第9話・交渉



 うとうとしていた医者が騒ぎに気づいて顔を上げ、パラムが新たに加わっていることに気が付くと、寝ぼけて間延びした声で尋ねてくる。


 「ところでお主よぉ。薬は先ほど渡したはずじゃが?」


 「薬?」


 「あぁ、それなら俺のことだ。さっきジイさんから睡眠導入剤を貰ったのでな。そいつが無いと寝れねぇんだわ」


 パラムは苦笑いしながらポケットから錠剤を取り出してヒラヒラと見せた。

 そして続ける。


 「それに、ここに来たのは薬の件ではない。ジイさんの様子を見に来たのだよ。なにせ監獄は暇でな。話でも出来れば十分に暇が潰せる」


 もう通い慣れているのだろう。パラムは診察台の上に遠慮なく腰をおろして足を組む。綾坂は彼の言葉に首をかしげた。


 「情報屋が二階組や三階組からタイマーを受け取った商売をしているんだ。何か、稼ぐ手段があるんだろう? なければそいつらはタイムアウトしちまう。暇つぶしにその労働にでも従事してこればいいじゃないか」


 「ったく、綾坂よ……俺を誰だと思っているんだ? 国を牛耳る国会議員様だぞ。私腹ならたっぷり肥やしてあるさ。この監獄でもタイマーに困った事は無いし、労働なんてもんはそれ以外に方法が無い者たちの手段だ」


 パラムは尊大に、だが綾坂に呆れたような口調で言う。若干答えになっていないようなきもするが、このあたりに、犯罪者根性が染み付いていると綾坂は感じた。


 「確かに、タイマーが稼げるところはあるけれど、オススメはしないわよ」

 「静葉は知っているのか?」

 「少しね。私も聞いた話だから実際はどうか知らないのだけれど……」

 「働いてないって事は、静葉もタイマーを持っている側か」


 一体どうやってタイマーを手に入れているのか。

 それとも寿命を削っているのか。

 綾坂は彼女の真相を探れずに、疑問だけが募ってゆく。


 「一階組は全員そうだぞ綾坂。大概の者が裕福な生活をしているのだ。監獄の中だが、俺たちがタイマーに困るって事はない。一級の犯罪者たちは生きる知恵も経験値も一級品だ。そう簡単にくたばるような連中ではないさ」


 つまりは外の世界と同じく、監獄においてもタイマーを稼ぐ手段などいくらでもあるということだろう。犯罪まがいの稼ぎ方をしている囚人がいてもおかしくない。

 静葉は言う。


 「だから、一階組に加わった貴方の素性を、みんな知りたがっているわけなんだけどね」

 「なるほど。想像にお任せするよ」


 そこでぼんやりと、綾坂は予測する。綾坂を投獄した組織の連中は、彼が刑事だということを当然把握しているだろう。しかも実力者の集まる特別時間管理課。勝手に生きる力は高いと判断されて、名だたる犯罪者と同じ一階組に分けれられたのかもしれない。なぜ、刑事である綾坂が投獄されているのかは、未だに理解しがたい異常事態なのだが、元よりそのつもりだった彼にとっては僥倖である。せいぜい脱獄するまでは上手く生き残らなければならない。


