第16話 シャワー室の決意

 16.シャワー室の決意



 クリンバッハ城のAM格納庫に隣接したシャワー室に、規則的な水音が響いていた。

 シャワーを浴びているのはヴィルヘルミナだった。AMの動力ユニットであるGETSは電気エネルギーだけでなく多少の熱エネルギーも発するため、それに長時間生身でくっ付いているパイロットは汗をかきやすく、帰還した後はシャワーを浴びるのが通例になっている。

 シャワー室はいくつかの個室に仕切られているが、今ここにいるのはヴィルヘルミナただ一人しかいない。城に帰り着いたのはアーサリンたちを捜索していた彼女が最後だったので、他の隊員たちはみな先にシャワーを済ませたらしい。

 彼女はパップを発見したものの、パイロットと撮影手の二人は援軍の到着によって取り逃がしてしまったと正直に報告したが、そのうちの一人がノースアメリカにいた頃の幼馴染であったことだけは黙っていた。


「(アーティ……こんなところで再会するなんて……)」


 先ほどは無理に感情を押し殺してアーサリンに銃を向けたが、ヴィルヘルミナとてかつての親友を殺したかったわけではない。昔の彼女にとってアーサリンの存在は唯一の癒しであり、彼女はそのおかげで世の中の全てを憎まずに生きてこられたといっても過言ではないのだ。


 ―― がちゃり ――


 ヴィルヘルミナが自身の心の迷いを洗い流すかのようにシャワーを浴びていると、シャワー室の扉が開いた音がした。誰かが入ってきたようだ。


「む、まだシャワーを使っている者がいたのか。もしやラインハルト中尉か?」


 声の主はマルグリットだった。彼女は司令部への報告やアネットに伝えるべきフライヤーユニットの問題点を文書にまとめていたため、シャワーを後回しにしていたのだ。


「その声は、大尉ですか?」


「ああ、やはりラインハルト中尉か。パップの追跡、ご苦労だったな」


「いえ……自分から追跡を申し出ておきながら、結局敵にとどめを刺すこともフィルムを持ち帰ることもできず……申し訳ありません」


「なにを言う。転び方とアイカメラの光が消えたのを見ただけでパイロットが死亡したと思い込み、とどめを刺し損ねたのは私のミスだ。私もまだまだ詰めが甘い」


 マルグリットはヴィルヘルミナの隣の個室に入ると、蛇口をひねってシャワーを浴びはじめた。自らの甘さを叱咤するためか、まるで滝行のような勢いでお湯が出ている。しかしほとんどの水滴が豊満かつ柔らかな胸に弾かれてしまい、頭や顔以外の部分には胸を伝ってちょろちょろと流れているだけだ。


「……どうした? なにか悩みでもあるのか」


 隣の個室もシャワーを浴びているものの、流れるお湯の音にほとんど乱れがなく、体を洗っている気配がまるでないことに気付いたマルグリットがヴィルヘルミナに声をかけた。


「い、いえっ! なにも……」


「そうか? それならいいのだが」


「大尉にご心配をおかけして、申し訳ありません」


「いや、構わんさ。お前には期待しているのだ。もしも私の身になにかあったときには、部隊のことも、そして妹のローラのこともお前に頼みたいと思っている」


「そ、そんな! 無敵の大尉が敗北されることなどあり得ません!」


「中尉、無敵な者など居はしないのだ。たとえ“最強”の戦士だとしても、決して“無敵”でもなければ“不死身”でもない。腕の良し悪しで多少生存率が上がることはあっても、残りは運で生き延びているにすぎないのだよ」


 自分の師ともいえる存在であったオルトルート・ベルケが訓練中の事故によりあっさりとその生涯を閉じたことで、マルグリットは兵士の命の儚さというものを身に沁みて知っていた。事実、どれほど優れたパイロットであっても新兵が撃った一発の銃弾で死ぬ可能性があるのが戦闘というものだ。


