第17話 狂気に染まる空

 17.狂気に染まる空



「あっはははははははは!」


 ヒンデンブルグ号の上層階、艦内中央にあるブリーフィングルームに大きな笑い声が響いていた。

 声の主は白衣に身を包んだアネット・フォッカーである。彼女は数枚の紙束を手に、まるでカラスが合唱しているかのような高笑いを続けていた。


「博士、一体どうされたというのですか?」


「勝った! 勝ったわ! 私たちの勝利はもう決まったようなものよ!」


 ヴィルヘルミナが訊ねるが、アネットの答えはいまいち要領を得ない。周囲にいるパイロットたちも『この女、とうとう頭がおかしくなったか』とでも言いたげな表情だ。


「まあ、これを見てよ」


 ようやく笑い止んだアネットが、持っていた紙の束をヴィルヘルミナに渡す。


「これは……AMの設計図ですか?」


「そう、連合軍の新型AMの設計図よ。クリンバッハ城に潜入させておいたスパイがさっき持ち帰ってきたの」


「いつの間にそんなことを……」


「ちゃんとヒンデンブルグ閣下の許可は得てるわよぉ。残念ながら刺客のほうはあのガキの暗殺に失敗したみたいだけど……」


「そのようなことまで!?」


 トマサ・ソッピースに対するアネットの憎しみが尋常でないことは知っていたが、相手はまだローティーンの少女でしかない。そんな子供を相手に、まさか刺客を差し向けて殺そうとするとは。

 ヴィルヘルミナは目の前にいる技術者の狂気に触れ、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。自分たちは、そして祖国は、本当にこの女に命運を託してもいいのだろうか?


「でも……その設計図を見る限り、そこまでする必要はなかったようねぇ。そのAM、せいぜい試作機のアルバトロスD.IIIと同等の性能よ。D.IVとは比べ物にならない。今頃になってこんなものを造ってるようじゃ、あのガキの才能もここまでってことねぇ」


「(なるほど……それでさっきから上機嫌だったのね……)」


「万が一あいつがまた妙な新兵器を持ち出してきやしないかと思って先手を打ったんだけど……あーあ、気を回して損したわぁ」


 損をしたと言いつつ、アネットの表情はとことん晴れやかだ。先日の戦いといい、自分の作品が完全にトマサのものを上回っていると証明されたのが嬉しくてたまらないのだろう。


「これでもうなんの心配もないわぁ。あとは連合軍の連中を叩き潰すだけよ。みんな、頑張ってねぇ♪」


 アネットがひらひらと手を振りながらパイロットたちに笑顔を向ける。


「ですが、すぐに出撃というわけにもいきません。後続の部隊が来るまでもう少し時間がかかりますので」


 強力な兵器というものは少数でも敵を蹴散らせる反面、領土の制圧となると不向きである。町一つを占領するにせよ、再び敵を寄せ付けないよう防衛線を張るにはそれなりの人手が必要になるのだ。ヒンデンブルグ号に乗せられる占領部隊は三百人ほどしかいないため、一つの町の制圧が終わった後は内地から後続部隊を呼び寄せる必要があった。

 

「それにしても、今回はインターバルが少し長すぎなぁい? 敵の戦力が恐れるに足りないってことはもう分かったけど、それでもあまり時間をかけるのは良くないと思うんだけどぉ」


 ニュルンベルクの戦いの後、彼女たちはその周辺地域を制圧し、続いて南のミュンヘンを攻め落としていた。あとは西のシュトゥットガルトを奪還すれば、連合軍に奪われた南部の領土は全て取り戻せることになる。

 だが、なぜか今回に限って後続部隊の到着がいつもより遅れていた。普段なら丸一日も経たないうちにやって来るはずなのに、ミュンヘン陥落からすでに三日も経過している。


「もしかして、後続部隊以外にもなにか来るのぉ?」


「はい、実は……次のシュトゥットガルト奪還作戦より、ヒンデンブルグ閣下が御自おんみずからこの艦に乗り込まれることになったのです」


「閣下が?」


「ええ、領土奪還作戦の総仕上げはぜひ自分の指揮で成し遂げたいと……明日か明後日にはここに到着される予定です」


「なるほど……そういうことねぇ」


 ポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグはフランクフルトを陥落させた初出撃の日以降、連合軍に押され気味だった西部戦線の部隊にも激を送るため、しばらくその場に留まっていた。その彼女が再びやって来るということは、この作戦に対する期待と力の入れようがうかがえるというものだ。

