2月13日 始業前2

「まだその本読んでいるの」

 本から目を離し視線を上へと向けると、室長の雪村瑞姫が当然のように机を押しのけて立っていた。

「相変わらず囲碁に夢中だね。来年のクラスメイトには、囲碁好きなんで以後よろしくとでも言うつもりなのかな」

 瑞姫の表情からは、そんなことどうでもいいけどね、という雰囲気がありありと読み取れる。ここまでわかりやすく喧嘩を売りに来るようなやつも珍しいが、驚くべきは囲碁を思い切りバカにしたような発言をしている瑞姫こそが、うちの学校の数少ない囲碁部員であることだった。

「第一、私たちが生まれたころに出版されたような、そんな昔の本を読んでどうなるわけ? もう何度も読み返してるんじゃないの?」

「うるさいな。いつの時代の本を読んでたって俺の勝手だろ」

「やれやれ。そんなこと言っているから、いつまでも私に勝てないのに」

 確かに瑞姫の言う通りなので、和樹は反論できない。

 囲碁の技術も昔と比べて進歩している。10年前はプロにもいい手と判断されていても、現在では評価が変わってしまった物もいくつかある。それを考えれば、新しい本を読んだ方が適切だった。

 それでも、と和樹は心の中だけでつぶやく。「基本的なことはまず本で覚えたほうがいい」と言われて、最初に祖父から貰ったのがこの本だった。何となく心の拠り所のような親しみをこの本に感じており、和樹は手放すことができず頼ってしまうのだった。

 言いよどむ和樹に対して瑞姫は捨て台詞を吐いた。

「古い本と内田の固い頭をふるいにかけても、私より優れたものは出てこないと思うけどな」

 けけけ、と笑いながら瑞姫は自分の席に戻っていく。

 和樹は憎らしげに瑞姫の背中を見ることしかできなかった。いつか囲碁の実力も、テストの点数も抜いてやると誓いつつ。

 和樹が目で追っていくと、瑞姫は席に着くなり、自分の前の席にいる弥生に話しかけていた。先ほど同様勢いよく話す瑞姫に対して、弥生は柔らかく丁寧に対応していた。

 話の内容までは分からないが、こちらに目を向ける瑞姫の様子から察するに、自分のことをネタにされているのだろうと和樹は半ば確信していた。


 弥生も囲碁部員である点では瑞姫と一緒だったが、それ以外ではいろんな点で対称的に見える。

 囲碁の実力もその一つ。弥生は入部したのが最近である上、囲碁そのものも覚え始めたばかりだ。

 和樹にとって、これまで囲碁を教えるなんて立場になったことはなかったから、弥生に囲碁の基本を教えるのはすごく新鮮で、また楽しかった。自分の好きなことを、好きな相手と楽しめることが、あんなに心躍ることだと和樹は想像もしていなかった。

 何より、弥生は教えることを素直に学んでくれるので説明しがいもある。

 実力差があるから仕方ないとはいえ、完膚なきまでに和樹を叩きのめしてくる瑞姫の姿勢とは大違いだった。

 見た目だけでなく性格も考慮に入れると、明らかに弥生のほうがかわいいと和樹は思ってしまうのだが、それは彼氏のひいき目だろうか。

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