第27話 ポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグの野望

 27.ポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグの野望



「な、なんなのよ…………なんなのよあれはぁぁ!?」


 ルネたちがヒンデンブルグ号の隠し砲座に怯んで一事撤退を余儀なくされていた頃、艦橋ではアネットが驚愕の表情で叫んでいた。右舷での戦闘に少し気を取られていた隙に、下のほうでは戦局が大きく変わっていたからである。

 アネットが目にしたのは、見たこともない三連プロペラのAMに自慢のアルバトロスD.IVが手玉に取られている姿だった。それも一対一での話ではない。三対一にもかかわらず、敵のほうが優位に戦いを進めているのだ。


「(あの動き……左右の可変ローターで速度を自在に変化させているというの? でも動力ユニットは一つなのに、一体どうやって三つものローターブレードを……)」


 三つのローターブレードを連動させているのは単なるひも状のベルトにすぎないのだが、翼の内側に隠されているので外部からはそれが見えない。そうしてアネットがその謎を解き明かせずにいるうちに、エーリカの機体がバスターキャノンで撃ち落とされた。


「ああっ!」


 味方機の陰から不意を突かれたロートラウトや特攻で道連れにされたテオドラと違い、今エーリカが撃墜されたのは明らかに機体の性能差によるものだ。司令官のポリーヌや周りの管制官たちにこの光景を見られた時点で、ゲルマニア帝国で築き上げてきたアネットの名声と信用はまさしく地に墜ちた。


「そ、そんな……私のアルバトロスD.IVが…………これはなにかの間違いよ」


 アネットが床に膝をつき、放心したようにその場にへたり込む。


「フォッカー博士、気分が優れぬようだが……大丈夫かね?」


 背後からポリーヌの優しい声がかけられる。それを聞いて、アネットは思わずびくりと身を震わせた。


「は、はい……」


「私が『大丈夫か』と聞いたのは、君の体調ではなくこの艦のことだよ。戦況はずいぶんと劣勢なようだが、本当にこの艦は墜とされたりはしないのだろうね?」


 ポリーヌの語調はあくまで穏やかで、どこかふざけているようにも聞こえる。だが、振り返って見たその瞳からは氷のような冷たさが感じられた。


「も、もちろんで――」


 アネットが『もちろんですわ』と言いかけたそのとき、


 ―― ドドォォォォォォォォォン!!! ―― 


「「「きゃぁぁっ!」」」


 轟音とともにヒンデンブルグ号の船体が激しく揺れ、艦橋にいる管制官たちが悲鳴を上げる。


「今度はなんだ!」


「て、敵からの砲撃です! 右舷の機関部に被弾!」


「被害状況は?」


「現在確認中で……え、ええっ!?」


「どうした!?」


「う……右舷機関部のうち一番から三番、さらに七、十番の五基が大破! ローターブレードが停止したそうです!」


「な、なんですってぇ!?」


 叫んだのはアネットである。彼女は弾かれたように立ち上がると、被害状況の報告を受けた管制官の傍に駆け寄った。


「そんな馬鹿な! 機関部の装甲は他の部分の三倍の厚さがあるのよ? しかもミサイルだって撃ち落とせるように、砲座に装備した大型機銃の射程はたっぷり取っておいたんだから!」


「砲座にいた兵士の報告によると、敵はさっきレーヴェンハルト中尉を撃ち落とした大砲を使ったようです」


「あの妙な武器ね……たしかに弾の速度も威力も普通じゃないけど、それにしたって一撃で機関部が大破なんてあり得ないわ」


「いえ、敵の砲弾が命中したのは機関部そのものではなく、投下用の爆弾が装填そうてんされていた部分です。そのせいで爆弾が誘爆し、真上にあった動力ユニットが破壊されたと……」


