第6話・仮面付き殺人事件
「死因は首を切られたことによる出血死か……」
仰向けに倒れている男に駆け寄った綾坂は、被害者の様子からそう結論づける。
しかも他殺で間違いないと彼は確信した。切り口が、背後から手を回されて刃物で切られた跡だったのだ。自殺ではこんな切り口はつかない。
「ったく、どうして俺の不快なことばかり起きるんだクソッタレ」
綾坂が遺体を観察している横で、そうボヤいたのはアルメンドである。
「監獄では、こういうことはしょっちゅう起きるのか?」
イライラを隠さないアルメンドに、綾坂は監獄での立場を忘れて質問した。刑事であることを隠すとか、そんな余裕はない。一刻も早く容疑者を割り出して、犯人を暴くことだけを考えていた。
「起きてたまるか。そんなのは戦場だけで十分だ」
「アルメンドの言うとおりだよ綾坂。監獄内で殺人が起きたのは一年ぶりだ。それに加えて被害者はこの男か……」
アルメンドの言葉を肯定し、新たに中庭に入ってきたのは情報屋である。騒ぎを聞きつけて、スキップでもしながら野次馬しにきたのだろう。彼と同様に、中庭の入口には、見たことのない囚人が数人たむろしていた。彼らには綾坂が既に「入ってくるな」と命令している。
そして問題は被害者の素性であった。
「仮面付き……誰も素性を知らない囚人か」
監獄など謂わば密室。
素性が知れていれば、殺害の動機がありそうな人物から容疑者をしぼり込めるのだが、よりにもよって仮面付き。綾坂に至っては、昨日握手をした程度の関係だ。
「私も素性を知らなかったが、彼が死んだことでようやく判明する」
「おい、新入り。早く仮面付きの仮面を取って素顔を見せろ」
情報屋とアルメンドが綾坂を急かし、元々そのつもりだった綾坂も迷いなく仮面付きの仮面を取り外す。真っ白な薄い陶器の面は、返り血を浴びて不気味に染まっていた。
「……っ、なるほどな」
「顔を隠したがるわけだ」
綾坂と情報屋が顔をしかめる。
なぜなら仮面付きの顔は、火傷でほぼ原型を留めていなかったのだ。
綾坂は検死を続ける。
「左足が使えないばかりか、顔にまで大火傷。仮面付きの最後は、背後から首を切られての出血死で……死亡推定時刻はたった今から三十分前までの約三十分間と言ったところか」
真剣な顔つきの綾坂を見て、情報屋は意味ありげに頷いて質問した。
「随分と様になっているね。どうして時間がわかるんだい?」
「死後硬直がまだ始まっていない。それに仮面付きの体に体温がまだ残っている。朝の自由時間だった事が幸いしたな。そうじゃなければもっと長いこと放置されていたかもしれない」
朝・昼・晩の食事時は、監獄内の囚人たちが一番多く出歩いている時間帯でもある。第一発見者はアルメンドのようだが、他の囚人たちも何か知っているかもしれない。
そうして仮面付きの右手に触れて体温を確かめた綾坂は、もう一つ気がついた。
「……右手の親指と人差し指が欠損しているな……」
傷口から見ても、事件とは関係なさそうだが、これではやはり日常生活もままならなかったであろう。満身創痍の風体で、誰かが彼の世話をしていたとも考えられる。
綾坂は、そんな風に刑事としての本能に従って他の囚人たちに尋ねる。
「それで、この火傷男に見覚えは?」
「ふむ、仮面付きは寝たきり男であったか」
答えたのは、中庭にやってきたパラムだった。
「寝たきり男?」
「昨日中庭で話したであろう。まさか、コイツが死ぬなどと思っても見なかったがな」
それで綾坂は思い出す。確かに彼はそんな男がいると言っていた。
だがそいつは、部屋に籠りきりなのではなかったか? どうして今更部屋から出てきたのかわからない。綾坂は腕組みながら考える。
「コイツが寝たきり男だぁ? 部屋から出てこないって噂だっただろう?」
アルメンドも同じ疑問に至ったようだ。
尋ねられたパラムは、煙草に火を点けてから話す。
「部屋から出るときは、その仮面をつけていたということであろう。仮面をつけていたから、同一人物だと気付けなかったわけだ」
「なるほど。参考にしよう」
そうして彼の発言を元に、推理を組み立てて行こうと綾坂は考える。
だが、パラムと情報屋は違った。
そもそも、犯人探しに積極的な表情では無かった。
「どうやら綾坂は、捜査に覚えがあるようだが……それも素人の真似事であろう」
「パラムの言うとおり、私たちは揃って犯罪者。犯人を突き止めることよりも、犯人として見つからないことに長けているものばかりさ。あまり深入りしないほうが身の為だよ」
綾坂は指摘されたことに思わず閉口した。
刑事だと隠していることをすっかり忘れていたのだ。
