第3話 医者の使命

 弟の白血球を作り出す細胞が定着し出した頃、彼女はガラス越しで夫と会話ができるほど回復していた。僕は面会日当日、集中治療室のガラス越しで電話をかけた。「夫!どう?元気してた?」

 妻は思ったより元気で安心した。「それはこっちのいう言葉だよ。どこか痛む所あるか?」

「大丈夫。ちょっと皮膚が痛いけど、前みたいな、だるさは少しなくなったかな」

「そうか、、、。大丈夫さ。皮膚もさ、少し腫れてるだけで体調が良くなれば元に戻るよ」

「治るのは嬉しいけど、私もう外でかけたりできないなぁ。こんな顔じゃ」と少し目を潤ませた。「大丈夫だよ。君が思ってるより元の状態に戻るし、深刻に考えるなって」力強く言ってはみたが自信などなかった。

 「そうだよね。赤ちゃん、元気にしてる。私早く抱っこしてあげたい」彼女は満面の笑顔で僕を見つめていた。

 「あと、私ね日記書くことにしたんだ。もし、、」

 「そうか。日記か。あんまり無理すんなよ。ゆっくり治すことだけに専念しような」「うん」

 そこから、少し気分を変えるために出会った時の昔話をして彼女の気持ちを少し軽くしてあげた。 

 闘病 17日目 弟の細胞が定着が確認できた時期から新しい皮膚ができないにもかかわらず彼女の古い皮膚は押し出されていった。彼女は生まれたまま体から皮膚を一枚脱がされた状態となった。彼女の皮膚から大量の体液が染み出してきた。この日から彼女の体から染み出す水分は10リットルにも及んだ。「看護婦さん。私、もうダメ。」「死にたい」ポツリポツリと彼女は呟く。

 看護婦は「落ち着いて、大丈夫ですよ」と声をかけても、背中をさすることもできず現場は無力感に覆われてた。このケアを懸命にしていた看護婦のまゆみは昼休みに同じくケアをしている由紀に相談をした。

 「私たち、毎日毎日、患者のケアをしているけど耐えられない。私達はさ、剥がれそうな皮膚とか染み出てくる体液を拭き取ってさ。剥き出しの皮膚に消毒液を塗ってさ。こんな苦しみを私の手で与えているのにさ。どんどん悪くなるんだよ。私たちのやってる事って一体なんなんだろう」彼女は息をすするように言葉を吐き出した。


「そうだよね。絶対、先生達はわかってるよ。助からないってことを。」

「助からないよね。私たちって一体なんなんだろう」


 彼女達はそれでもケアを続けた。まだ助かる。本能的な気持ちが残っていたから。愛は日を追って人間の原形を維持するのが難しくなっていった。俺は医者として彼女の貴重なデータをとるために最大限に延命できる手段を考えた。灰に水が溜まれば管を通して水を抜き、血液が滲み出れば血液を補充し、水分が乾けば注いでやる。皮膚がなければ貼ればいい。

 ある看護師が「先生、彼女は本当に助かるのでしょうか。あれだけ苦しみ抜いて、彼女は肺に管を通されて、もう苦しい事を訴える事さえできない。でも体は苦しがってます。どうにか楽にしてあげる事は出来ないでしょうか。」

  生意気な看護婦だ。俺はカチンときたが冷静に答えた。

 「助からない。普通に考えればな。だが最善を尽くす。助かる可能性が1パーセントでもあるなら希望を捨ててはダメだと俺は思っている。」


看護婦は少し、朗らかな顔になり


「可能性、あるんですね。信じます」


静かに呟いた。少し目が潤んでいたように見えたが気のせいだろう。


 彼女から染み出る水分、血液を輸血するため彼女の心臓は限界まで動いていた。体は止まっているのに終わりのないフルマラソンを走らされ続けていた。




 ハァ ハァ ハァ 私はいつまで走り続ければいいの。体は止まっているのに心臓の鼓動が早くなる。ハァ 苦しい。苦しい。助けてお母さん。お父さん。水が飲みたい。誰か私を助けて。ハァ。。私は暗闇の中を走り続けている。体は止まっているのに心臓の鼓動は速くなる。。 そして、私は走るのをやめた。







 妻の心臓が止まると医者と看護師はすぐに駆けつけた。

「心臓が止まった。すぐに蘇生に取り掛かれ。」心臓に電気ショックが加えられ蘇生を試みる。だが、心臓が再び動く事はなかった。 彼女は死んだ


彼女が亡くなってから俺は出産の前後で放射線がなぜ発生していたのか考え続けていた。昼休みに廊下を歩いていると医者、斎藤とすれ違った。

 「おう、久々。彼女、亡くなったそうだな。研究は進んでるか?」

 「まあな。だけど、何も考えないと彼女の治療、これで良かったのかなって思う事があるんだ。苦しかったろうなぁ、、」 斎藤は先ほどの浮ついた顔が真顔になった。

 「お前、勘違いしてないか。助かる見込みがあれば医者は助ける。まあ、これだって延命の一種だ。五年かもわからんし10年生きるかもわからん。お前の担当した彼女も延命した。そりゃ、苦しいよ。生きるのは苦しい。だけど、俺たちは彼女を殺す事はできない。そんな権利はない。ならせめて彼女の苦しみの過程で得たデータを研究するのがせめてもの償いっていうのはおかしいけど使命だと思う。」


 俺はこいつが今更、患者の為にとか能書き垂れている事に辟易した。人間の命もネズミの命も同じだとか、命に重い軽いはないとか、バカか。同じ種族の命を重いと思うのは当然の事だろう。患者をモルモットと思ってたと口では言っても、やっぱり違う。こんな事考えるだけで自己嫌悪に陥った。なんにせよ、こいつは自分に酔っている。こうゆう偽善にまみれた連中が弱者の肉を喰らい、正義という錦の御旗を天に仰いでのうのうと生きていく。 

 俺は小さく呟いた。

「まあ、どちらにしても俺たちは後戻りできない。進むしかない。」


そして、お互いは背を向けて自分の道を歩き出した。

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