第8話・医務室
「なぁ、遺体と看守はどこに行った?」
中庭に戻ってきた綾坂は、その閑散とした状況を見て尋ねた。
「あいつら、仮面付きだか寝たきりだかの身元がわかった時点で興味を無くしたみたいだ。さっさと遺体を運んで帰っていったぜ。」
どうやら一部始終を見ていたらしいアルメンドは、吸っていた煙草を灰皿でもみ消して答える。彼の目線の先には、仮面付きが作った血痕だけが雑然と残されていた。封鎖されていないどころか、看守の一人も立っていない。
運び出されたのを綾坂が見ていないということは、食堂で考え事をしていたときにでも運び出されたのだろう。
「興味をなくした? あの神経質そうな女の看守が?」
「んなこと俺に言われても知らねぇよ」
まだ昼前。ロクな捜査もせずに切り上げたということになる。監獄内での犯罪など、本来見過ごすことの出来ない事態。綾坂はその看守の行動に違和感を覚えた。それは小さいが、見過ごせない。
そこに静葉がやってきた。
「騒がしいと思ったら……なるほど殺人があったのね」
血だまりを見つけた彼女は、涼しい顔をしてため息をつく。
それに顔をしかめたのはアルメンドだった。
「チッ、殺人現場にガキの居場所はねぇぞ」
「はいはい、いちいち突っかかってこないでよ。それに、殺人事件があった場所でしょう? そんなこと、私は気にしないわよ」
ヒラヒラと手を振って、静葉はアルメンドから離れた場所にあるベンチに腰を下ろす。彼女はそのまますりガラス越しに見える空を見上げていた。どうやらただリラックスしに来ただけらしい。それが殺人事件のあった現場でも、同じように振る舞えるかと言われると、刑事の綾坂でも気分がいい物ではないが、彼女には全く気にする様子がない。
「随分と、慣れているような態度だな。監獄に来る前はそういう世界にいたのか?」
そういう世界とは、日常的に死が隣り合わせの命がかかった世界。それも彼女は医者や葬儀屋といった雰囲気ではない。だがアルメンドのように戦場にいた訳でも、綾坂のように死人を見聞してきたような経験も感じられない。
一見ただの女子高生と変わらない。
しかし、彼女の答えは諦観を感じさせる平坦な口調だった。
「監獄に来る前? そうじゃない。私にとって誰が死んだとか殺したとかあまり関係ない。人はいずれ死ぬものよ」
綾坂は目をみはる。アルメンドは舌打ちして明後日の方を向いた。
「外から来た人達は私の価値観を聞いてみんな驚くけれど、そんなの外の世界での価値観。私は監獄に来る人たちを見てきた。私は監獄から死体になって出ていく人を見てきた。そういうサイクル。殺人があった場所に私の居場所がないって言うなら、この監獄自体から追い出して欲しいわね。喜んで出て行くわよ。なんなら死んでみるのも一つの手かしらね」
「このガキ、いっつもソレだ。流石最果てにいるだけはある。ネジが外れてやがるんだ」
アルメンドの言うとおり、静葉は少し常人と価値観が異なるらしい。
「しかし……そんなに頻繁に人が死ぬのか? あくまで監獄だろ? 看守はいったい何してる?」
「人の死は沢山見てきたわ。でもそれはほとんどがタイムアウト。寿命で死んでるだけ。殺人じゃない。私からすれば、どちらも似たようなものだけどね。殺人は一年前に一度だけ、大規模なものがあったくらいね」
思い出すように話す静葉の言葉を、アルメンドが引き継ぐ。
「戦争か」
「戦争?」
不穏なワードが聞こえてきた。
監獄では本来聞かないはずの単語だが、それが余計に気味悪さに拍車をかける。
「一年前に、監獄を二分する二つの勢力があったんだ。そいつらが一つの爆破をきっかけに喧嘩を始めた。その苛烈さは戦争といっても過言じゃない。傭兵だった俺が言うんだ間違いない」
「それで、その戦争はどうなった?」
「片方のトップが足を吹き飛ばされて組織が瓦解した直後、看守達の武力制圧によって幕を閉じた。どっちも大量の死者が出た。だけど殺したのは囚人同士じゃない。最後にハイエナみたいに出しゃばってきた看守たちに殺されたんだ」
アルメンドは三度舌打ちして息を吐く。
「組織が瓦解って、そんなに激化するまで看守は動かなかったのか?」
「そもそも興味がないのよ、アイツらは。最後に出てきたのも、勢いづいたもう片方が、監獄そのものに手を出そうとしたからで、それまでは静観・様子見……今回の殺人事件だって、血だまりを残してさっさと撤収しているのを見る限り、死体の片付けをしただけって感じね」
興味がない?
