第二章・暗殺編
第13話・タイマーの稼ぎ方
タイマーを入れておく専用のケースがある。
試験管のような円柱状のそれには、タイマー10年分が収まっていた。タイマー注入出に使用する針なし注射器に
タイマーを大量に所持している長寿命者のために、100年分の専用ケースがあるのだが、綾坂は仕事以外で扱ったことがない。一般人なら目にする機会もないだろう。
昨年のタイムアウト事件の際は、遠堂がその100年分のタイマーケースをダース単位で所持していた。タイムアウト事件の情報整理を矢島から一任されていた綾坂は、およそ事件の概要を知っている。
真偽は定かではないが、矢島も100年のタイマーケースを複数本所持していたらしい。特別時間管理局のタイマー流通記録を洗っても、それほどのタイマーが個人で動くのは稀なのだが、矢島がタイマーを購入したらしき形跡は残っていなかった。海外で手に入れたのか……それとも不正な手段でタイマーをかき集めていたのか。あの男の底が知れないと綾坂は思う。
ともあれ今は監獄の調査である。
「ん~っと、コーヒーコーヒーっと……」
タイマーケースを自販機に
中央フロアが一望できる吹き抜け三階部分に綾坂はいた。三階には監獄側が用意した、タイマーを稼ぐ施設がある。
ここにいる人間に用があったのだ。
「悪いな急に呼び出して」
「い、いえ、別に忙しいわけじゃないので大丈夫です……」
消え入りそうな声とともに出てきたのは、リ・ミリアル・デ・ヒエロ。通称気弱なヒエロ。
彼女は出身のイタリアだけに留まらず、世界各地を騒がせた大泥棒である。数年前に活動がパったりと止み、業界では彼女は引退したとの噂も流れていたのだが、人知れず監獄に囚われていたということだ。
アルメンドのように脅しているわけではないのだが、どこかオドオドとした挙動不審感が抜けない彼女。いつでもどこでもこうなのだろうか。むしろこういう性格だからこそ、日陰者である泥棒を生業に出来ていたのかもしれない。
綾坂は、今しがた彼女が出てきた部屋の方を指差して尋ねる。
「ところで、ここでは何をしていたんだ? タイマーを稼ぐって聞いていたんだが、その内容まで知らなくてな」
今回彼女を呼び出した目的の一つに、これがあった。この間の監獄が揺れた際にアルメンドに絡まれていたのを、会話の糸口にして話を聞く機会を貰えるように頼んだのだ。
オドオドした様子が抜けないまま、それでも彼女は横髪をいじりながら答えてくれる。長い
「お、お皿洗いとか……そういう雑事かと思ったら、花の
なるほど単純労働か。
監獄に似合った響きだ。
「ヒエロはその全部をしているのか?」
「い、いえ……私は、盗賊だから手先が器用だろうって、書類の入った封筒には触ることができないんです。もっぱら皿洗いばかりでして……看守の人が私たちの適正を見て判断しているんです……監視の目もきつくて、出入り口では毎回不必要な物の持ち込み持ち出しが無いかチェックされるんです……」
「なるほどな……」
おっかなびっくりでたどたどしいが、意外と多くを話してくれるヒエロに頷いて『外部の情報に一番近いのはここなのかもしれない』と、綾坂は考える。
その封筒の中身が気になったが、ヒエロは知らないらしい。監視の目も厳しいという話だから知っている人間は少ないだろう。あとで情報屋にでも聞いておくかと脳内にメモを取る。
気を取り直して、一つずつ聞いていこう。
「皿洗いって、一階の食堂で出た使用済みの皿を三階でわざわざ洗ってるのか?」
ヒエロが言っていた労働の一つ、その想像はあまりにも非効率すぎる。そう思った綾坂に、ヒエロは首を横に振った。
「ち、違うんです……みんな不思議がっているんです。そのお皿、私たちが普段使う食堂のメニューじゃない料理の跡があったりして……他の人は、監獄の外にレストランでもあるんじゃないかって……でも、ありえないですよね。れ、レストランほど人の出入りがあるなら、誰かが監獄の存在に気づく筈なんです……」
「そうだな。だが現実は、監獄の外にいる人間にはほとんど情報が知れ渡っていないような連中だ。俺もレストラン説は現実的ではないと思う」
なによりもここの連中がレストランなんて開いていたら、そのギャップと
「俺たち以外にも、監獄が誰かに料理を出してるが、その肝心な誰かってのが分からないわけか。その量とか種類は? 皿数は多いのか?」
「え、あ、その量は……百人とか二百人とか……かなりあって」
「二百人分!?」
監獄にいる囚人の数が、情報屋曰く四六人という話だから、実に四~五倍だ。それほどの人間が、監獄の外にいるのだろうか。