「そ、そんな……あの距離から装甲を貫いて、さらに爆弾まで撃ち抜いたっていうの?」


 信じられないといった表情でアネットがモニターを見上げ、右舷からかなり離れた場所にいる敵機の姿を呆然ぼうぜんと眺める。

 アネットが動力ユニットを機関部の最下層に配置したのは艦の重心を下げるためだが、それはもちろん分厚い装甲という裏付けがあってのことである。彼女の計算では、砲座の射程外からヒンデンブルグ号の装甲を貫ける武器など存在しないはずだったのだ。もちろんAMの携行機銃では威力が足りないし、仮に機銃掃射をくぐってミサイルが命中したとしても、中の動力ユニットや機関部まではダメージを通さないだけの自信があった。

 だが、バスターキャノンの威力はアネットの想定を完全に上回っていた。おまけに大型爆弾を内部で誘爆させられては、すぐ真上にある動力ユニットが耐えられるはずもなかった。


「敵が再び発射体勢に入りました! 第二射、来ます!」


 ―― ズズゥゥゥゥゥンン…………! ――


「「「あぁぁぁっ!」」」


 再び船体に地震のような揺れが加わり、艦橋に悲鳴が響いた。


「また右舷機関部に被弾! 今度は八番、十一番と十三番、さらに十六から十八番までの六基が停止しました!」


「すぐに左舷の機関部に連絡して、破壊された右舷と同じ番号の動力ユニットを停止させて! このままじゃバランスを失って墜落するわ!」


 アネットが管制官に向かって叫び、その指示が伝声管で左舷側に伝えられる。

 これで破壊された動力ユニットは十一基、右舷にある機関部の半数以上が停止したことになる。そしてまだ九基残っているとはいえ、バランスを保つために左舷の動力ユニットまで停止させてしまえば、とてもこの巨体を浮遊させてはいられない。


「これまで……だな」


 失望に満ちたポリーヌの声が、背後からアネットの耳に突き刺さった。


「そ、そんな…………まだ……まだ大丈夫です!」


「本当に残念だよ。君はとても優秀な技術者だと思っていたのだが……やはりトマサ・ソッピースのほうを我が国に引き入れるべきだったか」


「…………っっ!」


 肺腑はいふえぐるかのような胸の痛みに、アネットが思わずその場にうずくまる。この二年間、自分がトマサよりも優れた技術者であると証明するために生きてきた彼女にとって、その言葉はまさに死刑宣告にも等しいものだった。


「やれやれ、せっかく領土奪還作戦が終わる頃に合わせて皇帝陛下が崩御ほうぎょされるよう、食事に混ぜる毒の量を調整していたというのに……これでは予定を大幅に変更せねばならんな」


「か、閣下……今のお言葉はどういうことですか!」


「む?」 


 ポリーヌが機関部へと続く通路を振り返る。そこにいたのは、車椅子に乗ったマルグリットだった。


「リヒトホーフェン大尉……聞いていたのかね」


 人間電池の任務は八時間ごとの交代制になっているが、マルグリットは右舷を攻撃してきたルネたちを迎撃するため、交代の時間が来てもなお戦い続けていた。だがバスターキャノンによって動力ユニットの多くが破壊され、墜落の可能性が濃厚になってきたことを察した彼女は、司令官であるポリーヌに退艦を促すためにここへやって来たのだ。


「お答えください閣下! 皇帝陛下に毒を盛ったなどと……本当にそのようなことを!?」


「ああ、そのとおりだよ」


 ポリーヌには微塵みじんも悪びれた様子はない。むしろ当然のことをしただけだとでも言わんばかりの口調で、なぜマルグリットがそんなにも語気を荒げているのか分からないといった表情をしている。


「な、なぜ……なぜ軍の最高司令官であるあなたがそんなことを!」


「大尉……君は今のゲルマニア帝国をどう思う?」


「……?」


「胸の大きな母親から生まれた者同士を婚姻させる優良種選別政策をとりながら、今も軍や政府を動かしているのは名前に“フォン”の付く者たちばかりだ。ただ旧時代からの血統を受け継いだだけの皇室、そして代々貴族だったというだけの無能な者が治める国――そう、かつてのファルケンハインのような者が要職を占める国など不合理……いや、不条理だとは思わんかね」


