第2話 医者とモルモット
私は医者として、この患者をどうしても救いたかったというのは建前である。染色体がバラバラになった以上、この先の結末がどうなるのか簡単に想像することができた。もし、私の家族に、こういったことが起こったら間違いなく私の手で安楽死をさせるだろう。だが、赤の他人で面識もない。彼女がいかに苦しんで死のうが俺の心には響かない。貴重なデータをとるためのネズミに過ぎない。
この国は人権意識の高さからか人間を使って医学的実験をする事がなかなかできない。俺は患者の命よりも、患者の病気を治すために試行錯誤したい。先人の医者たちの治療を後追いして技術が進歩するわけがない。貴重なネズミを確保するために彼女は助からないと分かっていながら家族に全力で治療すると心に訴えかけた。特に夫は典型的なマヌケだ。医者の言うことは正しい、なんとかしてくれる。この人に頼るしかない。そんな必死さが見え隠れした。医者と患者は対等ではない。
医者がいくら、お金をもらおうと患者は完全な対等の位置まで上がることはできない。
なぜなら、私達は人の命をお金に換算して治療している。人の命は重い。お金では換算できない。命を救うという事は神と同義と思っている。だが、医者も所詮は人の子、神でもあり悪魔でもある。
まず、彼女の身体の中で起こっていることを調べた。出産をしてから体調を崩し下痢が止まらないため腸の内部を調べると粘液の細胞が壊死して白く変色している。これは細胞が再生されていない。俺はすぐさま染色体を調べた。思った通りボロボロになっていた。染色体がバラバラになったという事は、元の体には戻らない。
原因を探ってみたが放射線を大量に浴びるような環境にはいなかったはずであるし、いったいなぜ、こうなったのか検討もつかなかった。
だが、出産前と出産後で変化があった事は間違いない。そして不思議なことに子宮と卵巣は内部被曝を受けたにも関わらず全く影響を受けていない。ますますわけがわからなくなったが俺は子宮と卵巣に原因があると思い込んだ。
そこで俺は医学部の学生の時から親交のある外科の斎藤に子宮と卵巣の一部の切除を依頼した。斎藤に諸々の話をすると、俺たちは人類の歴史の中で誰も見たことのない症例と闘っているんだなと興奮気味に食いついてきた。
「なあ、切除した卵巣と子宮は廃棄するのか?俺はその幹細胞がほしい。俺の大学の後輩でな、臓器の培養を研究してるやつがいるんだけどさ。豚の内部に子宮と卵巣を培養してさ。誰かの精子と結合させて受精卵を作る。そして細胞分裂が始まった時に何かあるのか調べてみるのも面白そうだろ。もしかしたら放射線を発生させるかもよ」
「それは考えにくい。赤ちゃんはお腹の中で成長していたわけだから、その時には異常は見られなかった」
「そうかぁ。じゃあ、完全に細胞分裂させて人間を1人作ろう。それを産ませて、その時に放射線が発生するか検証しよう。」
「それもありだな。まあ、それはお前に任せるよ」
そして、俺たちは彼女をモルモットとして向き合っていった。
彼女の闘病は熾烈を極めた。
まず、皮膚が再生されなくなっていき日に日に彼女を覆うガーゼの量は増えていった。消毒するために剥き出しの皮膚に消毒液を塗布していく。この痛みは想像を絶する。私は治療チームの会議で人工の皮膚を培養して彼女の皮膚の上に移植することを提言した。
「彼女の皮膚は剥き出しの状態で、このままガーゼのみで応急処置をしても治療にはなりません。人工皮膚を移植しましょう。」
「それはわかっている。だが、彼女の白血球の数値がどんどん下がっている。無菌室に入っているとはいえ危険な状態すぎる。まず、白血球を増やすために兄弟の方からの骨髄をいれて白血球を正常の値まで伸ばす必要がある。」
まず、白血球の数値を正常値に戻して皮膚の移植という段取りが組まれた。
次の日、弟の雄介から骨髄を彼女へ注ぎ、経過をただ待つこととなった。2日ほどして白血球の数は上がる兆しを見せた。弟の細胞が彼女の体には芽吹いている。私はほんの少しだけ笑みがこぼれた。
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