第4話・中庭にて


 「寝れない」


 ぼやく綾坂は天井を仰いだ。

 最果てだとか、脱獄不可能なだとか仰々しい代名詞を背負っている監獄だが、囚人たちに対して保証している自由は多い。監獄内の規律や風紀を乱す行為・虚偽の申告、そして最後に脱獄の3つ。これら以外のことなら、おおよそ何でも許容されている節がある。その最たるものが、就寝前に三時間もある自由時間であろう。


 「中庭に来ても、流石に月までは見えねぇか」


 時刻は九時を過ぎた頃。

 慣れない環境に疲れた綾坂はさっさと寝てしまおうと考えていた。だがどうやらアドレナリンやらなんやらが大量に分泌されているらしく、興奮して眠れなかったのだ。せめて夜風に当たろうと中庭に来たのだが、こちらも見上げてあるのは磨ガラス越しの夜空だけ。月の位置も判然とせず、中庭は薄暗い照明で照らされるのみである。情報屋曰く「星の位置が判明すれば、経緯が割り出せる。監獄内にはそれくらい出来るやつが当たり前のようにいるのさ」とのことだった。

 これも監獄の存在を秘匿するための措置であろう。監獄を運営している組織は、随分と秘密主義なようだが、監獄にいる面子を見て思ったことがあった。


 「秘密にしている割には大物が多い。国際指名手配を受けていても不思議ではない人間がゴロゴロいやがる。そいつらを……どうやって誰にも気づかれずに監獄に連れてこれた?」


 情報屋は、自分の事を語らなかったので推察するしかないが、彼も相当の実力者だろう。パラムはどこぞの国の汚職にまみれた議員だったというし、アルメンドは金で雇われればどこにでも行く傭兵だったらしい。わからないのは仮面付きなどと呼ばれる男くらいか。


 なんにせよ、世界各地の犯罪者が集められている。問題はその多様性だ。世界各地で犯罪の内容もバラバラ。犯罪者でない綾坂まで投獄されている。一貫性が見当たらない。監獄の存在意義が見えてこないのだ。


 「国際法を個人にまで適用した超国家組織があるとでも言うのか……? そいつらの管理している監獄ならいよいよ話は複雑だ。だが馬鹿げてる。いっそ、国境を越えた犯罪組織が、組織運営に支障を来す敵対犯罪者を捕まえて回っていると言われた方が納得できる」


 そういう規模の話。

 いちいちスケールが大き過ぎると、綾坂は舌打ちしそうになった。だがイライラしていては進まない。頭を振って道筋を決める。


 「まずは共通点探しか。そういえばヒエロって女の方の情報は、まだ聞いてなかったな」


 綾坂が中庭に来た時に、入れ替わりでヒエロが出ていくのを見ていた。夕食時に食堂で見た時と変わらず、オドオドとした振る舞いが印象的な気弱なヒエロと呼ばれる女性だ。彼女も含めて監獄にいる者たちの、調査から入らねばならないと綾坂は考えた。

 すると、ふいに声がかけられる。


 「ヒエロが気になるの? 彼女は泥棒よ」


 ほの暗い照明の向こうに、一人の少女がいる。監獄内では珍しい真っ黒の長髪で、警戒をした目と引き結ばれた唇が印象的な少女だ。


 「ヒエロが泥棒? そうは見えなかったが、印象などアテにはならないか」

 「……私は犯罪者以外見たことないから、普通の人ってのがどんなものかわからないけど、彼女も立派に名を馳せた泥棒よ」


 少女は静かに話しながら、綾坂の座るベンチに腰掛ける。

 彼女も中庭に休憩しに来たらしい。ほぅ、とマグカップに注がれたココアに口をつけた。静かな中庭にココアの甘い香りが広がる。


 「泥棒……か。こうも被らずポンポン出てこられると、全ての種類の犯罪者が出揃いそうな勢いだ」

 「あながち間違いではないかもしれないわよ。ところで貴方、名前は?」


 意味深に微笑んだあと、少女は綾坂を覗き込むようにして尋ねてきた。

 この狭い世界では、一人新たに加わるだけで有名人になれるらしい。


 「俺は綾坂綾あやさか りょう。そういう君の名前は?」

 「私は静葉よ。はぁ、三日も監獄で生活していたのに、本当に初対面って表情してるわね」

 「実際初対面だろ?」

 「はぁ、あのねぇ……。気づいてなさそうだから教えてあげるけど、パラムもアルメンドもヒエロも、オードゥローも千鈴もティターニャも……、みんな貴方の事を知っているのよ?」


