第21話 パイロット志願

 21.パイロット志願



 十日後の夜、インゴルスハイム基地の隊長室には緊迫した空気が流れていた。

 執務用の机を挟んで、ルネとアーサリンが対峙している。首にコルセットを巻いた姿で直立不動のアーサリンに対し、ルネは椅子に座ったまま天井を仰いでいた。


「……結論から言うと、あなたの希望は受理されたわ。先日の指令を完遂した功績でね」


「じゃ、じゃあ……!」


「アーサリン・ロイ・ブラウン上級曹長、あなたは今日付けで准尉に昇進。そして、ここインゴルスハイム基地AM部隊の隊員として配属を命じられました」


 アーサリンの顔がぱあっと明るくなるが、それに反比例するようにルネの表情は曇る。


「ふぅ……もう一度聞くけど、本気なの?」


「もちろんです!」


 事の発端は一週間前――トマサによるフライヤーユニットの分析・対策会議が終わってから三日目の夜のことだった。




 空飛ぶAMに対抗する手段がまだ講じられていない今、敵が攻め込んで来た場合の防衛手段は持久戦に持ち込む作戦しかない。とはいえ、そのためには基地の戦力が明らかに不足している。

 今後さらなる戦局の激化を予想したルネが連合軍の司令部に増援を求める手紙を書いていると、突然ドアをノックする音が聞こえた。


 ―― コンコン ――


「どうぞ、開いているわよ」


「失礼します」


 ドアを開けて入ってきたのはアーサリンだった。一応きちんと軍服に身を包んではいるが、先日の戦いで痛めた首に巻かれたコルセットがまだ痛々しい。


「アーティちゃん、どうしたの? こんな夜中に……」


「今日は、少佐にお願いがあって来ました」


「お願い? 一体なにかしら」


「私を……AMパイロットとしてここの部隊に入れてください!」


 アーサリンは執務用の机に両手をついて、ルネの顔を食い入るように見つめながらはっきりと言った。


「ちょ、ちょっと待って? AMのパイロットになりたいって……どういうこと?」


 あまりにも唐突な発言にさすがのルネも面食らったのか、かなり動揺した様子で聞き返す。


「どういうことって……言葉通りの意味です。私を諜報部からAMパイロットに転属させてもらえるよう、司令部にかけ合ってもらえないでしょうか?」


「………………」


 ルネは困ったような表情のまましばらく考え込んでいたが、アーサリンのほうに向き直ると厳しい口調で言った。


「厳しいことを言うようだけど、あなたにパイロットの素質があるとは思えないわ。訓練生時代もパップを動かすのがやっとだったんでしょう? それなのにどうして……」


 そもそもインゴルスハイムは最前線への補給基地であり、配属されているパイロットたちはゲルマニア軍最強のAM部隊と戦うために連合軍から選りすぐられた者ばかりだ。そんなところに素人同然の者が入隊しても、すぐに命を落とすと考えるのが当然だろう。ルネが反対するのももっともだった。


「もしかして、ジョルジーヌさんの負傷に責任を感じているの? 何度も言ったけど、そのことならあなたに責任は――」


「もちろんその責任も感じています。けど、それだけじゃありません。私が感じているのはRUKの軍人としての責任です」


「軍人としての責任ですって?」


「そうです。敵があんなものを開発したと知った以上、それで仲間が蹂躙じゅうりんされるのを見ているだけなんてできません。今クリンバッハ城を占拠している悪魔たち……あれを倒すのは連合国に生きるみんなの悲願で、義務のはずです」


 アーサリンの言うことはまるで教科書どおりの模範解答だった。

 たしかに二十五世紀の教育を受けた人間であればそう答えることも不自然ではないが、それにしても模範的すぎる。まるで就職活動中の学生が、暗記した面接のマニュアル本を本番でそのまま口にしているかのような印象を受けるのだ。


「アーティちゃん、本当のことを聞かせて。それはあなたの本心じゃないでしょう?」


「…………」


 ルネの質問に対して、アーサリンはなにも言えずに黙りこくってしまう。実のところ、さっきの台詞は全て口から出任せの綺麗事きれいごとだったのだ。

 今アーサリンの心を占めているのは、戦場で再会したヴィルヘルミナのことだった。彼女はこの三日間、敵になってしまった幼馴染をどうにかしてゲルマニア軍から抜けさせる方法はないかと、そればかりを考えていたのである。

 ジョルジーヌとの逃避行の最中、敵の追撃を受けていたことはルネたちにも目撃されていたはずだ。だが、アーサリンはその相手がかつての親友であったことを報告していなかった。それを知られれば、自分がAMのパイロットに志願した動機が私情からくるものだと判断され、却下されるかもしれないと思ったからだ。

