2月14日 始業前2

 だんだんと騒がしくなっていく校舎の中で、和樹は一人黙々と本を読み進めていたが、駿介が教室に入ってくるのが見えたので和樹は顔をあげた。

 時計へと目を向けると、始業時間にはまだ十分に余裕がある。ここ数日の駿介が遅刻を繰り返していたことを考えると、驚く出来事のようにも思われた。

 ただ、驚いたのは和樹だけではなく、駿介も驚きの表情を隠していなかった。

「こんな早い時間になにをしてるんだ?」

 どうやら駿介は、最近和樹たちが朝早くに一緒に登校していることを知らなかったようだ。特段秘密にしていることではなかったが、おおっぴらに吹聴していたわけではなかった。まして普段から登校時間が遅かった駿介にとって、朝の早い時間帯の出来事を知るはずもなくて当然だろう。

「いや、いつもこの時間には来ているんだよ。お前こそこんな時間にどうしたんだ。最近は遅刻魔になり始めていたのに」

 素朴な疑問をそのまま口にした和樹の問いに、駿介はひきつった表情をして口を閉じ、一呼吸おいてからしゃべりだした。

「いい加減、和樹に馬鹿にされるのも疲れてきたから、ここらで朝早く登校して課題を終わらせておこうと思ったんだよ」

 嘘にもならない軽口だった。しかし、和樹はあえてそこは追求せずに流した。

 調子が戻ってきたかのように話し続ける駿介に相づちを打ちつつ、頭の中では別のことを考えていた。今朝の走り去った音が駿介の足音である可能性、つまり机を荒らしていたのは駿介だったかも知れないと思い至ったのだ。

 和樹のノートを勝手に借りて課題でも写そうとしたのだろうか。あるいは他の目的があったのだろうか。証拠など何もなかったが、駿介の行動だとしたらくだらない理由のようにも和樹には思われた。


 駿介とたわいもない話を続けていると、始業時間が近づくにつれ加速度的に教室内の人口密度は高くなっていった。瑞姫が教室に姿を現したのは、いつもよりも遅かった。いつもほぼ同じ時間にやってくるので、珍しいと和樹は思った。

「朝から勉強のし過ぎで頭に糖分が不足してるんだ。せっかくのバレンタインデーだしチョコくれないの?」

 チョコをねだる駿介の言葉に、瑞姫は教科書もノートも広げていない机を一瞥してから答えた。

「バレバレな嘘つくんじゃないよ、まったく。勉強してる様子が全然ないじゃない。あんたに糖分なんて、当分いらないわね」

「そんなけち臭いこというなよ。部員同士のよしみでさ。減るもんじゃないし」

「減るわよ! というかそもそもチョコレートなんて持ってきてもないし」

 駿介と瑞姫のやりとりを見ていた和樹はちょっとした違和感を抱いた。

 瑞姫の言葉になんだか覇気がないように感じられたのだ。見た目のテンションは高く、会話の内容自体はいつも通りなのだが、無理やりエンジンをかけている空元気のようにも思われた。

 和樹自身が今朝の出来事で過敏になっていて、思い過ごしの可能性もあったが……それに瑞姫はさっきから駿介としゃべっているのに、やたらとこちらを気にしているのも気がかりだった。

 駿介との会話がひと段落したところで和樹は疑問を口にした。

「なあ雪村、いつもより来るのちょっと遅くないか」

「内田にそんなことで文句言われる筋合いないでしょ。どっかの誰かさんと違って遅刻してきたわけでもないんだし」

 あてこするような応答は瑞姫らしくはあったが、変に力が入り過ぎているようだった。言葉の内容だけを見れば冷酷無比でも、親しみを感じるのが瑞姫だと思っていたのに、今日の瑞姫には壁を感じるのだ。

 和樹は、瑞姫が囲碁の本を机の上に出した犯人ではないかという疑惑を持ち始めていた。いたずら心から机を荒らし、それが和樹にバレていないか気になっていて、だからさっきからこちらの様子をうかがっている可能性はないだろうか。

 それともこんな風に思ってしまうのは、瑞姫の様子が怪しいと和樹が思い込んでしまっているためだろうか。


 そんな想像は始業ベルの音で中断させられた。同時に弥生が教室に入ってくる。瑞姫に気を取られていて、この時間まで弥生が到着していなかったことに気づいていなかったが、ここまで遅くなるとは思ってもみなかった。

 弥生は席に着く前に、ちらっと和樹のほうを見た。そして和樹と目が合うと、気まずそうに顔をそむけた。まるでいたずらが発覚して、親に怒られるのを心配している子供のように……。

 弥生の到着から間もなく、担任が入ってきて事務的な連絡事項を伝え始める。

 いつもと変わらぬ日常的な風景のおかげで、和樹は通常の思考ルートを取り戻しつつあった。

 さっきまで考えていたことを思い出し、自分もまだまだだなと和樹は反省した。

 豊か過ぎる想像力も考えものだ。今朝の時点ではいたずらと決め込んで放っておこうと決めたはずだったのに、いつの間にか周りに疑いのまなざしを向けていた。また、出されていた本が囲碁の本だったから、囲碁部員を連想してしまっていたのかも知れない。

 無意識のうちに嫌な方向へと走り出す想像力をストップさせるため、和樹は担任の話へ耳を傾けた。

 そんなことをしても、事態は進展しないし解決もしないことを、和樹も理解はしていたのだが。

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