 綾坂は仲良く自己紹介という気分だったのだが、静葉はどうやら違ったらしい。

 どうしてそんな事も知らないのかと言わんばかりの呆れ顔をしている。何やら本当に記憶にない名前が出てきた気もするが、それは一旦置いて質問を返した。


 「どうして俺がそんなに有名になってる?」

 「はぁ? 貴方が、三日間で脱獄するなんて情報屋に宣言するもんだから、彼が面白がって賭けを始めたのよ!?」


 まるで物は下に落ちる、というぐらい当たり前のことのように話す静香。

 いまいちパッとしない綾坂の反応を見て、彼女はさらに驚いた。


 「もしかして、一階組みんなが『脱獄出来ない』に賭けて勝負にならなかったって話も?」

 「なんだよそれ! 俺の知らねぇところで笑いものにされてるじゃねぇか!」

 「そうよ。だから驚いているの。アレだけ派手に脱獄を試行錯誤されたら、賭けをしてなくても目につくわよ」


 綾坂が脱獄しようと悪戦苦闘し、結局たいした成果も得られなかった。それを情報屋たちは束の間の娯楽として興じていたらしい。だが、静葉の顔に浮かぶのは愉快な表情ではなかった。あるのは失望か。それとも嘲笑か。


 「脱獄なんてできるわけ無いのに、大口だけ叩いちゃって……本当に馬鹿みたいね。予想通りで期待はずれ……」


 彼女はそれだけ言って立ち上がる。

 彼女の瞳が「これ以上綾坂に用は無い」と言外に告げていた。


 「できるだけ、でかい目標を立てておくのが、俺のやり方なんだよ」

 「つまりビックマウスってやつよね。へぇ、普通の人ってそんなに図太く生きられるものなね。勉強になったわ」


 皮肉だけ言い残し、静葉は中庭から去っていく。まだマグカップに半分以上残ったココアと、温かい湯気だけが綾坂とともに取り残された。

 結局、彼女は綾坂に何が言いたかったのだろうか。大方、馬鹿にでもしに来たのだろう。監獄で生活していれば、ストレスだって溜まる。今日は少しイライラしていただけだと信じたい。そこまで考えてから綾坂は気づく。


 「静葉か。名前以外、何も聞いていなかったな」


 情報屋が言っていた、監獄でのプロフィールは、名前と出身国と外で何をしていたかだったはずだ。名前と見た目ですぐに日本人だと分かったが、一見高校生ほどの少女がどうしてこんな所にいるのか不思議に思う。それに加えて話している言語は日本語では無く北欧系の言語であった。


 「ハーフのようには見えなかったが……今度あったら尋ねてみるか」


 綾坂はそう考えて、静かな中庭を見渡した。

 この中庭を見ても、やはりここが監獄だとは信じがたい。それほど幻想的な空間となっている。下は芝生が引いてあり、壁際には様々な草花が植えられていた。このままベンチで横になって月明かりが見られたら、どれほど気持ちの穏やかな時間が過ごせるだろうか。

 だが勘違いしてはいけない。監獄であるということは揺るぎなく、犯罪者の巣窟であり、自由を戒める檻なのだ。その事実が綾坂の弛緩しそうな気持ちに鞭を叩く。


 「最果ての監獄……ワールドエンドか」


 取り敢えず一つ。今日の収穫である。

 そこまで考えて部屋に戻ろうとしたところ、入口にパラムが立っているのに気がついた。


 「よぉ綾坂。邪魔するぞ」


 随分とこの中庭も出入りが多い。ヒエロと綾坂、先ほどの静葉と今来たパラムを加えればもう4人。それだけ中庭が憩いの場として重宝されているのか。ここしかくつろげる場がないとも言うべきだろうか。


