第5話・非日常な日常
この日の目覚めは最悪だった。
気持ちよく寝ていると、部屋の外から喧しい口論が聞こえてきたのだ。
そもそも寝起きが良くない綾坂は、口論が聞こえないように掛け布団を頭まで被って二度寝を決行する。これ以上寝てられないと言うほど寝るのが、彼の休日の過ごし方であった。
「ったくうるせぇなぁ……今何時だと思ってんだ」
布団の中で悪態を吐く間にも、まだ口論は続いている。
何を言っているのか分からないところが、彼の耳を余計に引き付けた。
「だぁ! うるせぇ!」
ついに我慢が限界に達した綾坂は、布団を蹴り飛ばし跳ね起きて、ズカズカと苛立ちを隠さず扉に向かう。Tシャツにトランクス一枚だが、この際関係ない。騒ぐ奴らが悪いのだ。
「おい! 朝っぱらからうるせぇぞお前ら!」
扉を開けて開口一番に怒鳴る。
言いたいことだけ言って、また寝てやろうと思っていた。
だが、相手が悪かった。
「あぁ!? お前は引っ込んでろよ新入り!」
綾坂の怒鳴り声よりも迫力のあるドスの効いた声で怒鳴られたのだ。
そこにいたのはアルメンド。
「あ、まずい」
素で嫌なものを見た声が出てしまった。
コイツずっと怒鳴ってるなと思ったのは、心の中に閉まっておく。
昨日の一件でも、全く懲りてないらしい。
そして、アルメンドと口論していた人物も、綾坂にとって良くわからない少女であった。
「何? ここが貴方の部屋だったわけ?」
「静葉か。そのとおり、ここが俺の部屋なわけだが、一体全体何を朝から騒いでいるんだお前らは?」
綾坂が呆れて尋ねると、静葉はアルメンドを顎で指して言う。
「アルメンドが私に難癖付けてきたのよ」
アルメンドはそれも気に食わなかったのだろう。中指まで立てて叫んだ。
「難癖だと!? 俺は、お前の行動が間違っているから忠告してやったんだろうが!」
「それが余計なお世話だって言ってるの! 貴方、監獄の皆にそうやってケチつけて行くつもり?」
彼らに任せていては、一向に話が進まない。
綾坂は、不本意だが両者の間に割って入り仲裁する。
「そこまでにしておけ。結局、問題の発端はなんなんだよ」
綾坂の質問に、意外なことにアルメンドが答えてくれた。
「このガキ。朝食のロールパンに海苔の佃煮をつけて食べやがったんだ!」
静葉を睨んでワナワナと肩を震わせている。
「え?」
「許せねぇ……俺はそもそも海苔を食いものだと認めてねぇのに、それをよりにもよってロールパンにだぞ! 許せるはずがねぇ。ゲテモノ食いだ。ロールパンになんの恨みがある?」
「だーかーらー、そのくらい別にいいじゃないのよ。私は貴方がご飯の上に蜂蜜かけるような人種でも文句は言わないんだから」
静葉は全く話にならないと肩をすくめ、綾坂に目で訴えてきた。
「(こんな感じで困っているのよ)」と言わんばかりである。
とてつもなくどうでもいい会話に巻き込まれてしまったと、綾坂は改めて頭を抱えた。
「文化は認める! 価値観も多様で結構だ! だけどな……心理的に受け付けねぇ組み合わせってもんがあるんだよ。食ものをグロテスクな見た目に変えるのは止めてくれ!」
なんだか、アルメンドが泣いて懇願しているように見えてきた。よくよく観察してみれば、彼の食べ物に対する思い入れが強いというだけの話かも知れない。実際には鬼の剣幕でただ怒鳴っているだけなのだが、静葉の行為はさすがの綾坂でもドン引きレベルであったので同情してしまった。試したことはないが、全く想像がつかない。アルメンドの言いたいこともよくわかる。
「お前の言いたいことは良くわかったよアルメンド。静葉には後で俺が話しておくから、この場は一旦収めてくれ」
「フンッ。このガキ、本気で言っても聞かねぇワガママお嬢様だから、お前が任されるっていうなら喜んで引いてやるよ」
「誰がワガママよ!」
「言うならお嬢様を否定しやがれガキ! とっとと部屋に帰って寝てろ!」
売り言葉に買い言葉、アルメンドは本当に短期なようだが、静葉もかなり人を煽ることが得意なようだ。あれはワザとではなく自然体なのだろう。最後に盛大に舌打ちをして踵を返して去るアルメンドの背中を眺めて、静葉は呟いた。
「ふぅ、神経質で短期な人ってアレだから……」
言いたいことはいろいろあったが、綾坂はグッと我慢する。
彼女には、何を言っても無駄な気がしてきたのだ。
それに、監獄内で目立ったって仕方がない。脱獄するときの足枷になるだけだ。どうせならスパイのように、情報だけ獲得して静かに立ち去りたいものである。
「それにしても、海苔の佃煮か。随分とマニアックな物を扱っているんだな」
「何よ。貴方も日本人なら別に珍しものでもなんでもないでしょう? 情報屋にそう聞いたわよ?」
「国際色豊かな監獄にあるってのが驚いているんだよ。海苔なんて食べるのは日本人くらいだ。需要が限定的すぎる。意味ある行為とは思えねぇんだよ」
これも何か、監獄のヒントになるのだろうか?
こればかりは綾坂にも中々想像つかない。
「じゃ、私は部屋に戻るから」
綾坂が一瞬思考に入ると、静葉は身を引くようにして廊下の奥へと帰っていった。
「お、じゃあまた」
その後ろ姿にかろうじて挨拶をして……ようやく、綾坂自身のしていたことを思い出す。
「もう眠れねぇわ……朝食にしよう」
二人の口論を収めているうちに目が覚めてしまった。
綾坂は重たい足で部屋に戻り、パンイチだったことを思い出してスーツのズボンを履きワイシャツを羽織る。
静葉曰くどうやら朝食どきのようなので、いつもより早いが食事に向かう事にする。もう監獄内での歩き方はほぼほぼマスターしたので、これからは監獄の細かいチェックをしていこうと考えていた。廊下を抜け、中央フロアに入り、改めて吹き抜けの内装に圧倒される。
「いったい何が目的の監獄なんだよ……」
豪華絢爛一歩手前の照明がフロア全体を照らし出す。円形に湾曲する壁沿いには、二階や三階に繋がる階段が伸びており、二階や三階の牢屋で暮らす囚人たちの移動経路になっていた。今は朝食時も過ぎたあとだったようで、中央フロアの人影は数える程しかいない。
そこに、悲鳴のような怒鳴り声が聞こえてきた。
「フッ……ざけてんじゃねぇぞ!!」
中庭から響いてきた声は、先ほど別れたアルメンドの声で……彼は中央フロアの扉を蹴り開けた。普段通りかにも見えたが、どうやらそうではないらしい。
綾坂の視界に、尋常ではない光景が飛び込んできたのだ。
綾坂は思わずため息をつく。
彼は、誰かにこの光景をいち早く見せたかったのだろう。
「あぁやっぱり、ここでもソレを見ることになるか」
中庭の中央に倒れている人がいた。
血まみれでピクリとも動かない。
事件だ。
これは……綾坂の非日常的な日常。
それもとびっきり凶悪な、殺人事件の結末が転がっていた。
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