 トマサに対するアネットの憎悪も半端ではないが、前任者のエーリカ・フォン・ファルケンハインに対してポリーヌが抱く侮蔑ぶべつもそれに負けてはいない。ファルケンハインに無能の烙印を押して追放したポリーヌは、これを機に自分が彼女よりも優れているということを政府や皇室にも見せ付けようというのだろう。そういう感情ならばアネットにも理解できる。


「閣下が到着次第シュトゥットガルト奪還作戦を開始するつもりですので、それまでは博士もごゆっくりなさってください」


「そうねぇ……そうさせてもらおうかしら。ほんと、ここ最近は美味しいお酒が飲める日が多くて嬉しいわぁ」


 そう言うとアネットは振り返り、ふらふらとブリーフィングルームから出て行った。


「あの女……最近アル中気味なんじゃない? 私たち、あれに頼ってて大丈夫なの?」


 ドアが閉まり、アネットの後姿が見えなくなったところでヘルミーネがつぶやく。ヴィルヘルミナとは違う理由だが、彼女もまたアネットに不信感を抱きはじめているようだった。


「この艦とアルバトロスD.IVが完成した時点で、すでに彼女の仕事は終わっているわ。あとは連合軍がこちらへの対策を立ててきた場合だけど……それもさっきの話を聞く限り大丈夫でしょう」


「そうだといいけどねぇ。イカれた科学者に付き合って挙句に心中しんじゅうなんて、私は真っぴらごめんよ」


「少なくとも、彼女が開発した兵器の性能だけは疑いようがないわ。あと、上官には敬語を使いなさいゲーリング中尉」


 ヴァルトラウトが口を挟むが、ヘルミーネは忌々しそうに舌打ちするだけだ。つい最近まで見下していたヴィルヘルミナやローラに敬語を使わなければならないのはもちろん、この部隊においてはよそ者であるティーガーズの連中と同格扱いされるのも面白くないのだ。しかも最近は勢力的にも旗色が悪いせいか、ブリュンヒルデも大人しくしていることが多いので余計に肩身が狭くなっている。


「とにかく、あと少しよ。領土を全て奪還し、あとはWEUの領内を焼け野原にしてやれば……連合軍はもはや降伏するしかないわ」


「そうね。このヒンデンブルグ号がとされでもしない限り、我がゲルマニア帝国の勝利は揺らがないでしょう」


 ローラがヴィルヘルミナに同意し、続いてティーガーズの面々も一様にうなずいた。




 そして二日後、予定通りポリーヌがミュンヘンに到着した。

 自らの名を冠するヒンデンブルグ号に乗り込んだ彼女がまず指示したのは、すぐに艦をシュトゥットガルトへと向わせることだった。ここに来る前に様々な仕事で時間を取られてしまったため、兵士への激励を兼ねた閲兵えっぺい式などは移動中に艦内で行うことでスケジュールの遅れを取り戻そうとしたのだ。


「諸君! これまでの働き、まことにご苦労である!」


 ヒンデンブルグ号の格納庫内に、演壇に立ったポリーヌの艶のある声が響いた。


「現在、この艦は領土奪還作戦最後の攻撃目標であるシュトゥットガルトへ向かっている。この国から敵を駆逐し、連合軍に奪われた領土を取り戻せば皇帝陛下もさぞやお喜びになるだろう。そのために、諸君の一層の奮起を望むものである!」


 とても短い内容だが、形式ばったことの嫌いな彼女らしい訓示である。それでも軍人というより政治家といった印象の強かったファルケンハインと違い、威厳と自身に満ち溢れたポリーヌの姿はそれだけで兵士たちを奮い立たせるには十分だ。

 ポリーヌが胸の前で手をかざすと同時に、格納庫内に兵士たちの喝采かっさいと歓呼の声が広がっていく。その様子を睥睨へいげいしながら、彼女は満足そうにうなずいた。


「ラインハルト大尉、準備は全て整っているな?」


「はっ! 閣下をお待ちしている間に、弾薬類の補給と機体の整備は万全です」


「よし、戦場でのAM部隊の指揮はこれまで通り貴官に任せる。戦略的な指揮は私が直接行うので、貴官はそれに合わせて臨機応変に行動してくれ」


「了解であります!」


「大尉、私たちティーガーズも全力でサポートするわ。今度こそ連合軍にとどめを刺してやりましょう」


「ローラ大尉……ありがとうございます」


 青い狼と白き獅子ががっちりと手を取り合い、勝利を誓い合う。その光景を見た兵士たちが次々に万歳を叫び、ヒンデンブルグ号の格納庫は再び大きな歓声に包まれた。

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