「とはいえ、フライヤーユニットが完璧なものになればその心配もなくなるだろう。後はそれを使いこなす我々の練度が上がれば、連合軍のAM部隊もすぐに片付く」


「そうなれば前線の膠着状態も解消されて、我がゲルマニアの旗がパリに打ち立てられるのも時間の問題ですね」


「そのとおりだ。フライヤーユニットの完成品が人数分揃うまでは少し時間がかかるだろうから、しばらくは今日使用した試作型での訓練を続けることになると思うがな」


「大丈夫なのでしょうか……今日の出撃で連合軍にフライヤーユニットの存在が知られてしまいました。あまり決戦までの間を空けることは、敵に対策の期間を与えることにもなると考えますが」


「向こうにはあのトマサ・ソッピースもいるからな……その不安はある。だが敵が我々と同じ高さを飛ぶことができない限り、結局こちらの圧倒的優位は変わらんさ」


「トマサ・ソッピースといえど、写真を見たぐらいではフライヤーユニットの原理をすぐに解明することはできないと?」


「仮に解明できたところで、同じものを開発するまでには相当の時間がかかるからな。いや、完全に同じものを作れたとしても、フライヤーユニットはあくまで滑空用だ。上昇気流を捉えて多少高度を上げることはできても、自力で地面から離陸し、飛翔することはできない」


「あ……」


 マルグリットの言葉に、ヴィルヘルミナがはっとしたように声を漏らす。


「気付いたようだな。アネット・フォッカーが我が国に亡命してきてすぐにこの計画を立案した後、なぜ軍が多大な犠牲を払ってまでこのクリンバッハ城を攻め落としたのか……」


「はい、この城は前線や塹壕の周囲で一番標高が高い場所です。表向きは前線への補給基地とするためということになっていましたが、本当はフライヤーユニットを装備したAMを離陸させるための“高さ”を確保するのが目的だったのですね」


「そうだ。我々がここを占拠している限り、やつらが同じものを開発したところで空を飛ぶことはできない。我々こそが大空を舞う鳥であり、やつらが地を這う虫……捕食される側だという事実は絶対に覆らない、というわけだ」


 マルグリットが口角を上げ、にやりと笑う。


「そしてインゴルスハイムのエース部隊さえ蹴散らしてしまえば……」


「やつらは西部戦線を維持することもできなくなるでしょう。そうなればパリを攻め落とすのに、もはやフライヤーユニットを使う必要すらないかもしれませんね」


 ヴィルヘルミナが興奮気味に、マルグリットの言葉に自分の言葉を被せる。


「そういうことだ。しょせんAM部隊同士の戦いはどちらが先に敵のAMを全滅させ、残った歩兵部隊を蹂躙じゅうりんするかということに尽きるからな」


 マルグリットがシャワーのノブを回し、お湯を止めて髪をかき上げる。


「明後日には残り三機の試作型も組みあがるだろう。今日出撃しなかったフォス少尉とボルフ少尉、そしてローラの飛行訓練はそれから始めることになるが、その最初の指導は中尉がしてやって欲しいのだが……構わないか?」


 そう言いながらマルグリッドが優しく微笑む。妹であるローラや期待の後輩であるヴィルヘルミナに向けるときの笑顔は、敵を狩ることを想像しているときの獰猛な笑みとはまるで違うものだ。


「もちろんです!」


「フフ……では頼む」


 そしてマルグリットは個室のドアに掛けていたバスタオルを羽織ると、シャワー室を出て行った。

 残されたヴィルヘルミナはしばらく放心したように佇んでいたが、ふと顔を上げると、誰に言うでもなくつぶやいた。


「大尉の期待に答えるためにも、私はもう迷わない。もし次に戦場で出会ったなら、たとえそれがアーティでも……撃つ!」


 ヴィルヘルミナはシャワーのノブを力強く閉めると、頭を振って濡れた髪の水滴を振り払った。

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