綾坂はますます混乱した。
わざわざ罪人を世界各地から拉致して監視下においているのではないのか? まるで無法地帯ではないか。何のために監獄などに閉じ込めている? この監獄の目的がわからない。
「じゃあ、犯人を探す気はないってことか?」
「そうなるわね」
「さっきの看守長の怒声だって、その場で見つかればいいと思ってる程度のもんだぜ。よっぽど目立つ証拠でも残っていない限り、あの場で犯人は特定されねぇよ」
綾坂の刑事としての思考では、全く理解のできない領域であった。
ただ、一つわかったことがある。綾坂が見当をつけている真犯人の正体を、看守側にわざわざ報告してやるのは、もう少し情報を集めた後の方がいい。綾坂の目的は、この殺人事件の犯人を捕らえて牢屋にブチ込む事ではない。そんな次元はとっくの昔に過ぎている。
監獄の情報と脱獄。この二つのために、清濁飲み込まねばならないようだ。
そのためにも、まずは事件の全容を把握しなければならない。
彼は尋ねる。
「ところで、監獄で死んだ死体はどこに運ばれるんだ?」
「え、そんなこと知ってどうするのよ?」
「少し気になっただけだ。そのへんに捨てるってワケじゃないんだろう?」
知れば知るほど粗が目立つ看守たちだが、遺体を野原に捨てるほど冒涜的な連中だとは思いたくない。いや、そんな奴らに監禁されているという想定はしたくない、と言ったほうが正しいか。
「さぁ? 最終的に何処に行くかなんて知らないわ。けれど死んだ人たちはみんな霊安室行きね。医務室の奥にあるの」
「医務室か」
綾坂は監獄内の施設を思い浮かべる。
確か、中央フロアにそれらしき部屋との扉があったはずだ。
「チッ、あのジジィがいるとこか。通りで死臭がすると思ったぜ」
「どうして貴方、死臭なんてわかるのよ……」
「戦場で生きてきた男の経験則だ。我が儘お嬢ちゃんにはまだまだ早い話だな」
「はぁ!? 威勢ばかりいいみたいだけど、あっさりこの監獄にいるとことを見るに、大した傭兵じゃなかったんじゃないの~? 昨日だって『屈強な』に一発で伸されてたしねぇ」
静葉も昨日の食堂の一件を見ていたようで、クスクスと笑う。
「じゃ、俺はこの辺で失礼するよ」
また騒がしい煽り合いが始まりそう――残念ながらもう始まっている――だったので、綾坂はさっさと背中を向けた。もうこの中庭には要はないのだ。
しかし静葉がこちらを向いた。
「ん? 医務室に行くのかしら?」
「そのつもりだが」
「じゃあ私も行くよ。ここにいるより貴方に着いていった方が、よっぽど有意義でしょうしね」
一人の方がいいのだが、どうせ彼女には言っても通用しないだろう。
「アルメンドはどうする? 見に行くか?」
「ハァ!? 俺が行くわけねぇだろ。さっさとそのガキ連れてどこか行ってくれ」
一人も二人も変わらないと思って、何気なしに尋ねると、思い切り拒絶された。見ればアルメンドと静葉が野良猫の喧嘩のように威嚇し合っている。あっちいけと手で言うアルメンドを、静葉は元よりそのつもりだと中庭を出て行った。
彼女の後を追いかけて綾坂も中央フロアに戻る。
最果ての監獄のいいところは、移動に手間がかからないことだろう。中央フロアにさえこれば、殆どの施設がここと繋がっている。
医務室も、数秒歩けば着く距離だ。
***
「おかしなことを言う奴もいたもんじゃ。だが遺体が見たいなら看守長にでも許可を取って来い。ワシの権限では、霊安室の開錠は出来んのでな」
小さな診療所といった雰囲気の医務室に綾坂と静葉はやってきて、霊安室を開放してくれるように頼んでみた。だが、偉そうな椅子に腰を掛けている白衣の老人が、心底面倒そうに綾坂の要求を突っぱねる。
この老人が、最果ての監獄にいる唯一の医者らしい(闇医者をしていた囚人がいるとかいないとかは、今回は関係ないので無視しておこう)。
その医者の視線からするに、診察室の奥にある扉が霊安室になっているのだろう。
