第3話・食堂震撼
中央フロアに面する食堂に、綾坂と情報屋はやってきた。
現在は夕方に設けられた夕食兼自由時間である。囚人たちは各々で食事を取るのだが、これがまるでフードコートだった。監獄内で流通する専用通貨を払えば、選べる食事の種類は多い。
「なるほど……(通貨がタイマーか。これは本格的に『特時』の仕事になってきたみたいだな)」
「……? 綾坂、何か言った?」
「いや、独り言さ。気にしないでくれ」
身分を隠して潜入している――不本意ながら投獄されているとも言う――ので、綾坂は慌てて口に出して思考するの止める。券売機の前で立ち止まり、夕食を悩んでいるフリをしながら、監獄について考えた。人間の寿命を
「(監獄は、囚人から『タイマー』を集めている)」
ここで集められた『タイマー』の価値は、監獄の外であっても変わらない。綾坂がここで『タイマー』を使用して商品を買うとなると、不当に監禁されているばかりではなく寿命まで監獄に奪われていることになる。
時間管理局の刑事としては断固見逃せない事案だ。脱獄した暁には、矢島や笠持たちと協力して監獄を潰さなければならないだろう。
「どうした綾坂。『タイマー』で買うか迷っているのか? 嗜好品や特別高価な物を食おうと思わない限りタダなんだよ?」
「それは知っている。もう三日も
幸いなことは、嗜好品や特別高価な物でない限り『タイマー』は要求されないということだった。
***
綾坂は、情報屋に勧められたカレーを手にして席につく。
「そこらを闊歩する強面の看守や囚人が居なかったら、監獄って事を忘れそうになる」
「仕方ないさ。投獄される前の方が、地獄だったって言う奴も少なくない。個室には柔らかいベッドがあるし、欲しいものは手に入れられる。それに治安も悪くない。暴力沙汰は日常茶飯事だけど、戦地のど真ん中に比べたら優しいものさ」
「まるで戦地のど真ん中で暮らしていたみたいな言い方だな」
「……昔の話しさ」
情報屋は珍しく表情を曇らせた。
「悪い。いらないことを聞いたな」
「私のことは気にしなくていいさ。それよりも……」
情報屋は苦笑いして、スプーンを食堂の入口に向ける。その動きに釣られるようにして、綾坂も目線を移動させた。誰かが立っている。
「やぁ、遅れてすまない情報屋! そっちにいるのが新入りか?」
白が眩しいポロシャツを着た壮年の男性が、こちらに手を振ってきた。
「遅かったねパラム。ほら、そう慌てずに座りなよ」
「さっき言ってたオッサンか? なるほど確かに人当たりの良さそうなオッサンだ」
手を振り返して座るように促す情報屋と、パラムを見て安堵する綾坂。鍛え上げられた背の高い男だ。パラムはまっすぐ二人の元に来て、快活に笑う。
「よぉ新入り! 俺はパラムだ。情報屋に気に入られるとは、随分と面白い人間と見たが如何か?」
そう言って差し出される手を握り返して綾坂も答えた。
「面白くないさ。有象無象の一般人代表、綾坂綾だ。あんたこそ常識人と聞いたんだが、間違ってはいないよな?」
「ほぉ、情報屋が俺の事をそう評していたか! ははは! 案ずるな綾坂よ、犯罪者ではあるが思考回路はいたって正常だとも」
握手した手を大きく振って、パラムは頷く。犯罪者である時点で正常なのかどうかは些か疑問だが、彼の言動はかなり好感を持てた。背筋の伸びだ立ち姿と、切り揃えられた口髭も、パラムの性格を良く表している。
二人の会話を見ながら、情報屋も薄く笑った。
「パラムの自己評価は間違っていないよ。彼の罪は、国会議員であるにも関わらず、賄賂や武装組織との癒着をしていた程度のものだからね。逆に、国際色豊かなこの監獄に監禁されていることの方が不可解だよ」
「おい、情報屋。てめぇ人の個人情報をよくもペラペラと言いやがって」
「ははは、いいじゃないか。そそろろ犯罪者が目の前にいるって事を、綾坂にも実感してもらわないと。ねぇ?」
ヘラヘラと笑う情報屋は、綾坂の方に話を振る。
綾坂も、情報屋と同じことを考えていた。犯罪者が目の前にいるかどうか、ではなく、なぜ一国内程度の犯罪者が、管理組織も不明の監獄に投獄されているのかという点だ。綾坂の目的は、監獄の正体を掴むということであるから、真っ先に出た疑問であった。
そう、最初から解くべき道しるべはある。一体何をもって、投獄される人間は選ばれているのかということだ。国が違えば法律も違う。法律が違えば当然犯罪者の定義も変わってくる。