だから小さく頷く。
「確かにそうだろう」
下手に目立って注目も集めたくない。ここは、不本意だが協調しなければならない場面。囚人たちの総意が二人の今の発言だと考えるのが妥当だ。
しかし一つだけ言っておきたいことがあった。
「俺は、殺人犯を突き止めなくちゃ気が収まらない。そういう性分なんだ」
察しのいい情報屋やパラムには、綾坂の正体がバレた可能性がある。だが、殺人を犯した人間が平気な顔して生活しているのは、綾坂にとって許しがたいことであった。背に腹はかえられない、決意の瞬間である。
こんな性格だからこそ、矢島や十条は綾坂を適任として選んだのだろう。
そして、彼の目を見た情報屋は肩をすくめてフードの下で嗤う。
「……それは頼もしい。綾坂なら本当に犯人を特定できるかもしれない……だけど」
「アイツらが出しゃばってくるかもしれねぇのか」
情報屋が付け加えた言葉尻を捉えて、アルメンドが渋い顔をした。彼はどうやら情報屋の言いたいことがわかったらしい。綾坂は彼らの真意が分からずに首をかしげたが、すぐに答えはやってきた。
「この騒ぎは一体何事なのかしら?」
中庭の入口にたむろする囚人たちを押しのけて入ってきたのは、黒い制服を来た女性と男が二人。先頭に立つ彼女の大きな胸についたエンブレムは、『屈強な』看守が身につけていた制服のエンブレムと同じだと、綾坂は思い至る。
「看守か……」
綾坂が呟くと、情報屋が耳打ちしてきた。
「ソレよりもっとひどい。アレは『看守長』だよ。彼女はドが付く程の神経質な性格の持ち主でね……今回の件も彼女の気に触りそうだ」
「次に来るのは質問攻めであろうな」
頷くパラムと「うへぇ」と嫌そうな顔をするアルメンドの表情を見てるに、どうやら本当らしい。情報屋やパラムが、事件に関わることに消極的なのは、彼女が原因なのだろう。仮面付き――正体は寝たきり男らしい――の周りに集まっていた綾坂を含む四人の前にやってきた『看守長』は、遺体を見て眉間に皺を寄せた。
「貴方たちの仕業かしら?」
ピリピリとした声で尋ねられ、綾坂が答える。
「まだ誰の仕業かって言うのはわかってない」
「じゃあ、何ならわかっているのかしら?」
「殺人事件ってことだ。つまり、まだ犯人が監獄の中にいるだろう。さて、看守の皆様はどう対処するつもりなんだ?」
「……私が質問しているのよ。先に全部答えてちょうだい。君ならある程度分かっているのでしょう?」
両手を広げて返した質問を一蹴された綾坂は、どうやら一方的に答えるしかなさそうだと感じた。女は綾坂の正体を知っている。情報屋の言うとおり、この手の人間はあまり相手にしたくない。会話ではなく詰問だ。つい先日まで綾坂が詰問する立場にあったのだが、逆転するとこうまで厄介だとは思いもしなかった。
「第一発見者はアルメンド。ついさっきだ」
綾坂は答える。
黙秘権などという言葉が脳裏を過ぎったが、ここは監獄。すぐに行使を諦めた。なにしろ世界各地で人を捕まえ投獄するような組織だ。棺桶に片足突っ込む前に、その境界を把握しておかなければならない。気づいたら逆鱗に触れていたでは済まされないのだ。
「ここは、発見当時のままかしら?」
「そうだ。被害者の付けていた仮面を剥ぎ取ったが、それ以外は誰も、何にも触れちゃいない。そうだろう?」
「綾坂の言うとおりだね」
情報屋が賛同するのを聞きながら、『看守長』は何やらメモを取っている。どうやら彼女にも、犯人を捜す気はあるようだ。となると綾坂は、囚人たちにバレず『看守長』の機嫌も損ねないように事件の経緯をまとめるのが妥当だろう。これは彼自身の脳内整理でもあった。まだ彼は、自分の手で犯人を捕まえる目的を諦めてはいない。
「被害者は寝たきり男……名前はそっちで調べてくれ。死因は大動脈を切られたことによる大量出血でのショック死だろう」
「凶器は、見つかっていないのかしら?」
「見つかっちゃいないさ。言っているだろう、俺たちはついさっき、被害者の遺体を見つけたんだ。そんなもの探している余裕なんて無かったよ」
「だが鋭利な刃物だということは、俺の目にも明らかである。刃物を所持している人間が、監獄に潜んでいると考えられよう」
パラムの言うとおりであった。
監獄の中に、投獄されてなお殺人を犯したものがいるのである。
『看守長』は舌打ちし、ストレスを抑えきれない様子で言い放つ。
「全員! 所持品を出せ! 断る奴、怪しい奴は全員容疑者になると思いなさい!」
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