第33話 黒板の名前

 33.黒板の名前



「そんな…………う、嘘…………だよね……?」


 ジャクリーンが両手で頭を抱え、その場にへたり込む。

 クルプル方面にいたロベルタとジャクリーンが駆けつけたとき、そこにあったのは中破した二機のキャメルと、毛布に包まれたクリスティーナの亡骸なきがらだった。


「……すまねぇ。俺がついていながら、クリスティーナを守ってやれなかった……」


 クリスティーナの体をコックピットから引きずり出したときに付着したものだろうか、パイロットスーツや両腕を血まみれにしたアルバータが顔を伏せる。


「とにかく、基地に戻ろう。アルバータはジャクリーンのキャメルを操縦、ジャクリーンはキャメルの手の上でクリスティーナが落ちないように抱えててあげて」


 冷静なロベルタがてきぱきと指示を出し、クリスティーナの遺体と茫然自失ぼうぜんじしつのジャクリーンをキャメルの手のひらに乗せる。アルバータとクリスティーナのキャメルは自走不能なため、こうして帰還する他はないのだ。

 帰りの道中、ケッフェナッハに向かっていたジョルジアナとシェリル、そして基地から駆けつけたエダやラモーナが合流した。しかしクリスティーナの遺体を抱えるジャクリーンの姿を見た後はみな一様に押し黙り、誰も口を開くことはなかった。



 その日の午後一時半――連合軍のAM部隊がインゴルスハイム基地に帰還した。出発したのは援軍に向かったのを含めて八機、帰還したのは六機しかいない。


「おかえりなさい。みなさん、お怪我はありませんでしたか?」


 事の顛末てんまつを知らないアーサリンが、屈託くったくのない笑顔で帰ってきたパイロットたちを迎える。そんな彼女に寂しそうな顔をしたエダが近づき、肩に手を置いて静かに首を振った。


「えっ……?」


 アーサリンがきょとんとした表情を浮かべていると、そこへロベルタのキャメルが帰ってきた。二人の人間を手のひらに乗せていたため、彼女だけ特にゆっくりと走ってきたのだ。

 キャメルが格納庫にひざまずき、両手を床に下ろす。その上にジャクリーンが乗っているのを見たとき、アーサリンは胸の奥を冷えた手でわし掴みにされたような悪寒を感じた。なぜAMに乗って出撃したはずのジャクリーンが自分の機体に乗っていないのか。それにあの姿は、かつてジョルジーヌを負傷させてしまい、ルネのスパッドに抱えられて帰還した自分と同じものではないか。

 嫌な予感を振り払うように、アーサリンがキャメルに駆け寄る。だがジャクリーンが抱えているものを見たとき、彼女の顔は青ざめた。

 それはぐるりと巻かれた毛布だった。青い毛布の真ん中あたりが赤黒く染まり、少しはだけた部分からは人の顔らしきものが覗いている。ジャクリーンの胸に抱かれた、土気色をしたその顔は――


「ク……クリス……ちゃん?」


 アーサリンが糸の切れた人形のようにその場にへたり込む。そしてジャクリーンは伏せていた顔を上げ、アーサリンの顔を見た瞬間、堰を切ったように泣き出した。


「…………っっっ…………アーティ……ちゃん…………う……うぅぅぅ…………うぁぁぁぁぁぁ…………!」


 シェリルがジャクリーンに駆け寄り、その体をクリスティーナの亡骸なきがらと一緒に抱き締める。だがアーサリンは動かない。まばたきすらできない。ただ呆然ぼうぜんとしたまま、涙だけをぽろぽろと流していた。 


「…………アルバータちゃん、なにがあったか報告を」


 ルネは沈痛な面持ちをすることもなく、努めて平静に振舞いながら職務を果たそうとしていた。自分とて涙の一つも流したいであろうが、基地を預かる隊長がここで取り乱すわけにはいかないのだ。


「……ヴァイセンブルクに到着後、一時間ほど経ったところで敵の出撃を確認。発煙筒で味方にそれを知らせた直後に、五機の地上部隊と会敵しました。自分が敵を足止めし、ドレーパー少尉を逃がそうとしましたが……」