綾坂自身がいい例だ。綾坂の職業は警察。国家公務員であり、前科など一つも持っていない。潔白の人間である筈だが、監獄を運営している組織にとって、綾坂は投獄するだけの理由があるのだろう。一つ挙げられるとするなら、パラムとの共通点が国家公務員だという事だろうか。しかし食堂に集まる他のメンツを見る限り、断言しにくい顔ぶれが揃っている。根拠の薄い仮説でしかない。
したがって綾坂は思考を区切り顔を上げて、笑顔で答えた。
「……情報屋の情報はありがたく貰っておくよ。悪いなパラム」
「はっ! 言ったもん勝ちかであるか!」
苦笑して肩をすくめるパラムの態度に、本当に怒っているわけではないと判明し、内心安堵する綾坂。パルムなら、仲良くやっていけそうだ。
***
そんな折り、不意に監獄が揺れた。
なんの前触れもなく来た僅かな横揺れで、食堂全体が静寂に包まれた。
驚き固まっているのは地震の経験に乏しい大陸系の囚人だろう。地震大国であったなら何でもない揺れであった。
その中で綾坂は、飛び跳ねるように立ち上がる。
「……いまのは?」
地震に驚いたのではない。
この事象から、綾坂の脳内に閃が生まれる。この監獄は、地震が発生する地域にあるという新たな仮設が立てられた。それが綾坂の思考スピードに拍車を掛ける。環太平洋、もしくは大陸に伸びる造山帯か……という推理。確定ではないが、地震の起きない地帯だという可能性は排除してもいいかもしれない。
だが、それも一つの物音で強引に打ち切られる。
ガシャンッ!!
陶器の割れる音が響く。
「あちゃぁ……」
情報屋が頭を抱えているのを横目に、綾坂は物音の方を見る。そこにいたのは浅黒い筋肉質な男と、細身で猫背の女であった。男の方が、肩をワナワナと震わせて、今にも女の方に掴みかからんとする勢いで怒鳴る。
「テメェ!! なにを台無しにしたかわかってんのか!?」
「……っ!!」
女の方は萎縮してしまったようで、もう既に足の先まで金縛りに遭っているような状態であった。口は何かを言おうと開閉しているが声が出ていない。
経緯がわからない綾坂は、つい情報屋に尋ねていた。
「一体全体何があった?」
情報屋は、声のトーンを落として答えてくれた。
「男の……今怒鳴ってる方がアルメンド。そいつのスープを、女の方の気弱なヒエロが落としてしまったんだよ。今の揺れで、運悪くぶつかってしまったらしい」
「情報屋の言うとおりだ。何が運悪いかって、あの短気で脳筋のアルメンドの気に障ったってことだろうよ。奴は食事に関しては人一倍うるさいからな」
パラムも苦い顔をしている。
彼らの口ぶりからして、よくあることなのかも知れない。
「アイツは傭兵上がりでね。ここに来る前は戦場が彼の家だったんだ」
「なるほど、血の気が多いのは職業病みたいなもんか」
「頭脳というよりは、筋肉で生き残ってきたタイプだからね。あんまり彼を怒らせるなよ」
「おっかないもんな。気をつけるよ」
コソコソと三人で話していると、次は机を殴りつける音が聞こえた。
言うまでもなくアルメンドの仕業である。そんなふうに未だに怒鳴っているアルメンドに見かねたパラムは、肩をすくめて仲裁に入りにいった。両手を広げて間に入る。
「おいおい、そこまでにしてやりな。ヒエロだってわざとじゃなねぇんだ」
「あぁん!? パラムのオッサンは関係ねぇだろがっ!!」
ついにアルメンドの手が、パラムの胸ぐらに伸びた。
ヒエロが驚愕で一歩後ずさり口元を押さえる。食堂が、地震の時とは別の静寂に包まれた。困惑ではなく緊張感に場が支配されている。綾坂は舌打ちしそうなのを堪えて内心毒づいた。
「(これまでだったら警察の身分を利用して、争いごとを強引に沈めれたってのに……完全な敵地であまり下手な行動には出れ無いのが悔しいぜ)」
綾坂は警察だ。治安を守るのが彼の仕事である。だが、今この場所においては話が別だ。ここは日本ではない。綾坂が刑事として活動しだした暁には、他の囚人によって、
「おいおいアルメンド。俺たちは同じ穴の狢じゃねぇか。仲良くしたって問題なかろう?」
「じゃあオッサンが、ヒエロの尻拭いしてくれんのか? あぁ!?」
「ほぅ、いいとも。彼女が君のスープを台無しにした分は、俺が補填してやろう」
それを聞いて、アルメンドはパラムを離す。やれやれと言わんばかりの表情で、パラムは床に散らかった皿の破片に手を伸ばした。一際大きな破片はハンカチに包んで片付ける。
それで一件落着に見えた。
アルメンドもこれで溜飲が下がるだろうと、綾坂は考えていた。
しかしそうはならない。
ドズンッ!