 そう考えていると、パラムが顔を上げた。


 「おっと、お喋りしている内にジイさんが寝てしまったようだ」


 綾坂と静葉も、黙りこくっていた医者の方を見る。

 よほど疲労が溜まっていたのだろう、確かに寝ていた。

 それも机に突っ伏してぐっすりと。


 「これは一度出直したほうが良さそうだ。ジイさんが寝ているのに、ここで騒ぐわけにはいかないであろう」


 パラムは立ち上がり、静葉もそれに続く。


 「


 医務室の戸に手をかけていたパラムの背中に、綾坂はそう呟いた。


 「……?」


 首をかしげる静葉は綾坂の真意に気づいていない。

 彼はパラムがしていたように、診察台の淵に腰をかけて続けた。


 「最初に一つ、確認しておきたいことがあるんだが、この医者はあとどれくらい寝ている予定だ? 大体の時間でいい」

 「はぁ? そんなのわかるわけないでしょ。わざわざ起こすんじゃあるまいし、机の硬さですぐに起きるんじゃないの?」


 綾坂の突飛な質問に、静葉は律儀に返答する。

 だが、彼が顔を向けていたのはパラムだった。


 「あんたならわかるだろう?」

 「さて、質問の意図をはかりかねるが……静葉がわからないのと同様に俺もわからん」


 パラムと静葉がそろって怪訝な顔をする。

 そんな二人を尻目に、綾坂は机で寝ている医者の顔を覗き込む。


 「……今は確実に寝ているな。じゃあ確信に入ろうか。手短にすれば、医者が起きる心配もないだろう」


 綾坂は、これこそ最善のタイミングだろうと考えた。


 「あのねぇ、わかるように言ってくれるかしら」



 「わかったんだよ。仮面付き改め『』殺人事件の真犯人の正体がな」



 「ほぅ……それは興味深い。暇つぶしにはもってこいの話題だな」


 開きかけていた戸をパシャリと閉めて、パラムはそこにもたれ掛かり腕を組む。静葉も綾坂の妙に自身有りげな態度に眉をひそめながら手近な椅子に座り直した。どうやら綾坂の話を聞く気になったらしい。


 「さて、どこから話そうか」

 「どこからも何も、誰が犯人なのよ?」

 「そうだな。もったいぶる必要もないか」


 静葉が急かし、綾坂は頷いた。


 「犯人はそこにいる……パラムだ」

 「……、」


 名指しされたパラムは、それでも目を閉じて腕を組んだままだった。

 むしろ大きく動揺したのは静葉の方である。


 「えぇ!? 貴方それ本気で言っているの?」

 「もちろんだ。そうだな……俺がパラムを犯人だと言う根拠を上げていこう」


 矢島は改めてパラムと静葉の顔を見た。黙っているところを見るに、口を挟むつもりはないらしい。綾坂は人差し指を立てて「まず一つ目」と話し始めた。


 「真っ先に気になったのは凶器だ。被害者は鋭利な刃物で首の大動脈を切断されて死亡していた。だがそんなもの、この監獄内で囚人が所持できるような代物じゃない。だったら何か、別のもので代用した。そう考えるのが妥当だろう? んで……そいつがコレだ」


 綾坂はスーツの内ポケットから、丸められたハンカチを取り出して見せる。


 「それは?」


 「パラムのハンカチだ。食堂のゴミ箱を漁ったら出てきた。開いてみるとこの通り、中には凶器に使用された皿の破片があったんだ」


 それは被害者の血に濡れた破片。昨日、アルメンドとヒエロが起こした食堂の一件。そこで割れた皿を回収するパラムを見ている。偶然起きた騒動の中であの仲裁が演技なのだとしたら、パラムも相当な演技力だと綾坂は感心しながら続きを話す。


 「これでパラムが凶器を持っていたことはわかっただろう?」

 「ふむ……ハンカチの持ち主も皿の破片を拾ったのも俺だとは認めよう。だが綾坂よ。だからといって犯行に使用したとまで言われるのは心外だな」

 「他にも根拠はあるさ」


 あくまで冷静な態度のパラムに、綾坂は「二つ目にわかったことだ」と推理を続ける。


 「殺された寝たきり男は、おそらく彼の信頼した人物に殺されたんだろう。遺体に抵抗した跡が無かった……正面から真一文字だ。皿の破片なんて持って近づいても受けいられたほどには親しい関係だったんだろう」


 親しくない人間を、破片で殺されるほど近くに寄せるとは考え難い。


 「それじゃあパラムは、その寝たきり男と親しかったわけかしら?」

 「今の綾坂の発言だけで、どうしたら俺とあの寝たきり男が親密だったという事になる? 俺はあの男の噂を聞いていただけだ。素性も何も知らないな」


 静葉の疑問をパラムはバッサリ否定する。

 そして綾坂は、シラを切り続けるパラムの発言を肯定した。


 「確かに、今のだけでは何の根拠にもならない。俺がパラムと寝たきりが親しかったと思う理由は、寝たきりの遺体にあった。右手の欠損していた指。何か引っかかっていたんだ。そして思い返してた。初めて仮面付きに出会ったとき、果たして彼の指は欠損していたのか?

