第2話・情報屋と仮面付き
ここ三日、脱獄のためにあれこれ試してわかったことがある。
監獄は、中央にある吹き抜けの円形フロアと、天井が磨ガラスの中庭、その両脇に伸びる牢屋のある通路と、ホテルのような牢屋そのもので構成されていた。
男二人は、吹き抜けの中央フロアと呼ばれる空間で、ソファに腰を掛けている。
フロアの周囲には、まるで田舎のショッピングモールのようにテナントスペースがあり、食堂やら医務室やらが軒を連ねていた。ビジネスホテルとショッピングモールが融合したかのような閉鎖空間。一見、平和な空間に思えるが、自由に通過できる出口がないとなれば話は変わってくる。窓もなく、豪雨の日でも外の音は聞こえない。歪な空間であった。
「さて、私が賭けに勝ったんだ。そろそろ報酬をもらってもいいでしょう?」
「情報屋らしく、情報が何より重要って奴か。わかったよ……自己紹介すりゃいいんだろ」
賭けに負けた青年は、三階分も吹き抜けになっている天井を見上げて、観念したように肩をすくめた。とんでもないところに来てしまったと、改めて自笑してしまう。
「俺の名前は綾坂だ。
ネクタイを締めていないスーツ姿の綾坂は、適当な自己紹介をした。監獄に来た本来の目的や、綾坂の職業は、監獄という環境において話すメリットが無いのでわざわざ話さない。だが、やはりと言うべきか、白い肌が覗くフードの男『情報屋』は、詰まらなそうに首を傾げて続きを催促してきた。
「一般人? まさか。凡人がこの監獄に来るわけないじゃないか……あるだろう、どんな罪を犯したかとか、外では何をしていたんだとかさ」
「……と言われても、犯罪なんてした覚えがないんだ。監獄に来る直前は、大きな仕事の事後処理を纏めていたところでな。ビジネスホテルの一室を借りて作業して……寝て起きたらここにいた」
「へぇ、じゃあ冤罪ってことかい? ははは、それは綾坂も災難だね。それで脱獄も失敗するとは、随分と不幸に愛されているじゃないか」
情報屋が腹を抱えて笑う。
綾坂はそれが気に入らなくて舌打ちした。
「ちっ、うるせぇよ。そんなお前は犯罪者なんだろ、捕まってこんな辺鄙な所にぶち込まれてるってことは、どっかでヘマしたわけだ。人を笑える口かよ」
「ははは、いやこれはすまない。だけどそれは監獄では当たり前の光景さ。綾坂の方が珍しい部類なんだから、私が興味を持つのも許して欲しいね」
心底愉快そうに笑う情報屋は、ペラペラと続けて喋る。
「もう綾坂も知っているだろうけど、この監獄は国際色豊かだ。アジア・ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカえとせとら……だから色んな人間がいるのさ。言語が通じない奴がいれば、犯罪で倫理観が完全にぶっ飛んじまった奴もいる。そんな中で、綾坂見たいな話の通じる常識人は逆に珍しい……そう、珍しいから私もこうして付き合ってる」
情報屋は、どんな時にでもこうやって愉快に笑うのだろう。
綾坂はそんな第一印象を彼に抱いた。
「流石最果てとか呼ばれてる監獄。常識人が居ないとは、これからの生活苦労しそうだ」
「常識人がいないとは言っていないよ。ちゃんと表の世界で生きていた奴だっているさ。随分と愉快なオッサンで、綾坂が彼の話す言語を理解できるかは別だけどね」
「常識人なら是非会いたいね。ところでそういう情報屋は、そのオッサンと話せるのか」
「当たり前だとも。私は情報屋と名乗っているんだから、公用語の全てくらいはマスターしているさ」
さらりと、物凄い発言が飛び出す。
最果てともなると、こんな常識外れがいるものなのかと、綾坂は驚愕した。かくいう綾坂本人も、主要八カ国の公用語を全て話せるのだから、常識人とは言え凡人からは程遠い。才能がある人間だ。
「だけどね。こんな私にも、言語の通じない人が居るからこの監獄は規格外だよ。ほら、噂をすれば何とやら……私も殆ど情報を持っていない稀有な人物がやって来たぞ」
カツン。
大理石の床に響く音に振り向くと、その人物は立っていた。
目に入ったのは、顔を覆う無垢の仮面。その白い仮面とスラリと伸びた背筋、床を突くのは杖である。彼は左足が動かないようで、杖に体重を預けていた。
「彼は?」
「あいつは仮面付きさ。詳しいことは私にも分からない。あぁいう風に、フラリと現れたと思ったら、すぐに姿を消してしまってね。どこの牢にいる誰かも特定できてないのさ」
「仮面付きか。ピッタリなネーミングだ」
綾坂は、情報屋の解説を鼻で笑う。その通りだったからである。すると仮面付きがこちらに振り向いた。大理石を打ちながら、綾坂の目の前までやってきた仮面付きは、綾坂に向かって手を伸ばしてくる。驚いて見上げると、仮面から覗く双眸に、こちらを見透かしてくるような光があった。
「へ? え?」
「綾坂、握手だよ握手。言葉が通じなくてもそれくらい分かるでしょ」
「あ、あぁ握手か!」
情報屋に脇腹を小突かれて、ようやく綾坂は我に帰る。
伸ばされた手に慌てて握手を返して、綾坂は反応を伺った。だが一言も発することなく、仮面付きは満足したようでフラリとその場から立ち去った。現れたとき同様に、神出鬼没な男である。また監獄の変人リストの名前が増えた。情報屋に続く二人目だ。
「仮面付き……黙ってても普通じゃねぇことはわかったぞ」
「はは、それは友情が深められたようでなによりだね。そろそろ常識人に会って息抜きするかい?」
「さっき言ってたオッサンか? そりゃ助かる。今日はまだ何もしてないはずなのに、もう精神的に疲れたぞこの監獄……」
綾坂は、ため息をつきながら重い腰を上げる。
てっきり、情報屋と仮面付きが特別面倒な人間だと思っていた。
だけどそんなことは無かった。彼らですら、まだ友好的なコミュニケーションが取れるだけマシだったと、このあとすぐに思い知らされる事となる。
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