第11話・霊安室



 「ちょっと待って。もしかして貴方たち、このまま脱獄を諦めるわけ?」


 綾坂を引き止める静葉は、慌てて少しつんのめる。


 「静葉……今の話聞いてたか? 医者のジイさんがもうじき起きるから、別の機会にもっと計画を練って出直そうって話になったんだよ」


 何をそんなにも焦っているのかと、綾坂は彼女をなだめるように言う。パラムも困った表情をしてこちらを見ていた。


 「ちょっとだけ! 解除だけでもやってみない? それだけで我慢するから!」


 人差し指と親指で、目一杯細めた隙間を作り静葉は食い下がる。


 「しつこいナンパみたいな言い方はやめろ。それになんだ、リスクしかねぇじゃねぇか」

 「も、もしかしたら解除の番号が間違ってるかもしれないじゃない! いざ本番って時に解除キーが間違ってました~じゃ、計画どころじゃないのよ?」


 その言葉を聞いてパラムは頷いた。


 「ハハハ、確かに一理ある。番号を覚え間違っていたのなら、いよいよ俺は滑稽だな!」


 両手を広げて自虐する。

 綾坂も、それを聞いて一瞬不安になった。


 二一桁の数字。しかも音だけで判断したという話だったのだ。それが正確かどうかに不安を残すと、ここ一番という時に動きが鈍ってしまいかねない。


 「ね! 貴方も確かめたほうがいいと思うわよ」


 彼女はグイグイと綾坂のシャツの袖を引っ張って、気づけば霊安室の扉の前に連れてこられていた。なんて強引な女だと綾坂は思う。


 「はぁ……じゃあ見るだけだ。時間を掛けない、音を立てない、必要以上の事はしないと約束してくれ」


 「わかってるわよ。ね、よろしくパラム」


 そして彼女はパラムに丸投げした。

 そりゃそうだ。彼女は開錠の為の番号をしらない。彼女は一歩下がってニコニコとパラムの作業を見るつもりらしい。一方、医者がいつ起きてくるのか気が気でない綾坂は、部屋の端からチラチラと隣の部屋を監視して、医者が起きないかに神経を注ぐこととなった。


 医者はまだ幸せそうな寝息をたてている。


 そしてパラムは作業を開始した。

 その手つきは素人で粗が見られたが酷くはない。まずのっぺりとした鉄の扉を開き、中にある電子ロック版を露出させる。そこに二一桁の番号を打ち込むのだ。酷くはないと言ったが、この手の雑事に精通している綾坂からすればパラムの雑さが目立ってしまい口出ししたくなってくる。欲を言うと、素手でベタベタと触らないでほしい。


 監獄側が、わざわざ指紋採取するとは考え難いが「こう……なんて言うんだ、背中のあたりがムズ痒いんだ。ショートケーキをスプーンで食べている人を見てしまった時のような……わかるか? ちょっとそうじゃない! って言いたくなるあの気分だ」というのが、綾坂の談であった。だがここで騒いではいけない。


 綾坂は思考の矛先を変えることにした。


 「随分と熱心だな」

 「ん? 私に言ってる?」

 「あぁ、今まで黙って聞いてただけなのに、随分と開錠にこだわるように見えたからな」


 なにせ綾坂は腕まで掴まれて引き止められたのだ。

 いつもの静葉のワガママかとも思ったが、何故かそうではない気がした。


 「そんなの理由は一つでしょう? 私は外の世界が見てみたいのよ」


 「そりゃそうだ。監獄ではガラス越しにしか空が見えないもんな」


 唯一中庭の天井にあるスリガラスも、昼と夜が分かる程度でしかない。この監獄には窓がない。風の音も聞こえなければ、虫の調べも聞こえない。


 何も知らずに監獄に来れば、大きなホテルかと思うだろう。それほどまでに豪奢で広い。だが一人でいると、凍えるような孤独感が押し寄せる。そういう恐怖がこの監獄には確実にはびこっている。


 ふと、今度は静葉が訊ねてきた。


 「ええ……貴方は空を見たことはある?」

 「あるだろ普通。ここに来る前、最後に見た空は雨雲に覆われていたがな」

 「そうよね」


 静葉が、何やら普段とは違う表情をしていたような気がする綾坂であったが、その真相を知る前に、パラムから声がかかった。


 「ハッ! ほらよ、ロジャーの記憶は間違いじゃなかったぜ」


 どうやら開錠できたらしい。

 彼は恐る恐る取っ手を掴み引き開ける。

 思わず息を飲んで覗き込む綾坂と静葉。



 しかし希望は裏切られる。

 その扉の向こうには、もう一つ扉があったのだ。



「……え? なによこれ」



 同じ一メートル四方の鉄製の扉。真ん中あたりにガラスの板がはめ込まれており、霊安室の中が見えるようになっていた。静葉が食い入るように覗き込む霊安室は、医務室の光が差し込んでいたため辛うじてその姿を現した。


