第7話・破片

 「……」


 現場を仕切る『看守長』に追い出された綾坂は、缶珈琲を飲んでいた。

 彼は考え事をするときに、珈琲を飲むのが常だった。監獄でも売っていることを知り、先ほど『タイマー』を支払って買ってきたところである。ちなみに缶珈琲は『十分』、隣に置いてあったパックの牛乳は『一時間』だった。

 綾坂は広間を適当に歩きながら、事件について考える。『看守長』にはあえて言わなかったのだが、彼には引っかかることがあったのだ。

 それは寝たきり男の遺体。

 右手の親指と人差し指が欠けていた事が、何か重要な気がしていた。

 その根拠は、昨日初めて仮面付きと出会った時のこと。

 綾坂は彼と握手した。求められるがままに応じた挨拶だが、あの時の仮面付きの右手には違和感はなかった。欠けていなかったはずなのだ。


 「(殺害される時に抵抗して切られたか? いや、断面はもう塞がっていた。今朝に出来た傷じゃない)」


 昨日会った仮面付きの右手には怪我一つなかったはずなのに、殺された仮面付きの右手は欠損していた。その理由にいくつか検討は付くが、どれも確証が持てない。

 缶コーヒーを呷りながら綾坂は悶々とした。

 そうしていると昨日と同じソファに腰を掛けていた情報屋が、片手を上げて尋ねてくる。


 「何か気になることでもあるっていう顔だね」


 彼のフードの下から覗く視線に、見透かされているような気がして落ち着かない綾坂であったが、こうまで露骨に話しかけられると無視しづらい。


 「少しな」


 寝たきり男の右手の事は伏せる事にした。

 ここは犯罪者の巣窟。どこの誰が寝たきり男を殺したのかも分からない今の状況で、推理を気軽に話す気にはなれない。

 だが、情報屋は煩わしそうにする綾坂の表情なんて見ないふりして話を続ける。


 「やっぱり! 私にも相談してくださいよ。仮にも情報屋を名乗っているのですから、使ってもらわないと商売あがったりなのさ」


 同情を引くように肩をすくめる情報屋に綾坂は呆れた。


 「はぁ……商売ってお前、それで金を取っているのか?」

 「もちろん。お金じゃなくて『タイマー』だけどね。私はこれで、監獄内でも裕福さしてもらっているのさ。二階や三階組は、僕の情報が無いと監獄生活に不都合が生じるから、僕の情報を買いに来るんだよ」


 監獄のように狭い世界でも、どうやらカーストはあるらしい。

 聞いている限り情報屋はかなり上の方だろう。

 そして綾坂はふと気になった。


 「無いと不都合が生じる情報ってなんなんだ? ここは監獄だ。外の情報なんて使い物にならないだろう?」


 尋ねる綾坂に、情報屋は首を振って答える。


 「監獄内の情報さ。いろいろあるけど……一番は、看守の巡回スケジュールだね。看守によって厳しさもそれぞれだから、密会とかギャンブルとかしたい囚人は、誰が看守なのか気にするんだよ」


 彼曰くチェックが雑な看守もいるという。

 そういう看守が巡回中は、監視されたくない囚人たちにとって絶好の密会日和ということらしい。看守の個性が強すぎて、巡回看守の人物一つで監獄内の空気がガラリと変わるそうだ。

 綾坂はそれを聞いてハッとした。


 「じゃあ、今朝巡回していた看守もわかるのか!?」

 

 その看守が何か聞いていたかもしれないし、犯人はそこを狙って殺害を実行した可能性もある。その雑な看守が巡回していたなら、寝たきり男を中庭に呼び出して殺すことだって、比較的容易だったはずだ。


 だが情報屋は、ニコリと黙って右手の手のひらを差し出す。


 「ここから先は有料さ『タイマー』一日分で手を打ってあげよう」

 「おまっ……随分とケチな奴だ」

 「言ったじゃないか。監獄での生活が掛かっているんだ。悪いけど譲れないよ」


 一切動じず手を向けてくる情報屋。もう少し値切ってみようかとも考えたが、結局払うなら変わらない。

 綾坂は諦めて『タイマー』一日分を情報屋に差し出した。


 「ほら、これで教えてくれるんだろうな」

 「はい確かに受け取ったよ」


 『タイマー』を受け取った彼は、それをスルリとパーカーのポケットに仕舞い込む。

 そして人差し指を立てると、こう続けた。


 「聞きたいのは……今朝巡回していた看守だったね。答えは簡単さ『看守長』……あの神経質で胸の大きなお姉さんだけさ」

 「……それだけか?」

 「あぁ、そうだとも。綾坂の質問にはしっかり答えたから満足でしょう?」


 情報屋のその言動に、さすがの綾坂もカチンときた。


 「それが? 『タイマー』一日分に相当すると? 本気で言ってんのか?」


 その情報だけなら、少し考えれば分かっただろう。それだけの事に『タイマー』を支払ったのが馬鹿馬鹿しくて、手を出す気にもなれなかった。

 飄々と嗤う情報屋は、また肩をすくめて諭すように言う。


 「君が了承して、君が『タイマー』を支払ったんだ。ちゃんと契約は成立しているじゃないか。何、監獄での教育料だと思って今回は諦めるんだね」


 「チッ、次はねぇぞ」

 「それは次もある人のセリフだね」


 組む足を変えながら嗤う情報屋に見切りを付けて、綾坂は広間を立ち去る。

 してやられた彼は、悔しさを振り払うように缶珈琲を飲み干し、握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てた。こういう時でもわざわざゴミ箱まで持っていくあたり、彼の真面目な性格を表している。


 「っ!」


 しかし、缶を潰した時に尖った部分で手を切ってしまった。


 「ったく、朝から散々じゃねぇか……」


 食堂に入りテキトウな席に座りながら、思わずボヤく綾坂。


 「監獄内に凶器に使えるような物はないって話じゃなかったのかよ。しっかり凶器として成立していたぞあの缶珈琲。ん? ……凶器?」


 傷ついた手のひらを見つめ、彼は硬直する。

 パズルのピースが、脳内で急速に揃っていくのを綾坂は感じた。


 「凶器に心当たりがある。それが正解なら犯人は絞られる……」


 思い出したのは昨晩の食堂での事件。

 ティターニャとアルメンドが起こした騒ぎで、皿の破片が飛び散っていなかったか?大きめの破片があれば、首を切り裂くのに十分な得物になったはずだ。

 あの場にいた人間が怪しいが、アルメンドはないだろう。騒ぎの後すぐに『屈強な』に連れて行かれたから、そんな時間はなかったし、あの騒ぎが演技だったようには見えない。それでは『屈強な』から散らかった食堂を片付けるように言われたティターニャか。それともアルメンドを止めに行ったパラムか……。

もう綾坂の中では、真犯人に見当がついていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る