本当に、素晴らしい景色でした……とでも言いながら死にたい男の話。
小見川 悠
ネガフィルム
エー。これから告げることは全て本当のことであり……疑うことのできない真実である……そう明言しておきましょう。
そうでも書いておかないと頭の柔らかくない皆様方は変にこの文章の意味を曲解し始めるかもしれないと思ったもので。あ、イヤ、それを踏まえた上での“敢えて”の注意文なのです。決して皆様を貶しているわけでないということも、ね。ご理解いただきたいわけです。
さて……つらつら書いていてもしょうがないので、結論を先に書きましょう。
私は人を殺しました。明言します。この手で確かに、殺しました。
この手紙――俗に言う『遺書』は私がその亡骸の前で書いているものです……ホラ、所々文字が乱れているでしょう? まだ手が震えているのです。
あの首を圧した時の感触が……私の手を震わすのです。
こうなったきっかけは、今年の夏頃へと遡ります。
私は当時大学のとあるサークルに所属していました。そのサークルの活動内容は様々で、旅行に行ったり、時たまテニス大会を開いたりと、多種多様な様々な事柄に手を出していました。
そんな中、サークルメンバーの一人である近衛さんが交通事故にあって入院するというちょっとした事件がありまして、サークル内は騒然とするわけです。
「お見舞いにいこう」
そう言ったのは誰だったのか、今となっては思い出せません。確か、田沼さんでしたか。人物名はうろ覚えですが、その人がサークルの中心人物であったことは覚えていました。
ただ、狭い病室に大勢でお見舞いに押しかけるなど、病院側にとっては迷惑以外の何者でもないわけでして……結局私を含めたサークルメンバーの四人ほどで行くことになりました。
左から、佐藤さん、江口さん、伊藤さん、そして、私。ベットの前にそう並んで、口々に「大丈夫か?」とか「後何日で退院できるんだ?」とか聞き始めるわけです。
みんな心配そうな声を出して……私は恐ろしかったですね。先程まで『面倒だ面倒』とあれほどお見舞いに反対していた伊藤さんまで聞いているのですから、もうね。
でも別にそれがいけないことだとは思いませんよ。だってそれは生きる上で必要なことだから。自分に正直でいることは簡単ですが、それを他人に包み隠さずにいることはただ息苦しいだけなのですから。
さてさて皆様。こんな関係のないことばかり書いてもしょうがないですからね。
さっさと私の罪を明かしていきたいと思います。
私はつい先日、江口さんに『ここに来るように』と連絡を受けたのです。
なんでも、近衛さんの退院祝いのパーティーを開くそうで、人手が足りないので準備を手伝ってほしい、とのことで。
特に用事も無かったので、私はそこに向かいました。……そこで私は見てしまったのです。
――江口さんと佐藤さんが何かしらで口論になっているところを。
えぇ、有名でしたよ……サークル内での彼女たちの不仲は。そんなのならなんで同じサークルに所属していたか? ハハ、簡単ですよそんなの。恋愛です。なんでも意中の相手目当てにサークルへ加入したそうで、全く迷惑な話です。
でもこの世界というものは実に理不尽ですね。
彼女たちは誰の目から見ても『美人』と形容されるくらいの美貌を有していました。
私にはそうは思えませんでしたが……。
それによってサークル内で一定の地位をあっという間に確立して……二人の争いが表面化するまでにそう時間はかかりませんでしたね。
私は彼女たちがサークルに所属する前から仲が悪いことを風の噂で知っていたので……あまり関わらないようにしていました。
恋情の縺れなど、見ていて楽しいものでもなければ巻き込まれてどんな間に合うかもわからない。だから関わらないようにしていたのですが……。
口論を見た時点でその努力は全て無駄となってしまいました。
私は彼女たちの争いの渦中へと放り込まれる事となってしまいます。
まずは口止め。それは当然、厳重に。――まぁ、既にサークルの殆どの人が知っていたと思うので無駄な事とは思いますが。
次に、このパーティーの当事者……近衛さんへ日程を伝えろと言われました。