突然、しゃがむパラムの即頭部にアルメンドの回し蹴りが振り抜かれる。
「ふざけてんじゃねぇぞ! いつもヘラヘラしやがって! ヒエロの尻拭いするって事は、こういうことだぞクソッタレ!」
アルメンドの激高と共に、パラムは机をなぎ倒すように吹き飛ばされた。
衝撃に耐え切れなかった椅子が砕け散り、テーブルが横倒しに滑る。遠巻きに見ていた他の囚人たちは息を飲み後ずさった。あんなのに巻き込まれたく無いというのは、食堂にいる大半の者の思考だろう。
大惨事であった。
パラムにも予想外の衝撃だったようで、頭を抑えて呻いている。これ以上は綾坂も許容出来ない。力ずくでアルメンドを止めに行こうと決意した。他の囚人と違って、綾坂は前へ出る。それが出来るからこその警察であり『特時』であった。
だが彼は、後ろから伸ばされた手に肩を掴まれて、食堂の脇に強引に押しのけられる。そして声が無遠慮に投げかけられた。
「そこをどけ。囚人」
声の主は、そのまま食堂の中心へ。アルメンドとパラムに向かって悠然と歩いていく。それを見て綾坂は驚いた。
「綾坂下がってて。あいつはここの看守だよ」
唖然とする綾坂を、情報屋が袖を引っ張り退散させる。
「看守? あれが? 下手な犯罪者より凶悪な面と外見だぞ……」
「『屈強な』……私たちは彼をそう呼んでいる。囚人たちが束になっても、彼には力で勝てないよ。そういう類の化物さ」
情報屋の言う通りであった。
「騒ぎを起こした馬鹿は誰だ?」
「ちっ、随分と早い到着じゃねぇか看守様よぉ! 俺の腹の虫が収まってからこれば、痛い目を見ずに済むものを、出しゃばってきやがって!」
『屈強な』の言葉に、飢えた狼と化したアルメンドは即座に噛み付く。犬歯をむき出しにして中指まで立てる始末である。しかし『屈強な』は構わず食堂内を一瞥し、確認を終えた。
「お前か。傭兵」
「だったらどうしたクソッタレ!」
騒ぎの原因がアルメンドだと判断した『屈強な』は、頭に血が上るアルメンドのタックルを一度腕で受け止める。それだけでアルメンドを押さえ込むんだ『屈強な』は、そのまま躊躇なくアルメンドをなぎ倒した。
あまりの衝撃にまたもや食堂が揺れる。
その間わずか一秒。
赤子の手を捻るが如くのあっけなさであった。
あれだけ暴力に物を言わせていたアルメンドが、完全に伸びている。
『屈強な』は、食堂を見渡して静かに尋ねた。
「……他にも馬鹿はいるか?」
「す、すいません」
ヒエロは今尚怯え切った顔と、消え入りそうな声で申し出る。
彼女の弱気な様子を、綾坂は固唾を飲んで見守るしか無かった。
「なら、この食堂を全部片付けておけ。散らかした物はもちろん、向こうで倒れている囚人も含めてお前が後始末しておくがいい」
『屈強な』は、それだけ言い残し、アルメンドを担いで食堂を後にする。下手な抵抗をしなければ、わざわざ暴力に訴える必要が無いと『屈強な』は判断したのだろうか。そのくらい不自然に早い退散である。その後、パラムはなんとか意識はあるようで、机の山から這い出してきた。
そうしてようやく、食堂内の空気が弛緩する。アルメンドも『屈強な』も、あれだけの暴力にあっさり立ち上がるようなパラムも、傍から見ているだけで固唾を飲んでしまうよな連中であった。
嵐のような男たちに綾坂はため息を吐く。正直今目にした暴力の応酬に巻き込まれなくて良かったとホッとしていた。日常から訓練しているが、プロの傭兵や体格差が二倍近くありそうな看守などとは争いたくないからだ。
そんな彼らでも脱獄が不可能なのだ。
いったい、どうやって脱獄するべきか。綾坂はゴールの見えない難問に対して、いっそ全てを投げ出してしまいそうになる。だが緊張の糸が切れたのか、それとも3日間も脱獄に奔走した疲れが出てきたのか、綾坂は気の抜けた調子であくびをした
「あ~、今日はもう寝るか」
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