 もちろんパイロット適正に乏しい自分が戦場に出たところで、この基地にいるエースたちのように活躍できるなどとはアーサリンも思っていない。しかしヴィルヘルミナと戦場で再び相見あいまみえることがあったなら、なんとかゲルマニアを捨てて投降するよう説得したかった。そのために彼女は自分の胸のサイズも省みず、AMのパイロットになるなどと言い出したのだ。


「……実際にあの兵器を目の前で見た者として、マルグリット・フォン・リヒトホーフェンを放っておくわけにはいきません。これは私の本心です」


 アーサリンはルネの目をしっかりと見据えると、胸の奥から搾り出すように口を開いた。

 ヴィルヘルミナの言葉を思い出すと、彼女はどうやらマルグリット・フォン・リヒトホーフェンに心酔していることがうかがえた。それならば、もしもリヒトホーフェンを連合軍の誰か――万が一にも自分が倒したなら、彼女の目を覚まさせることができるかもしれないとアーサリンは考えたのだ。

 とはいえ、これはかなり都合のいい想像でしかない。常識的に考えれば彼女はリヒトホーフェンの仇を憎むだろうし、それが自分であれば一生怨まれる可能性のほうが高いだろう。

 それでも、アーサリンにとって親友が敵国の走狗そうくとなっているのは耐えがたいことだった。彼女に限らず連合諸国の国民にとって、ゲルマニアという国はようやく安定を取り戻しかけた欧州を再び戦火に包み、その支配を目論む悪の枢軸国すうじくこくという認識なのだ。

 リヒトホーフェンを倒すことはもちろん、事によっては自分がヴィルヘルミナを撃破し、捕虜にしてでも彼女をゲルマニアから救う――アーサリンはそこまで覚悟したうえでパイロットになることを決意していた。


「アーティちゃん、あなたの感じているそれは義務でも責任でもないわ。私怨よ」


 ルネはアーサリンがパイロットを志した動機が、危うく殺されかけたことに対する私怨によるものだと受け取ったようだ。どちらかというと気弱なアーサリンの性格からすれば不自然ではあるが、それでも取って付けたような綺麗事きれいごとを持ち出すよりはまだ納得がいったらしい。


「それでも……それでもお願いします! せめて司令部に転属願いを届けるだけでも……」


「ハァ……分かったわ。とりあえず転属願いだけは提出しておきます。でも、受理されるかどうかは司令部の判断次第よ」


「はい!」




 結局ルネはアーサリンの転属願いをそのまま司令部に伝えた。そして一週間後の今日、アーサリンの希望は見事に叶えられたのである。

 ルネにとって正直これは意外だった。彼女がアーサリンの要望を受け入れたのは、まさかこの転属願いが受理されるとは思っていなかったからだ。AMパイロットとしての適正は皆無といっていいアーサリンが、最前線のAM部隊に配属されるなどとは考えもしなかった。

 たしかにジョルジーヌの負傷に関してはアーサリンをかばう形で報告したし、あれだけ重要な情報を持ち帰ったことに対する褒賞として一階級の昇進ぐらいはあってもいいだろう。とはいえパップを動かすのがやっとという胸の大きさと、それゆえに諜報部を志したという彼女の来歴を司令部の連中はちゃんと読んだのだろうか?

 それに戦力増強のために送るよう求めた増援にせよ、配属されてきたパイロットはわずか四名しかいなかった。しかもそのうち一人はローマ共和国軍から派遣されてきたエースだが、他の三名はアーサリンよりはいくらかマシという程度の、戦闘経験の浅い者ばかりだ。

 旧ベネルクス三国方面の北部戦線にも戦力を割かなければいけない以上、この基地ばかりにエースやベテランを送り込むわけにはいかないのは理解できる。それにしても、司令部の連中はいつもAMパイロットを戦意高揚のためのプロパガンダとして英雄にまつり上げるくせに、戦力という点においてはどうも数の集合体としてしか見ていない節があるのではないか。


「ハァ……」


 ルネがまたも深いため息をつく。それに対してアーサリンはやる気満々といった表情で、ウキウキしているのが傍目はためにも明らかだ。


「……アーティちゃん、こうなったからには仕方がありません。あなたにもAMパイロットとしてゲルマニア軍との戦いに参加してもらいます」


「はいっ!」


「けど、このままじゃ出撃してもすぐに撃破されるのは火を見るより明らかよ。私はパイロットを死なせるために戦場に送り出すようなことはしたくないの」


「…………」


「ですから戦場に出る前に、これから一ヶ月間の特訓を命じます」


「と、特訓ですか?」


「そして最終日にあなたの腕前をテストさせてもらいます。それに合格できなければ、あなたはずっと基地で待機。戦場には出しません……いいわね?」


「は、はいっ! 頑張ります!」


 アーサリンは空手の構えのように両の拳を腰の脇に引き、強い決意を込めた瞳で返事をした。

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