 「俺はもう部屋に戻るからお構いなく。夕方の怪我は大丈夫そうだな」

 「あの程度で怪我するほど俺は脆くない。お前こそ、静葉に何を言った? そこですれ違った時、すごく不機嫌だったぞ」

 「知らねぇよ。普通に話してたと思ったら、突然帰っていったんだ」


 綾坂にとって本当に身に覚えのないことだったので、適当に流す。

 そんなことよりも、パラムの事が気になった。


 「パラムは、こんな夜更けにどうしたんだ?」

 「俺か? 屋内は全面禁煙だから、ここに煙草を吸いに来ただけだ。お前も吸うか?」

 「いや、遠慮しておくよ。こんな所で体を悪くしたくない」


 パラムは綾坂の隣に腰掛け、空を仰いで煙を吐く。


 「あぁ、体には気を使ったほうがいい」


 彼は深く頷いて、神妙な顔つきで話した。


 「一番やばいのは大怪我だ。監獄は医務室もあるが、大掛かりな手術は出来ない。生きることすら困難になるぞ」

 「……そうなったやつがいたのか?」

 「現在進行形でいる。情報屋から聞いていないか? 一階の奥の部屋に、左足不随の顔に大やけどを負った男がいるのだ。そいつはもう何ヶ月も部屋に籠りきりとの噂である」

 「この監獄内を、自由に出歩くことすらできなわいわけか」  

 「そういうことだ。怪我だけは……直球に言うと、アルメンドの様な荒くれ者には関わらない事だ。彼の腕力は並みの囚人では手に負えんからな」

 「……そいつを一発で組み伏せた『屈強な』看守の方が恐ろしいよ。ここの看守はみんなああなのか?」



 ここへ来てから三日間。綾坂は幾度となく脱獄の方法を探ろうと、監獄内を駆け回った。自室の壁は壁紙を削ぎ落としたところで諦めて、食堂や医務室・売店などの職員専用扉は強化ガラスの向こうで固く閉ざされている。中庭にも一つ開かずの扉があり、鍵をピッキングし開錠するところまでは出来たが、指紋と網膜認証まで求められた。最後の手段で乱暴な手を使い、押して引いて殴って蹴り飛ばしてみたが、扉はビクともしなかった。力ずくでは決して出られないと考えて間違いないだろう。


 そして勿論、看守室への侵入も試みた。

 だが、それこそ無意味。外から開くはずもなく……むしろそこまで滅茶苦茶に粗探しをしているにも関わらず、看守達は出てこなかったのだ。看守のいない監獄かとも一時は本気で考えたほどである。しかし、ことごとく失敗した今ならわかる。綾坂に脱獄など出来ないと確信していたのだろう。『屈強な』看守のように図体のデカイ奴らに囲まれれば、綾坂などひとたまりもない。そう戦慄する綾坂に、パラムは首を振って答えた。


 「『屈強』のような看守は二人もいない。だが、個性的な看守が揃ってる」


 パラム曰く、囚人たちは看守たちをその特徴で呼ぶらしい。


 『長身の』『狡猾な』『饒舌な』『博識の』『横暴な』『隻眼の』『残忍な』……など、聞くだけで面倒な面子が揃っている。


 「囚人も看守も……どうしてこうも個性派ぞろいなんだ……」

 「綾坂よ。よもや自分のことを棚に上げてはいないだろうな? お前も何かしら強烈な性格か経歴の持ち主であろう」

 「……まさか、一般人代表ってことにしておいてくれないか」

 「ふむ。話したくないのであればそれでも構わない」


 綾坂が目をそらすと、パラムもそれ以上余計な詮索をせずに煙草の火をもみ消した。立ち上がる様子を見るに、彼はもう部屋に戻るのだろう。元々部屋に戻るつもりであった綾坂も、パラムに続いて中庭をあとにした。

 こうして監獄の一日が終わり、静かな夜が訪れる。




 そして、誰もいなくなった中庭に……カツンと、杖を突く音が響いた。

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