「あなただって貴族でしょう!」


「だからこそだよ。私は貴族の一人として祖国を、平民であっても能力次第で正当に評価される国にしなければならないと考えたのだ。WEUの言葉では『ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)』だったかな?」


「……だから皇帝陛下を亡き者にし、自らが取って代わると?」


 マルグリットは奥歯をギリリと噛み締め、飼い主を傷つけられた猛犬のような目つきでポリーヌを睨んでいる。


「本来は今作戦の功績をもって、陛下が崩御ほうぎょされた後、私が次期皇帝の摂政せっしょうとなることを政府の連中に認めさせる手はずだったのだがな。こうなっては仕方がない……少し予定は早まるが皇女殿下にも死んでいただき、力ずくで国を掌握させてもらうとするさ。連合国とはその後で講和条約でも結び、再び力を蓄えるための時間を稼げばいい」


「こ、この……奸賊かんぞくめぇっ!!!」


 マルグリットが腰のホルスターから拳銃を抜き、ポリーヌに向ける。そして引鉄ひきがねを引こうとした瞬間――


 ―― タンッ! ――


「ぁ……ぐっ……」


 マルグリットの左胸に付けられた“レッドローズ”と呼ばれる勲章の隣に、もう一つの赤い薔薇が咲いた。


「…………っぁ…………」


 車椅子が後ろに倒れ、マルグリットの体が床に投げ出される。彼女を撃ったのは、ポリーヌの隣にいた管制官の一人だった。


「き……貴様ら、謀叛人むほんにんに加担するつもりか……」


「無駄だよ大尉。ここにいる彼女たちはみな、帝国ではなく私に忠誠を誓った親衛隊だ」


「お、おのれ…………お前たち……それでもゲルマニア軍人か…………」


「ふむ……出戻り移民の子であるラインハルト大尉を見出した君ならば、私の志を理解してくれると思ったのだがな。今日は本当に失うものの多い日だ」


 ポリーヌが帽子のつばを下げ、悲しそうに首を横に降る。だが仕草とは裏腹に、その瞳にはなんの感情ももってはいなかった。


「さて、墜落する前に私たちは退艦させてもらおうか。フォッカー博士、たしか格納庫には試作機のアルバトロスD.IIIがまだ十機ほどあったはずだな?」


「は、はい。パイロットたちの予備として十一機……」


「ならばそれでおいとまするとしよう。ちょうど私とここにいる親衛隊の人数分あることだしな」


「お待ちください閣下、それなら私も……」


「博士……君は以前、自分の作品は我が子も同然だと言っていたではないか。ならばこの艦と運命を共にし、その最期を見届けてやりたまえ。もはや用済みの君はここで始末してもいいのだが、それをしないのは私の慈悲というものだよ」


 ポリーヌは慈悲などと口にしながらも、アネットに対して銃を向けさせていた。それは、もし抵抗すればこの場で殺すという意思表示に他ならない。


「では、さらばだアネット・フォッカー。世界で二番目に優秀だった技術者よ」


「…………」


 アネットは床を見つめたまま、もはや口を開こうともしない。


「閣下、リヒトホーフェンにとどめを刺しておかなくてもよいのですか?」


「構わんさ。どうせあの傷では長くは持つまい」


 そう言いつつ、ポリーヌとその親衛隊である管制官たちが艦橋を離れ、下層部への階段を降りていく。

 機関部ではまだ兵士たちが破壊された動力ユニットの消火に追われているだろうし、他の部署でも負傷者の救助や爆弾の運搬に走り回っている者がたくさんいるだろう。ポリーヌはそれらの兵士を全て見殺しにして、自分たちだけが沈みゆく艦から脱出するつもりなのだ。

 伝声管からは指示を求める現場の声がひっきりなしに響いている。誰もそれに答える者のいなくなった艦橋で、床に倒れ伏したマルグリットと放心状態のアネットだけがその雑音を聞いていた。

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