「じゃあ遺体の状況くらい記録してあるだろ? そいつを見せてくれ」
実物を見たほうが確実だと思ったのだが、看守長に許可を取りに行く無謀さを考えれば紙の記録でも十分だ。医者は山済みになった資料の一番上から、デジタルカメラを取り出した。
「……コイツで写真は撮ってある」
「写真だけ?」
驚いた綾坂の言葉を、静葉が代弁してくれた。綾坂が記録と言ったから、彼女は数字やらなんやらのデータで出てくるとでも思ったのだろう。実際綾坂もそう思っていた。
「囚人の負傷や死傷をいちいち記録などせんのじゃよ。運ばれてくる死体など、ほぼ全てが寿命でタイムアウトした者たちじゃろう。唯一つけるのは、死んだという一文だけじゃ」
医者はデジタルカメラをいじりながら、話を続ける。
「とは言え、今回は他殺だという話じゃ。看守らは見なくてもいいと言ったが、ワシが気になってな……手早く撮ったのがコノ写真じゃよ」
医者はそう言って綾坂にデジタルカメラを投げ渡す。
慌てて受け取った綾坂は、礼を言ってからデータを覗く。
「うへ、実物を見るのは流石に穏やかじゃないわね」
「当たり前だ。というか、なに横から勝手に見てるんだ!?」
「いいじゃない、別に減るものでもないでしょう?」
「俺の道徳的な感情が『これはうら若き少女に見せるもんじゃないぞ』って叫んでんだよ!!」
「私が純真無垢な美少女だなんて褒めたって、何も出ないわよ」
「一言も言ってねぇよ!」
なにやらセクハラオヤジみたいな事を言う静葉と、結局はどこまでいっても一般人な感覚を持つ綾坂がデジタルカメラを取り合いする。
「騒ぐのなら、別のところでやってくれんかのぉ。ワシはこれでも眠いんじゃ」
まだ昼なのに、あくびをしながら医者は嘯く。
一応医務室であるはずなのに、葉巻まで吸い始める始末だ。大丈夫なのかこの医者は。
「ほら、貴方のせいでおじいちゃんが呆れているわよ」
「誰のせいだと思ってる……おじいちゃん?」
「……どうしてそんなところに引っかかったのかしら? 言っておくけど、愛称よ。私に家族なんていないわ。そんなことより、探し物は見つかりそう」
いろいろと言いたいことはあったが、彼女の最後の一言で本来の目的を思い出した。静葉に取られかけていたデジタルカメラを強引に取り返して、仮面付きが映った写真をスクロールする。
目的の写真は、首の傷跡と右手の指。そして左の足だ。そしてそれはあった。医者の老人も気になっていたようで、そこが重点的に映されている。
「あぁ、ちゃんと見つかった。パッと見た記憶を頼りにするのは心もとなかったが、改めて見て確信できたよ」
「犯人の目星がついたの?」
「そ……いや、そうじゃない」
「……?」
静葉の質問に思わず『そうだ』と肯定しかけて、綾坂は無理やり軌道変更した。横目に、葉巻を吹かす医者がいたからだ。この老人も、監獄運営側の人間だということを、すっかり忘れていた。綾坂の目的のため、ここでこれ以上話すのはやめたほうがいいかもしれない。そうやって、綾坂は自制する。
一度でも綾坂の目的がバレたら、監獄を生きて出ることは絶望的になってしまう。
そんなとき、医務室に新たな人物がやってきた。
元汚職国会議員のパラムだ。
「ほぅ、静葉の嬢ちゃんと綾坂じゃねぇか。どうした医務室なんかで? 避妊か?」
「開口一番から最低だなぁオイ!」
「安心して。私は彼女以外とのセックスには興味は無いの」
「若い少女の口からナチュラルに出てくるそんな単語聞きたくなかった」
「ハッハッハ、打ち解けているようでなによりだ」
「どうやったらこれが、打ち解けているように見えるか小一時間問い詰めていいか?」
綾坂は頭痛のする思いでため息をつく。
だが、そうしながらもパラムが来たことで方針は決まった。
あとはタイミングだけだ……。
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