第34話 レッドローズ

 34.レッドローズ



 初秋のベルリンの町は、まるで真夏のような熱気に包まれていた。

 町の中央にある宮殿前の広場はもちろん、そこへ通じるあらゆる道に人間がひしめき合っていた。みな今日の式典を見るために集まった国民たちだ。

 宮殿の廊下にある窓からその人波を見下ろしながら、ヘルミーネ・ゲーリングは満足そうな笑みを浮かべていた。あと一時間もすれば、あそこにいる全ての民衆から万雷の拍手と喝采が自分の身に浴びせられるのだ。それを想像するだけで、彼女の全身はぞくりと震える。

 今日の式典に出席することになっているのはマルグリットを筆頭として、彼女の腹心の部下であるクリームヒルト・ボルフ少尉とヴィルヘルミナ・ラインハルト中尉、そしてエーリカ・レーヴェンハルト中尉とヘルミーネの五名である。

 名声にこだわっているはずのヘルミーネのスコアが、なぜ今までプール・ル・メリット勲章|(ブルーマックス)の授章基準に達していなかったのか。それは獲物をなぶる癖がある彼女の性格のせいだけではなく、ブルーマックスの授章基準そのものが引き上げられていたためだ。

 マクシーネ・インメルマンが初のプール・ル・メリット勲章を受章した当初、その基準は十機撃破と定められていた。しかしマルグリットの率いるエース部隊が戦場で大暴れするようになって以降、その数に達する者が増えすぎたため、昨年からは倍の二十機を撃破しないとブルーマックスは贈られないことになっている。

 そして先日の戦いでウィルメッタ・バーカーの乗る機体を撃破したことで、ようやくヘルミーネのスコアは二十機に達し、今回晴れてブルーマックス授章の運びとなったというわけである。


 五名のパイロットが完璧な正装に身を包み、赤い絨毯が敷かれた宮殿の廊下に軍靴の音を響かせていると、向こうから一人の少女と二人の女性が歩いてきた。後ろを歩いている二人はマルグリットたちと同じように軍服姿だが、真ん中にいる小さな少女は全身にフリルのついた可愛らしいドレスに身を包んでいる。


「あ、マルグリットだ! マルグ~♪」


 小さな少女が手を振りながら廊下を走ってくる。


「これは皇女殿下、今日もご機嫌麗しく……」


 マルグリットをはじめ、五人のパイロット全員が廊下に片膝をついて胸に手を当てる。廊下を走ってきたこの少女こそ、ゲルマニア帝国の次代皇帝となるヴィルヘルミナ二世皇女だ。

 皇女がマルグリットの豊満な胸に飛び込む。―― ぼよむ ―― という音がしそうな弾力に顔を押し返され、十歳にも満たないであろう少女はきゃっきゃとはしゃいだ。


「あいかわらずマルグのむねはふかふかだなぁ。かあさまみたいだ」


「は、はぁ……光栄であります」 


 すでに慣れたことなのか、抱きつかれたマルグリットの表情に困惑はない。というよりも、むしろ妹のローラを愛でているときのようにうっとりと、悪く言えばデレデレとしている。生粋のお姉ちゃん体質であるマルグリットは、年下の少女に甘えられると弱いのだ。

 軍人としては不遜ふそんとがめられても仕方のない痴態ちたいではあるが、皇女のほうからマルグリットの胸に飛び込んだのでそういうわけにもいかない。後ろに控えている二人の女性も、それに対して特に彼女を責めることはなかった。


「マルグはきょう、くんしょうをもらえるんだよね。おめでとう」


 皇女が天使のような笑顔でにっこりと微笑む。


「あ、ありがとうございます」


「うしろにいるのはおまえのぶかか? ひとりはみたことあるな。そうだ、たしかエーリカだったな」


 マルグリットのスコアは非公式を含めると八十二であり、今回が四度目の叙勲になる。そしてエーリカもまた四十機以上を撃破しており、今回が皇女に対して二度目の拝謁はいえつだった。


「名前を覚えていてくださって、光栄ですわ」


 マルグリットの背後に控えていたエーリカが、まるで人形のような美しい顔でにこりと微笑む。お嬢様育ちの彼女はこのような場においても所作の一つ一つが優雅そのもので、マルグリットも安心して見ていられる。