実は近衛さんこそが彼女たちの意中の相手だったそうなのですが――なんでも『恥ずかしいから声をかけられない』などと言う小学生並みの理由をつけて私にやってほしいと言うのです。
思うことがないわけでは無いですが……内心しょうもないと思いながら私はパーティーの日程を近衛さんへと伝えました。
「君を慕う彼女たちが頑張って準備してるよ」
と言うと、彼は深いため息をつきながら
「わかった、行くよ……」と、少々うんざり気味に答えるわけです。
きっと彼も彼女たちに付きまとわれて疲れているのだ……私はそう思いました。
ついでに差し入れとして、本とペンをプレゼントしました。クロのボールペンと、無地のノート。病院生活での日記でも書けばいいよ、と言うと彼は複雑そうな顔をして、こう言うのです。
「退院、明日なんだよね」
私は笑いを堪えるので必死でした。なぜこれからの事を書こうとしているのでしょう? きっとこれからこの病室生活を振り返りたい時が来るだろうから、何か書くものが必要かなと言う思いで、持ってきたんですから。
いわば、逆行日記です。
丁寧に表紙にまで書きましたから。わざわざ赤字で。
これなら意図は伝わったでしょう。
そう思って私は彼女たちにこう伝えます。「上手くいったよ」と。
その時の彼女たちの嬉しそうな表情のなんたることか。
私も笑顔が止まりませんでしたよ。ハイ。
エー、サテ……ここで一つ、質問をしたいと思います。きっとこの文が誰かに読まれている時、私は首を吊っているか、身体中の何処かからか大出血をしているかでしょうが……問題はそこでは無いのです。
私は自殺です。誰が、どう見ても、そう見えるように死ぬつもりですが……もしかしたらそう見えないかもしれない。だけど自殺なのです。
アァ。だんだん目の前の彼女の唇が青紫になっていく……制限時間も残りちょっとのようです。
本題に戻りましょうか……。
今日この場所には四人の人間がいました。
私、江口さん、佐藤さん、近衛さん。この四人。そこで私は気付きます。この退院記念パーティーが、完全に彼女たちの独断で行われていることに。私はついこの前サークルを辞めたばかりで、彼女たちだけで行なっているなんて思いもしませんでした。
そこで疑問が一つ。
彼女たちは対立していたはず。なのにこうやってパーティーを共に企画して開いている……不思議でした。
そんな疑問もすぐにアルコールで吹っ飛んでしまうのですが。
確かに覚えていることもあります。
何かしら口論になって……酒とその場の勢いで押し倒し……首に手を掛け、細い棒のようなそれを、握りつぶすように握って、潰して、押して、圧して……気道を塞いだ。
――今でも自分で信じられないのです。
私が人を殺した事を。
もしかしたら、全てが嘘なのでは無いか。これが悪い夢で、醒めるまでの辛抱なのでは無いか。短い時間のうち、何度そう思ったことか。
何にせよ、もう整理はつきました。
後の二人は、私が命を奪った時点で逃げていました。警察のサイレンが、心なしか近づいてきているのはきっと気のせいではないのでしょう。
エー、アーアー。最後にもう一度。この遺書に一切の嘘偽りはない事を、命をもって証明しましょう。この舌を何枚だって閻魔に捧げましょう。
それでは、さよなら。
――久野 タカヒロ
◇◇◇
「……何ですか、これ」
とある大学の一室、先輩が暇つぶしに書いて見たと語る小説の一部を読んで……斎藤 怜は困惑していた。
「確か本格的ミステリーって、言ってましたよね?」
「あぁ、言ったよ?」
ソファに深く腰掛けた先輩――美東 蓮は一切の戸惑いもなく、言い切ってみせた。
「これのどこがミステリーなのか、説明してもらいましょうか」
「はぁ? 別にいいけど、少しくらい頭使って考えようとか思わないのか?」
「考えましたよ、思いましたよ。だからその上で言いますよ? 意味不明すぎです。まず読者に与えられた情報量が少なすぎる。こんな内容でどうやって推理しろって言うんですか」
「いや、わかってんだよ。わかってる。普通に解こうと思っても絶対に解けない問題だっていうのは。だって、そうなるように書いたんだから」