「……それで?」


「逆に自分が敵の隊長機と思われるAMに足止めされ、左足と右腕を破壊されて戦闘力を失いました。その間にドレーパー少尉のAMが他の敵に撃破されて……」


「ロベルタたちが到着するまでせいぜい五~六分のはずだろ? その五分も持ちこたえられなかったのかよ!」


 エダが責めるような口調でアルバータに詰め寄る。


「……敵を指揮してたのが、マクシーネ・インメルマンだった……」 


「…………っっ!」


 泣きじゃくっているジャクリーンと茫然自失ぼうぜんじしつのアーサリンを除き、その場にいた全員が息を呑む。


「アルバータちゃん、それは本当なの?」


「オレンジに黒のストライプが入った機体、そしてあのインメルマン・ターン……間違いありません」


「そんな……どうして東部戦線にいるはずのインメルマンがここに……」


「それでも! それでもなんとかならなかったのかよ!?」


 ―― ゴンッッ! ――


 格納庫に大きな音金属が響く。アルバータがそばにあった鉄骨の柱を殴ったのだ。


「ああ、そうだよ! 俺が負けたから! 俺が敵の足止めもできないほど弱かったからクリスティーナが死んだんだ!!!」


 ―― ゴンッ! ガァン! ガゴン! ――


 アルバータが何度も鉄骨の柱を殴る。革の手袋越しとはいえ、その拳からはクリスティーナのものではない血が滴っていた。


「アルバータ、もういい。それ以上はいけない」


 ロベルタがアルバータを羽交はがめにし、柱から引き離した。


「くそっ! 放せロベルタ! 放せよぉっ!」


「アルバータちゃん、悲しいことになってしまったけど、あなたが自分を責めてもクリスちゃんは戻ってこないわ。これは戦争なんだから……仕方のないことなのよ」


 ルネがアルバータの肩に手を沿え、これ以上自分を責めないようにとさとす。その光景を見たアーサリンは驚いたような表情を浮かべ、幽鬼のようにふらりと立ち上がった。


「そんな……仕方のないことってなんですか! クリスちゃんが死んだんですよ!? それが“仕方のないこと”の一言で済まされるなんて……そんなの……冷たすぎるじゃないですか……!」


 アーサリンがルネの胸倉を掴み、顔を伏せて嗚咽おえつこらえる。

 ルネはただ悲しそうな顔をするのみだったが、それを見たシャルロットが鬼のような形相でアーサリンに詰め寄っていった。


「ブラウン准尉!」


「シャルロットちゃん、いいのよ」


 ルネが首を振って制止しようとするが、シャルロットは止まろうとしない。 


「いいえ少佐、これはきちんと教えておかなければならないことです。ブラウン准尉、来なさい!」


 シャルロットはアーサリンの腕を掴むと、その体を強引に引っ張っていく。そして格納庫の入口までくると、すぐそばにある黒板の前で立ち止まった。


「これをご覧なさい!」


 シャルロットはアーサリンの首根っこを掴み、突き飛ばすようにして黒板の前に立たせた。

 アーサリンが涙で赤くなった目で黒板を見ると、そこにはいくつもの名前がアルファベット順に書かれていた。彼女は今まで注意して見たことがなかったが、これは基地にいるパイロットたちの名簿だ。

 Bのアルバータ・ボール、フランチェスカ・バラッカ、ウィルメッタ・バーカーにウィルマ・ビショップ。Cのラモーナ・コリンショー。そしてDのクリスティーナ・ドレーパー……見知ったパイロットたちの名前が並んでいるが、その間に無数の見慣れない名前が書かれ、それらは上からチョークで棒線が引かれていた。負傷して療養中のウィルメッタとジョルジーヌの名前の上には星印が書かれている。


「こ、これってもしかして……」


「棒線が引かれているのは、死亡したパイロットの名前です。新しい人が来るたびに古いものから順番に消されていきますが、ここに残っている名前だけを見ても、今までどれほどの方が犠牲になってきたか分かるでしょう」


 そう、アーサリンがここに着任してからはたまたま死人が出ていなかっただけで、これまでにも数多くのパイロットたちが戦死していたのだ。マルグリット・フォン・リヒトホーフェンの八十機は別格としても、副隊長のエルネスティーネは六十三機、妹のローラでさえ四十機と、敵のスコアを見ただけでも、今まで何人の犠牲者が出てきたかして知るべしである。


「仲の良いご友人と死別したことがあるのが、あなただけだとでも思いまして? 仲間が死んで悲しいのが、あなただけだと思いまして? ここで生き残っている方々が、今まで何度こんな経験をしてきたと思っていますの!」


「…………」


 アーサリンが黒板の前にひざまずき、再び涙を流して唇を噛む。


「准尉、強くおなりなさい。私たちにできることは、生き延びてかたきを討つことと、死んだ方の後を追わないことだけですのよ」


「…………っっ…………はい…………!」


 その返事を聞いてシャルロットが微笑む。


「今日の特訓はもういいですから、ホワイト少尉とローワ少尉についていておあげなさい。明日になって気持ちが落ち着いたら、また特訓を続けましょう。アーサリン・ロイ・ブラウン准尉、よろしいですか?」


 そう言いつつ、シャルロットがアーサリンの頭を撫でる。その表情は先ほどまでの厳しさとはうって変わって、子供をあやす母親のように優しいものだった。


「ありがとう……ございます。取り乱して申し訳ありませんでした」


「仲間の死を乗り越えるのも一人前のAMパイロットとして重要なことですわ。亡くなったドレーパー少尉に代わって、今度はあなたが仲間を守るのですよ」


「……はいっ!」


 アーサリンが立ち上がり、頬を濡らしていた涙を拭う。その眼差しには、今まで以上に強い決意が込められていた。

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