 横幅2メートル・高さ1.5メートル・奥行3メートルの四角い部屋の真ん中に、木のひつぎが安置されていた。あそこにロジャーが眠っているのだろう。


 その部屋の対面には、パラムが言ったとおり小さな扉がある。


 「あそこがここ以外の場所に繋がっているのね……」

 「だけど予想外なことが起きちまった」


 そう、もう一つの扉は引けば開く単純なものではなかった。

 ガラス窓の隣に問題があったのだ。


 「ほぉ……指認証式の電子錠、このような二重ロックが課せられているとは」

 「指認証式?」


 静葉が霊安室の中を見たまま首をかしげる。

 綾坂は医者の様子を改めて注意しながら、彼女の疑問に答えた。


 「指の静脈を瞬時に判別し、登録していた人間の場合だけ開錠されるシステムだ。これじゃあ暗証番号のようにはいかない。パラム、これも知っていたのか?」


 「いや、ロジャーはこんなものがあるとは言っていなかった。耳で聞いて覚えていたせいで暗証番号しかわからなかったのだろう。目で見ていればコイツにも気づけたかもしれねぇが」


 今となっては後の祭り。

 例えパラムが巧妙に計画を進めていても、ここで躓いていた。最初から失敗する計画だったということか。綾坂は残念そうに、パラムは自嘲気味のため息を吐く。

 だが一人、やはり諦めてない少女がいた。


 「じゃあ皆一回ずつ指認証してみればいいのじゃないかしら? 運良く開けば御の字じゃない! いい案ね。採用。私から試していいかしら?」


 珍しいものを使ってみたくて仕方がないのか、それとも目の前の障害を早く乗り越えたいのか。静葉は言うやいなや電子錠に手を伸ばす。


 「ストップだ静葉」


 その手を綾坂は掴んで静止した。


 「なによ。試してみるくらいいいでしょ」

 「ダメだ。必要以上のことはしないって言っただろう? それに指認証はまずい。データが取られたら動かぬ証拠が残っちまう」


 扉に素手で触れたのは拭けばいいし、暗証番号を開錠したのは誰かなんてわからない。指認証でデータが取られるかどうか――アラートが鳴る可能性もある――そんなこと綾坂にも分からないが、リスクしかないチャレンジはやめたほうがいいというのが彼の立場であった。


 綾坂が止めた理由はそれだけではない。


 「それに、そろそろ医者が起きるかもしれない」


 隣の部屋で医者がもぞりと動き出していた。これ以上綾坂は譲歩出来ない。


 「でも……」

 「静葉。脱獄して外の世界に本気で出たいなら今日は諦めろ」


 その真剣な眼差しに、普段は我を通す静葉が圧倒された。


 「もう、つまらないわね」


 だけど文句は欠かさない。

 ぶつくさ言いながら従ってくれた静葉に苦笑しながら、綾坂とパラムは手早く霊安室の扉を閉める。すぐに霊安室のある一角から離れて医務室を出た。


 談笑しているフリをしながら中央フロアに出てきた三人。

 医者が目を覚ましたのはその直後だった。



  ***



 同日夜。

 綾坂は自室のベッドの上で座っていた。

 ビジネスホテルのベッドよりも心地よい柔らかさに感動しながら、今日一日の出来事に思いを馳せる。


 「仮面付き殺人事件」は犯人が特定できないまま迷宮入りした。そういうことになっている。綾坂がそう仕向けた。パラムと言う協力者を得たことで、監獄での活動は多少楽になるだろう。


 殺人事件が起きた手前口に出すのは憚られるが、綾坂はこの事件で唯一得をしたと言える。脱獄の糸口も僅かだが掴めた。霊安室の扉の機能だが、中庭の最奥にある扉も同じものがあると見たほうが良さそうだ。


 現在の脱獄ルートは三つと、他に推測が幾つか。

 霊安室と中庭の最奥にある「どこにも繋がっていない扉」。

 最後に看守たちが出入りしている看守室だ。

 この様子だと、食堂にも隠れている扉があるかもしれない。

 



 綾坂はトランクスパンツとシャツ一枚でブランケットを被っていた。寒くなく暑くもない快適な室温である。


 部屋にあるウォーターサーバーから汲んだ水で喉を潤して、ふと『タイムアウト事件』で使われていた水時計のシステムを思い出す。矢島とかいう刑事がそれで一度寿命タイムアウトしたという話だが、まさかこんなところにまでシステムが使われているなんてことはないだろう。


 綾坂はそんな『タイムアウト事件』の後処理をしている間に監獄に投獄された。あの時はまだ監獄のことなんて1つも分かっていなかったが、数日経った今では認識がかなり変わっている。




 そう……監獄の現状も漠然とわかってきた。


 「戦争」があったと知った。

 看守たちの「無関心」があることもわかった。

 刑が無く罪が無い。

 懲役が無ければ釈放がない。

 無限の牢獄。

 しかし監獄は陰鬱としておらず強制がない。

 欲しいものは外の世界と違わず「タイマー」で手に入る。

 昨日の地震も気がかりだ。


 そんな漠然とした情報整理。

 だが綾坂を混乱させた情報がまだ一つ残っていた。

 それは事件のあとパラムとの会話である。




 「オールド・ロジャー。彼の名前は『古い宿泊客』って意味で、監獄の誰かが呼び始めたのがきっかけで広まったらしい。名前のとおり監獄でも最古参の大物だ」


 「突然どうした? それも共有したい話か?」


 「いや、それほど重要な話ではない。これは静葉についてだ」


 「……? それがロジャーの名前となにか関係が?」


 「あぁその通りだ。生前のロジャーから聞いたのだよ。





 『あの嬢ちゃんは、オレここにいる』





 嘘か真かは俺にはわからない。そういう話があったと伝えておこうと思ったまでだ」

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