいつもと同じ時間に家を出てしまった為、早くに学校へ着いてしまった。駅から学校への道のりを一人で歩くだけなのだから、もっと遅くに出ればよかったと和樹は後悔した。

 校内に入ったものの、この時間だと登校している生徒はほとんどいないようだった。スリッパに履き替えて、階段を上る。周囲に人がいないので、和樹のスリッパが出す音だけが、冷たい空気に満ちた校舎に響いていた。

 いつもは気にも留めていなかった、歩き方によって微妙に変化するスリッパの音に和樹は集中してしまい、一年生の教室が並んでいる4階に到着する間際で階段に足を引っかけて転んでしまった。鞄も落としてしまい、思いのほか大きな音がした。

「いたたたた」と思わず口にしながらも体勢を立て直そうとした和樹の耳に、ドアが乱暴に開かれる音と誰かが走っていく音が聞こえてきた。

 朝の静寂の中で大きな音をたててしまったことを怒られるのかと、反射的に身構えてしまった和樹だったが、和樹の元にその誰かがやってくることはなかった。きっとタイミングがたまたま同じだっただけで、自分が転んだのとは関係がなく、逆側の階段から降りて行ったのだろうと和樹は考えた。

 階段を上りきってのぞいた廊下には誰の姿もなく、無人の校舎の無機質さがいっそう際立っていた。和樹は気を取り直して自分たちの教室に向かった。


 ドアが開いていた。


 少しだけ心の中にわき上がってきた嫌な予感を振り払い、中をのぞいた。違和感を覚え、瞬時にその原因にも気づいた。


 和樹の机の上に、出した覚えのない本が置かれていたのだ。


 慌ててもう一度廊下に出たものの、やはりそこには誰の姿もなかった。

 和樹は自分の机に近づいて、置かれていた本を確認した。それはいつも読んでいた囲碁の本だった。教科書に比べても厚みがあるそれは、目を引き付ける存在感があった。

 和樹は昨日の記憶を振り返ってみるが、机の上に本を出しっぱなしにしておいた記憶はない。そこから想像されるのは、誰かが机の中にしまってあった本を出したということだ。

 和樹が来る前に教室にいて、誰かがやってくることに気づき、ここを走り去ったであろう誰か。

 その誰かはよほど慌ててぶつかったのだろうか、よく見ると周りの机も微妙に定位置からずれていた。

 一体誰が和樹の机の中を荒らしたのか。

 和樹は机の中から盗まれたものがないか確認した。教科書を詰め込んでいたが、幸いなことに特に盗まれたものはないようだった。囲碁の本が机の上に投げ出されている以外の、異常はなかったのだ。

 何かを盗もうとしたのか、盗み見ようとしたのか、あるいは単純に荒らすのが目的だったのか……朝早くに他人の机の中を探る理由なんて、どんな結論に至っても面白いことにはなりそうになかった。いじめられた経験は今までなかったがこれが初体験になるかも知れないと、和樹はどこか他人事のように考えていた。

 もしかしたら今朝が早く来たから気づいたのであって、毎日机の中を荒らされていたのかもしれない。あるいは教科書を中までしっかりあらためると、ラクガキが書かれている可能性もないとは言い切れない……。

 しかし和樹はそれ以上考えるのを止め、ズレた周りの机の整理をし、そして改めて囲碁の本を手に取り、読み進めた。まるでいつも通り本を読んでいれば、先ほどの出来事は忘れられると信じ込むかのように。

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