第32話 元祖インメルマン・ターン

 32.元祖インメルマン・ターン



 クリスティーナのキャメルはアルバータのいる場所からほとんど離れることができなかった。敵のスピードは凄まじく、あっという間に三機のアルバトロスに包囲されてしまったのだ。


 ―― ガガガガガガガァン! ――


「きゃぁぁっ!?」


 またも後ろから弾を食らった。さっきから何度もこうして背中側を攻撃されている。

 ゲルトルート、テオドラ、ヴァルトラウトの三人は自分たちが描く三角形の中心にキャメルを捕らえ、まるで測ったように正確な距離を保ちつつ、その周囲をぐるぐると回っていた。そして敵の正面にいる者が軽い牽制攻撃で注意を引きつけ、敵がそちらを向いた瞬間、背後にいる者が本命の射撃を背中に撃ち込むのだ。さらに敵が攻撃されたほうを振り向けば、また背後にいる別の者が背中を撃つ。それを繰り返し、じわじわと敵を痛めつけるやり方は、チームワークなど存在しないに等しいクリンバッハ城のエースたちには真似のできないものだった。

 少し離れた場所から全体を俯瞰ふかんして見ていたローラも、その鮮やかな連携に見惚みほれていた。これでは自分が手を出す必要がないどころか、むしろ連携を乱さないよう下がっていたほうがいいぐらいだ。


「くっ……このままじゃ逃げるどころじゃない。なんとかしてこの包囲から脱出しないと……」


 クリスティーナも先ほどから何度も、この死の三角形トライアングルから脱出しようと足掻あがいていた。だが三角形の中心から逃れようとするたびに、二方向からの十字砲火でそのルートを塞がれしまう。かといって撃ち返そうとしたときには、敵はすでに視界の外なのだ。肩にマウントされたミサイルポッドもすでに全弾発射したが、まだほとんど実戦経験のないクリスティーナと違い、破れかぶれで撃ったミサイルが当たるほど敵の練度は低くなかった。

 かつてラモーナがクリスティーナたちを相手にやったように、一対多で戦うときの基本は常に全員を視界に収めることである。だが初動でそれを封じられてしまった彼女には、もはやなす術がなかった。


 ―― ズガガガガガァン! ――


 ―― ガギャギャギャギャギャァン! ――


「ぐぁっ……! ……は……」


 すでにクリスティーナのキャメルは蜂の巣のようになっている。コックピット部分は分厚い装甲のおかげでまだ貫かれてはいないが、このままでは装甲板そのものがボロボロになって脱落してしまう。


「くっそぉぉ! やめろぉぉぉっ!!!」


 アルバータがもの凄い叫び声を上げながら、クリスティーナのキャメルを取り囲んでいる三機に機銃掃射を浴びせる。そのおかげで三機の包囲網は崩れたが、満身創痍まんしんそういのキャメルはそこからすぐに動くことができない。


 ―― グワシャァン! ――


 アルバータがジャクリーンのキャメルに駆け寄ろうとした瞬間、再びマクシーネのアルバトロスが体当たりを仕掛けてきた。


「お前の相手は私だと言ったはずだ!」


「くっ……邪魔すんなぁぁっ!」


 ―― ガシャン! ガギャン! ガキィン! ――


 アルバータは機銃を背中のフックにかけると、左右のパンチでマクシーネにラッシュを仕掛けた。接近戦を得意とする彼女のキャメルには、通常なら左腕のみのパイルバンカーが両腕に装備されているのだ。


「どうだ! こうやって距離を詰めれば、得意のインメルマン・ターンも意味ねえだろ!」


「ふふ、接近戦で私の足を封じようという作戦か……考えたな。だが、インメルマン・ターンにはこういう使い方もあるのだ!」


 マクシーネは一瞬の隙をついてほんの少し距離をとると、パイルバンカーを構えながらアルバータのキャメルに突っ込んできた。真正面からストレートを打ち込もうとする構えである。


「あせったか! カウンター……もらったぁ!!!」


 アルバータは突っ込んでくるマクシーネに向けて、カウンターの左ストレートを合わせようとした。だがその瞬間、マクシーネのアルバトロスは倒れ込んでパイルバンカーによるパンチをかわしつつ、スライディングするようにキャメルの左腋の下へと滑り込んでいく。


「なにぃっ!?」


 突き出された腕の下に滑り込んで敵の視界から消えると同時に、マクシーネは左腕のパイルバンカーを地面に突き立ててスライディングの勢いを殺し、そのまま反時計回りに旋回してキャメルの真後ろへと回り込んだ。シャルロットがアーサリンに教え込んでいる通常の体捌たいさばきではあり得ないほどの、超至近距離での回り込みだ。


「せ、接近戦でインメルマン・ターンだとぉ?」


 さらにマクシーネのアルバトロスは斜めになった体勢のまま機銃を構え、キャメルの背に向けて銃弾を浴びせかける。


 ―― ダガガガガガガガガァン! ――


「ぐぁっ!」


 衝撃とともにアルバータの体が操縦ユニットの上で跳ねる。


「ぐぅっ…………く……くそったれババァめ……」


 アルバータが苦痛に顔を歪めながら悪態をつく。鍛えられた腹筋のおかげでアバラを骨折することはなかったが、それよりも深刻な事態が機体のほうに起こっていた。背後にいるマクシーネに向き直り、再び構えようとしたのだが、いくらペダルを踏み込んでも左足の履帯が動かないのだ。


「……あ、足が……!」


 インメルマン・ターンは倒れ込んだ体勢から、パイルバンカーを作動させた反動で起き上がる技である。敵が機体を起こす最中にも機銃を撃ち続けたため、普段なら腰の装甲に守られて当たらないはずの角度から関節部に銃弾が命中し、動力を伝えるケーブルが断線してしまったのだ。