「で、あの、それが朝昼晩の三食分です。従事する人数によって一人あたりの仕事量が増減するんですが、えっと、私たちの仕事は完全に汚れを落とすんじゃなくて、あの……大きな汚れを水洗いで流す、でいいんですかね……その、とにかく完全には洗わずに、仕上げの機械に入れるために大まかに
聞いている限り、大きなレストランの裏方とやってる事に大差ない。それに三食分の食器がこちらにやってくるという事は、一日中食事を出しているということでもある。なまじ監獄の様相が良質なホテルのそれであるから、ランチやディナーとして振舞われているのでは無いかとも思い始めた。
だが、次の内容でそんな予想に少し無理が出てくる。
「それで次に花の剪定……か。レストランの雰囲気作りか?」
花の枝葉の無駄を切って形を整えることなのだが、監獄は表向きにそんなことをしているのだろうか。監獄に抱いていた陰湿さや薄暗さが、話を聞くほど薄れていく。
「は、はい。装飾に使われるものだと思うんですけど……パッとしなくて、それで、量も少ないんです。それだけだと、あの満足に稼げないというか……もらえるタイマーも少ないんです」
「監獄にとって重要度が低いのかもしれねぇな」
「ど、どうなんでしょうか……私の見た限りでは、あの、個人での観賞用だと思ったんですよ……どうにもお店に飾るといった感じではなくて……だから、皿洗いの件とは関係ないと思うんです」
「見ただけでわかるのか?」
綾坂は残念ながら花のことには詳しくない。そもそも植物全体ダメだった。梅と桜の木の区別がつかないくらいには知識がない。
「え、えぇ、植物には少し知識があるんです。泥棒になる前の唯一の楽しみでしたので」
「すごいじゃないか。どれくらいわかるんだ?」
「そ、そうですね……名前と、その花の持つ特性くらいなら……あ、私がよく見るのは、あのアザレアやコチョウラン……シクラメンなどの明るい色の花が多いんですよ……これがあの、主に観賞用に使われる花でして、量も少ないので」
「店用には使えないってわけか」
皿はレストラン・花は花屋といった風に全く別の使用用途で作られている可能性は十分にありうるが、監獄にはどちらも関係しているものだ。何か関連性がある。
「最後に封筒に封するって言ったな?
封筒を閉じ、その開け口を封じるために蝋を垂らして上からスタンプで固めるものだ。相手の手元に行くまでに蝋が割れていなければ、中身は見られていないという証明になる。そしてそのスタンプの多くは、差出人が分かるような文様になっているはず。
監獄の招待が分かるような手がかりになると思うのだが……。
「ヒエロは封筒に触れしてもくれないって言ってたな」
「あ、はい。そもそも見せてもくれないんです。それが、どうやら給料もいいみたいで……看守に許可を貰った囚人にしか出来ないみたいなんです。でも、あの口が堅いとかはあまり重要じゃなくて……看守の言うことに従順な囚人が選ばれる傾向があるんですよ。だから、そのこう言っては何ですけど、我の強い一階組では見ることも触れることも……その、こんな話をしている時点で、私たちは質問することすら許されないと思います」
「なるほど……かなり機密性の高い内容か。だが、それを囚人にさせているってことは、その機密性を多少損なっても得られる利益があるってわけだ」
大量の手紙で送らなければならない何かがあるのだろうか。
人手を稼ぐ……それが真っ先に思いついたが、やはりこれも、先ほどの皿洗いや花の
だから綾坂は、さらに一歩踏み込んだ。
「なぁヒエロ。大泥棒のお前でも、手紙の中身を盗むことは出来ないのか?」
はじめ聞いたときは忘れていた。
しかしヒエロという名前、綾坂の職業柄耳にしたことは何度もある。世紀の大泥棒の事だと思い至ったのは、静葉と初めて出会った夜に彼女から「彼女は泥棒よ」と聞かされた時だ。
今日、この話を持ちかけた時にはもう依頼しようと決めていた。
「……、」
これまで綾坂の質問には拙いながらも答えていたヒエロとは打って変わり閉口する。
目つきが、変わっていた。
「迷っているのなら、報酬は弾もう」
これが押しの一手になったのかは綾坂には判断できなかったが、ヒエロはスっと顔を上げて歩き出した。中央フロアをグルリと囲む階段を下りながら彼女は言う。
「……ここじゃなんですし、部屋に行きましょう。部屋の中までは看守の目には止まりませんので」
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