 答えはNOだ。

 全部健常だった。この手で握手までしたから覚えてる。つまり、俺が初めて会った時の仮面付きと、今朝中庭で殺されていた寝たきり男は別人ということだ。それに加えて動かなくなっていた左足の件。さっきパラムは、寝たきり男の素性もしらないと言っていたが、少なくとも左足が動かないことは知っていたよな。部屋に籠りきりの男の足事情なんてどうして知っていた? 親しくしていて顔を合わせて話すような仲だったんじゃないのか? 初めて会った仮面付きはちゃんと左足を棒にする程度には演技をしていた。それもパラムの仕業だったってわけだ」


 半分推理で、半分推測であった。


 パラムが仮面付きだと推理したのは、二人の背格好と握手の仕方が似通っていたいた事にも起因する。握った時の手の感覚が全く同じだったといってもいい。こういう末端神経の感覚は証拠としては頼りないが重要となってくる。


 「そのようなこと同じ監獄にいる以上知っていても不思議ではない。俺が仮面付きだったというのも綾坂の妄想だろう」


 案の定、パラムは毅然と首を横に振った。

 綾坂はこれも見越して話を進めている。迷わず反論し追い詰める。


 「いや、おかしいんだ。情報屋が、顔を見てもすぐに誰だかわからなかった被害者だぞ。それを中庭に入ってくるなり『寝たきり男』と断じた。まだすぐそばに仮面があり、普通なら仮面付きだと判断するところを、だ」


 綾坂は、気に食わないながらも情報屋から発せられる情報は信頼していた。彼はプライドを持って情報を売っている。彼は人を騙しても、嘘は付かないタイプの人間だ。そんな情報屋よりも詳しいパラムに目をつけたのは無理もないだろう。


 「……、」


 「なぁパラム……最後に質問だ。この医務室で何をしようとしていた?」


 部屋の空気が凍った。それまでため息でも吐きそうなほど余裕があったパラムが息を飲んだ。静葉は半分位ついていけずに視線が医務室の中を泳いでいる。

 一拍開けてパラムは答えた。


 「何をしようとなにも、言っただろう……そこのジイさんの様子を見に来ただけだ」

 「そう、様子を見に来た。睡眠薬を貰ったあとにな」

 「……何が言いたい」


 パラムが凄む。

 そろそろ体裁を保つ余裕すら無くなったのかと綾坂は観察する。


 「睡眠薬を貰った後に……肝心の医者が、偶然眠たくなって寝た? 偶然だと考える方が難しいだろ。パラムが医者に睡眠薬を盛った……そう考えるのはおかしいか?」

 「じゃあなに? パラムはおじいちゃんが寝たかどうかの様子を見に来たってわけかしら?」


 ようやく気がついた静葉が、ハッとパラムの方を見た。だがその体は一歩も引いてない。静葉は人殺しが隣に立っていようと動じない。そもそもこの監獄は、そんな人間ばかりなのだ。だからむしろ淡白に事は進む。