「しれいかんのファルケンハインとおなじなまえだからな。おぼえやすかったんだ。ほかのさんにんはだれだ?」


「二人は私の腹心であるクリームヒルト・ボルフ少尉とヴィルヘルミナ・ラインハルト中尉、眼鏡をかけたもう一人はヘルミーネ・ゲーリング中尉であります」 


 紹介された三人が目を伏せ、さらに頭を下げる。


「ふーん、ヴィルヘルミナはわたしとおなじなまえなんだな」


おそれ多いことです」


「めがねのほうのやつもわたしとなまえがにてるけど……おまえはなんかせいかくわるそう」


 ヘルミーネのこめかみがぴくりと引きつる。


「い、いえ……そのようなことはございませんわよ(このガキ……!)」


 子供には彼女の歪んだ性格が見破られてしまうらしい。皇女はヘルミーネから隠れるようにして、再びマルグリットの胸に顔を埋めた。


「殿下、お気持ちは分かりますがそろそろ……」


 後ろに控えていた女性の一人が皇女に声をかける。


「ええー、マルグとはなかなかあえないんだから、もうすこしだけいいだろう?」


「いけません。式典の時間が迫っております」


 二人の女性がマルグリットから皇女を引き離し、式典の準備に向かうよう促した。


「むー、じゃあしきてんがおわったあとで、またわたしのところにきてくれ。いいなマルグリット?」


「は、はいっ」


 皇女が二人の女性を引きつれ、廊下の向こうへと去っていく。その姿が見えなくなるまでマルグリットたちがこうべを垂れていると、その後ろから声をかける者があった。


「相変わらず殿下の覚えもめでたいようだな、マルグリット」


「ファルケンハイン閣下」


 マルグリットたちは一斉に立ち上がり、今度は軍隊式の敬礼をする。現れたのは軍の最高司令官であり、今回の式典を企画したエーリカ・フォン・ファルケンハインだった。


「クリンバッハ城での活躍、色々と聞き及んでいるぞ。今度はあのジョルジーヌ・ギヌメールを撃破したそうだな」


「はい、敵軍の公式発表では死亡していないとのことですので、非公式の記録ではありますが……」


「フフ、長期の戦線離脱を余儀なくさせただけでも大したものだ。これでやつらのエース部隊にとどめを刺すための決戦がより有利になる」


「フライヤーユニットの改修と、新たな兵器の開発も着々と進んでおります。もはや負ける要素はないといっても過言ではないでしょう」


「頼むぞ。今回の式典が終わったら、すぐにでも敵の基地を叩くのだ」


「はっ!」


 ファルケンハインが満足そうに頷き、窓の外から見える民衆たちのほうに目を向ける。


「ときに……今回の叙勲じょくんだがな、新たな勲章を制定することになったのだ」


「新たな勲章……ですか?」


「貴官も同じものを三つ四つともらってもさほど嬉しくはあるまい? なので、今回から新しい勲章を制定することになった。その名も『薔薇十字勲章』、貴官の栄光を称えるための勲章だ」


 その言葉を聞いたとたん、先ほどまで上機嫌だったヘルミーネの目つきが険しいものになる。


「これからはスコアが八十機に達した者にこの勲章を贈ることになる。インメルマンによってプール・ル・メリットがブルーマックスと呼び習わされるようになったように、いつかはこの勲章にもそういった愛称が与えられるだろうな。貴官の二つ名と同じ『レッドローズ』(赤薔薇)などというのはどうだ」


「はあ……」


「青と赤、二つの勲章があれば揃えたくなるのが人間だ。パイロットたちがこぞってこの勲章を目指し、スコアを競うようになれば、帝国の支配拡大はさらに前進するだろう」


「なるほど……そのための……」


 ファルケンハインはどちらかというと無能な軍人に分類される。不利な戦況であっても、根性論や戦意の高揚次第でそれをひっくり返せると思い込むタイプなのだ。

 たしかに戦うのは人である以上、本人のやる気はなによりも重要である。だが数値に現れる明らかな破綻といったものまでを精神論などで誤魔化すようになれば、それがすでに死に体なのだということが彼女には分かっていない。

 今はまだ戦況がほぼ互角であるからそれでいい。しかしこの戦争の行く末がどう転ぶかは、決してまだ楽観視できるものではなかった。


「さあ、行こう。国民が君たちを待っている」


 ファルケンハインに連れられ、マルグリットたち一行は式典の会場へといざなわれていった。

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