「ふふふ、勝負あったな。ゲルトルート、もう邪魔は入らんぞ。早くそっちのやつも片付けてしまえ」


「了解しました」


 ―― ガシャァン! ――


 ゲルトルートのアルバトロスが背後からキャメルに近づき、仰向けに引き倒す。さらにテオドラとヴァルトラウトも加わって、クリスティーナの機体を三機がかりで押さえつけた。


「や、やだ……嫌だよこんなの……だ、誰か……」


 コックピット内のクリスティーナが絶望の声を漏らす。だが助ける者は誰もいない。まだ援軍が到着するまで数分はかかるうえ、一番近くにいるアルバータは足をやられてまともに動けないのだ。

 

「や、やめろ……てめえら……やめろぉぉぉ!!!!!」


 動くことのできないアルバータが声を限りに叫ぶが、通信の繋がっていない敵の機体にその声は届かない。

 アルバータは懸命に左足のペダルを踏み込むが反応はない。かといって、右のペダルだけを踏み込んでもその場で旋回してしまうだけだ。ターンやスピンを想定して元々少し固めに設定されているAMの履帯は、片足だけのトルクで真っ直ぐ走れるようには造られていないのだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 アルバータがマクシーネの部下たちに向かって乱射しようと機銃を向ける。しかし弾丸が発射されるよりも早く、銃を持つ右腕がマクシーネの機体にねじり上げられ、パイルバンカーで肘から先を破壊されてしまった。

 そうしているうちに、ゲルトルートのアルバトロスが地面に押さえつけられたキャメルの胸に向かって左腕を振りかぶる。


「……っっ!(みんな、ごめん……私、もう……!)」


 目の前でパイルバンカーを構える敵の姿を見て、クリスティーナが目を閉じる。

 そしてゲルトルートはパイルバンカーをコックピットのある胸に向かって打ち下ろし、作動させた。


 ―― バギャゥン!!! ――


「…………っぁ……は…………!」


 金属が引き裂かれる凄まじい音とともに、直径五十センチはあろうかという鋼鉄の杭が打ち込まれ、装甲を突き破って機体を貫通する。

 杭が引き戻されたとき、その側面には赤黒い液体がべっとりと付着していた。疑いようもない、人間の血液だ。


「く……くっそぉぁぁぁっ!!!!! てめぇら! 全員ブッ殺してやるぁぁ!!!」


 半狂乱になったアルバータが、ちぎれた右腕と残った左腕のパイルバンカーをめちゃくちゃに振り回す。もはや誰もいない空間に向かって、届くはずのない武器を振り回す様は哀れという他はない。

 そのうちアルバータのキャメルはバランスを崩し、前のめりに倒れて動けなくなってしまった。


「よし、今日はここらで引き揚げよう。そろそろ敵の援軍もやってくる頃だろうしな」


「少佐、そこの死に損ないには止めを刺さないのですか?」


「ふむ、そうしても構わんが……やはりこいつはこのままにしておこうか」


「パイロットを生かしたままでは、スコアが非公式記録になってしまいますが……よろしいので?」


「今回の目的は示威じい行動だと言っただろう。こいつを生かしておけば、私がクリンバッハ城にいることが他の連中にも広まる。連合軍の動きをしばらく封じるのに、これ以上の抑止力はあるまいよ」


「フフフ……なるほど、納得です」


 五機のアルバトロスが中破したキャメルを残し、クリンバッハ城へと続く山道を戻っていく。


「待てよお前ら! 待てぇぇっ!」


 アルバータは残った左腕でなおも立ち上がろうとする。だが作動しない左足の膝が支えにならないため、土下座のような格好で這いつくばるのが精一杯だ。


「くそっ!」


 アルバータはAMの前面にあるハッチを蹴破るように開くと、そのまま地面に向かって飛び降りた。そしてクリスティーナのキャメルに駆け寄り、外部から緊急用のスイッチを操作してハッチを開く。


「うっ…………」


 コックピットの中を見たアルバータは言葉を失った。クリスティーナの腹部は太いパイルバンカーによって大きくえぐられ、上半身と下半身が左脇腹の肉だけで辛うじて繋がっている状態だったのだ。


「ごふっ…………ごほっ…………」


 クリスティーナにはまだ息があったが、呼吸のたびに口から大量の血を吐いている。


「クリスティーナ! しっかりしろ! 死ぬんじゃねえ!」


 アルバータは懸命に声をかけたが、クリスティーナの顔色はもはや死人のそれである。誰の目から見ても、すでに助かる状態ではなかった。


「ち……ちゅう……い……」


 そのとき、瀕死のクリスティーナが声を発した。アルバータの姿が見えたせいなのか、それまで消えかけていた目の光がわずかではあるが戻っている。


「ジャクリーン……と…………シェリルに…………つたえ……て……ください…………いままで……ありが……とう…………あなた……たちは……死なない……で……って」


「わ、分かった! 分かったからもうしゃべんな!」


「アー……ティ……にも…………やく……そく……まもれ……なくて……ごめんね……って……」


 そこまで言い終えたところで、クリスティーナは力尽きたように目を閉じた。その口元はまるで微笑んでいるかのようで、無惨な姿と反比例するように安らかな顔だ。


「お、おい……クリスティーナ! クリス!」


 アルバータが何度呼びかけても、クリスティーナが再び目を開けることはなかった。そこいるのは、そこに“ある”のは、すでにクリスティーナ・ドレーパーではないのだ。


「ちくしょう……ちっくしょぉぉぉぉぉ!!!!!」


 午前中の晴天が嘘のように、空にはどんよりとした雲が広がり始めている。

 曇天の戦場跡に、アルバータの悲痛な叫びが響き渡った。

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