 「静葉の言うとおり……医務室で何かをしようとしていたのは明白だろう」

 「例え綾坂の推理が正しかろうと、俺が言うわけが無い」


 状況証拠だけでは、パラムに白状させるのは難しいらしい。


 だから綾坂は次の手に出た。


 「ここまで証拠をばら撒いておいて余裕でいられるのは、看守がしっかりと捜査しないことを知っていたからだろう? だけど俺は違う。確実な証拠が取れる方法を知っている」


 そんなものいくらでもある。


 「……、」


 黙るパラムに綾坂は一つずつ並べていく。



 「まず一番確実なのが、寝たきり男を殺害したときにかかった返り血だな。パッと見たかぎり、落としたのかそれとも何かで防いだのか……パラムの体を調べるか、返り血の付着した物を監獄内で探せばいい。凶器だって食堂のゴミ箱に捨てたんだ。すぐに見つかる。

 そして寝たきり男がいた部屋も調べよう。パラムの毛髪が出てくれば、それが通っていたという動かぬ証拠になる。

 仮面付きに使っていた仮面も調べよう。あんたの指紋が出てきたら、それはあんたが仮面に触れていた……仮面付きだったという証拠になる。何しろ仮面付きの仮面が剥がれたのは、今日が初めてだからな」



 まくし立てる綾坂と見て、静葉は戦慄した。監獄の脱獄を宣言していたビックマウスの期待はずれが、どうしてここまでスラスラと推理を披露してみせるのか。彼女には不思議でならなかった。


 「あんた一体何者?」


 思わず口をついて出た一言。

 綾坂はその言葉を待っていたと言わんばかりに口角を上げて宣言した。


 「俺はこの監獄を調査しに来た警察だ。目的は監獄の秘密を暴くことにある」


 この事が、外部に漏れる可能性は無い。ここまで提示したのは、パラム交渉の為の布石。必要なピース。僅かに眼光が鋭くなったパラムに対して、綾坂はトーンを落として近づいた。


 「なぁパラム。勘違いされるのは好きじゃないからハッキリと言っておこう。これはあんたが犯人だと暴くためにやっているんじゃない。ましてや監獄側に報告するためにしていることでもない」


 「……、」


 「これは交渉だ。パラム……俺に協力しろ。そうすれば今回の犯行は黙っておいてやる」


 殺人は許せない。

 犯罪は全てこの手で根絶やしにすると決めた。

 しかし、この場においてそれは悪手だ。

 監獄の正体を暴くためには、些事は捨てねばならい。


 「俺があんたの犯行を暴けると言ったのは嘘じゃない。協力が得られないのなら、ただ殺人犯として処理をするだけ……俺は正義に准する人間だ。それが特例で見逃してやろうって言っているんだ……協力しろ」


 これは監獄攻略の為の第一歩。

 事を成すには協力者が必要だ。その点においてパラムは都合がよかった。他のモノたちではアクが強すぎる。協力を取り付けるのだって一苦労しそうな連中ばかりだ。パラムは仮面付きとして監獄内を歩き回っていた実績もある。これはまだ憶測だが、意外と隠密行動が得意なのかもしれない。

 そういうことを踏まえてのパラムへの交渉。


 ……静葉は、なんかくっついてきたから成り行きで巻き込むしかない。彼女が綾坂に取っ手の唯一の想定外だった。だからといってこの機会を逃すわけにも行かなかったのだ。


 綾坂はパラムの答えを待った。

 戸にもたれ掛かり腕を組む彼は、目を閉じて黙り込む。

 そんな二人に気圧されたのか、珍しく雨宮も固唾を飲んでいた。



 数十秒の後に、パラムはゆっくりと口を開く。


 「……俺は、この計画に賭けていた」


 「……、」


 「成功すれば、脱獄だって視野に入っていた。それを全てお前にぶち壊された」


 「……ッ!」


 「……綾坂、お前の勝ちだ。今回はお前の観察力に免じて譲ってやろう」


 「だったら……」


 「あぁ、協力してやる。その言葉、次こそ真実にしてみせろよ!?」


 パラムは組んでいた腕を解き、右手を綾坂に差し出した。

 それだけで全て伝わった。なにせこれで三回目だ。

 綾坂は笑ってパラムの手を握り返す。



 交渉成立が――成立した。

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