「……と、言いますと?」
怜がそう聞くと、蓮は誇らしげに立ち上がり、何とも堂々とした面持ちでミステリーともなんとも呼べぬ物語の解説を始める。
「まずこの事件、最初っから分かりきってるんだ」
「あの『これから告げることは……』っていうくだりですか?」
「そう。あの時点でこの物語に嘘が一つもないことは分かる……でもそれは主人公視点の場合の話だ」
「……でもそれじゃあ、結局嘘があったってことになりますが……あ、まさか」
「そう、実はあの江口さん、双子だったんだよ!」
「いや。分かりませんって」
怜が半ば呆れるように言う。
「さっきも言いましたけど、圧倒的に情報量不足なんですって。やっぱりこれ、推理させる気ないでしょう?」
「……実はもう一冊あるんだよね」
「は?」
「もう一冊あるんだよね」
そんな事を今更、淡々と告げる蓮。呆れを通り越して呆然としている怜。
「ちなみにその本の内容は」
「今の話を別視点で再構成して謎のヒントを散りばめた、所謂『解決編』ってところだ」
「それを俺に見せずに推理させたって言うんですか?」
「うん」
一切悪びれる様子を見せずに答える。
「馬鹿にしてるんですか」
「馬鹿にしてるんじゃない。面白がっているんだ」
「同じですよね、それ」
「まぁそうだな。で、一応説明しておくとだ――こっちの主人公は近衛さん……美人の女性二人に追いかけられる女難の相が出てる男だ」
「はい、それで……何が分かるって言うんですか?」
「それはこっちの……めんどくさいから『表』と呼ぼう。視点の異常さと謎の答えに決まってんだろ」
「だからそれは……はぁ。もういいです。続けてください」
「じゃあこっちは『裏』として……近衛さんは普通の男性だ。見る景色も感じるものも全部全部普通の……ちょっとモテる男だ」
「全部普通? それって逆に怪しいような」
「まぁ話は最後まで聞けよ……。近衛さんは退院前日に二人の来客の相手をする。一人は江口さん。この子、大胆に告白するんだ」
「……急展開すぎません?」
「まぁまぁ。で、近衛さんはそれを断っちゃう。だからこの時点であの退院記念パーティーの江口さんは本当の江口さんじゃないことが分かる」
「え? 主人公は気づいてませんでしたけど?」
「実はこの主人公、先天的な色彩異常でモノの特徴をはっきりと抑えることが出来ないんだ」
「……設定が生えていく」
「伏線はあるぞ? まず主人公が近衛さんに渡した無地のノート。あそこに赤字ででっかく逆行日記と書いたって主人公は言ってるけど近衛さんから見るとでっかく青字で書かれてるんだ。ここで主人公は色が正確に捉えられない事を知って欲しかったわけだ」
「……まぁ、それはいいですよ。じゃあ主人公が急に人を殺そうとした理由は?」
「書いてない」
「嘘ですよね?」
「嘘だよ。ここにある」
そう言って掲げたのは新しい三つ目の原稿の束。
「まさかまさかの三部構成だ。誰が得するんだろうなぁ、えぇ?」
「……帰りますね」
「え? ちょ、ちょっと待てよ怜くん! まだ話は終わってないぞ!」
「いやもう聞き終わりましたから」と言って部屋から出ようとする怜を無理やり引き止める蓮。
――そもそもこんな無茶なミステリーを書いた時点で面白いかどうかなどたかが知れていると言うのに……。
「せめて、三部を一気に見せてくれたら評価も変わったかもしれませんけどね」
のちに怜は、このミステリーと呼ぶのもおこがましいこのナニカを、そう評価した。
「――モノクロの世界、そこにある物の全てを感じられない苦痛――分かるわけないか」
そう呟いて本を閉じる。
この本のタイトルの名前は、『とても、素晴らしい景色でした。』だ。
果たして色の無い世界に、そんな景色が存在するのだろうか……多分おそらく永遠にわからない問いを投げかけて、この部屋の戸は、閉じられた。
本当に、素晴らしい景色でした……とでも言いながら死にたい男の話。 小見川 悠 @tunogami-has
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