第13話 逃避行

 13.逃避行



「うぅっ……く…………ぁ…………」


 中破したパップの中で、アーサリンは呻きながら顔を上げた。

 GETSに密着しているために機体からの衝撃をもろに受けてしまうパイロットと違い、撮影手にすぎないアーサリンの体はシートベルトで固定されている。おかげで何度も機体が跳ねたにもかかわらず、それほど大きな怪我はなかった。

 むち打ちによる首の痛みを堪えながら目を開くと、ジョルジーヌがコックピットに突っ伏してぐったりしているのが見えた。


「ギ、ギヌメール大尉! しっかりしてください! 大尉!」


 アーサリンは慌ててジョルジーヌの体を抱き起こした。ジョルジーヌは完全に意識を失っており、口の端からは血を吐いている。どうやら横転の衝撃でアバラが折れ、内臓を傷つけたようだ。機体が跳ね上がったときに頭をどこかにぶつけたらしく、ヘルメットの淵からも血が流れている。とても危険な状態だ。

 すぐにでもジョルジーヌを治療が出来る場所まで移動させなければならない。アーサリンはそう考えたが、現在の状況を思い出してぞっとした。今はまだ敵機に狙われている真っ最中なのだ。追撃が来る可能性は十分にある――そのことに気付いた彼女は身を縮めて追撃に備えたが、いくら待てども敵機からの追撃は来なかった。

 AMはパイロットが死亡するとGETSから電力が供給されなくなり、機体の目にあたるアイカメラの光も消える。実際にはアーサリンがジョルジーヌの体を操縦ユニットから引き剥がしたことでエネルギーの供給が止まり、パップのシステムが完全にダウンしただけだったのだが、それを見たマルグリットは中のパイロットが死んだものと勘違いし、あえて追撃を行わずに飛び去ったのだ。歴戦のベテランであるがゆえの、経験則による思い込みだった。

 パイロットの殺害までを含む撃破スコアにこだわるはずのマルグリット・フォン・リヒトホーフェンが、なぜとどめを刺しに来ないのか。アーサリンは不思議に思ったが、彼女は自分でも気付かないうちに助かるための行動をとっていたのだ。


 追撃が来なかったのは二人にとって僥倖ぎょうこうではあったが、依然としてジョルジーヌが危険な状態であることには変わりはない。どうやって彼女を基地まで運ぶべきか――アーサリンは考えたが、やはり自分がこのパップを操縦していくしかないという結論に至った。すでに基地まで数キロの地点まで差し掛かっているとはいえ、ここでAMを捨てて重傷のジョルジーヌを背負っていくには少し遠すぎる。途中で機体が壊れて動かなくなるにせよ、行けるところまでは乗っていくべきだ。

 アーサリンはジョルジーヌの体を後部座席に座らせ、怪我に負担をかけないようにシートベルトで固定すると、意を決して服を脱ぎ、上半身裸の姿になった。誰も見ていないにせよ恥ずかしいが、パイロットスーツがないのだから仕方がない。むしろ肌が触れる面積が増える分、胸の小さな自分でもそれなりの速度を出せるかもしれないと考えたが、残念ながらその期待は脆くも打ち砕かれた。

 GETSを削り出して作られたAMの操縦ユニットは、パイロットとの密着性を高めるために胸の当たる部分が一人ひとりのサイズに合わせてえぐられている。バレーボール級の胸を持つジョルジーヌのために大きくえぐられたコックピットには、彼女の胸ではガバガバだったのだ。これでは本来アーサリンでも出せるはずの出力すら発揮できない。


「お願い……動いてぇ」


 胸が駄目ならと、アーサリンは腹部や腕を懸命に押し付けた。すでにパップの腕部は壊れて使い物にならなくなっているので、上半身は目いっぱい密着させることだけに集中すればいい。そこまでしてようやくGETSが反応し、なんとか動けるレベルにまで電力が供給された。

 アーサリンは移動を開始しようと、システムがダウンして映らなくなってしまった前面モニターを点けようとした。しかしいくらスイッチを入れてもモニターが反応しない。アイカメラが壊れて作動していないのだ。これでは動くことはできても前が見えない。

 彼女は悩んだ末、機体前面のハッチを開けたまま目視で前方を確認しながら移動することにした。走行風で多少寒いがしょうがない。


 ボロボロに損傷し、もはや武器すら構えられなくなったパップは時速二十キロほどの低速で基地を目指した。ジョルジーヌの怪我を気遣ってのことではなく、機体の損傷に加えて胸のサイズが合わない操縦ユニットではこれが限界なのだ。

 本来なら一刻を争う状況だが、アーサリンは街道には出ずにそのまま森の中を、それも少しだけ遠回りしながら進んだ。もしも敵がルネたちを追うのを諦めて引き返してきたら、鉢合わせになる可能性が高いからだ。そして、その予想は見事に的中した。

 基地まであと五キロを切ったあたりで、前方から履帯の音が聞こえてきた。ハッチが開け放されているので遠くからでもよく聞こえる。一瞬味方かとも思ったが、この音は交換したゴム製履帯ではなく金属製のものだ。

 アーサリンが慌てて森の深いところに身を隠すと、赤や青、紫といった派手な色のAMがショーネンブール通りを走っていくのが見えた。あれは間違いなくさっきまで自分たちを攻撃していたゲルマニア軍の機体だ。それにしても、なぜ敵は空を飛ばずに地上を移動しているのだろう。あの飛行ユニットには活動限界でもあるのだろうか。もしかすると地上に降りざるを得なくなったため、追撃を諦めたのかもしれない。

 アーサリンが新兵器について分析しながら息を殺して敵をやり過ごしていると、六機の敵のうち一機のAMが急に速度を落とし、ゆっくりと森のほうへ近づいてきた。


「(気付かれた?)」


 サファイアのように深い青に塗装されたAMが、アイカメラを左右に動かしながらじわじわと接近してくる。やはりこちらを探しているのに間違いないようだ。

 アーサリンはどうすべきか迷った末、機体を捨てて徒歩で逃げることにした。自分たちの乗っているパップは両腕も壊れて完全に戦闘力を失っているし、この巨体でいくら隠れたところで発見されるのは時間の問題だからだ。重傷を負ったジョルジーヌを背負って五キロ近い距離を歩くのはかなりのリスクを伴うが、発見されて蜂の巣にされるよりはまだ生存率が高い。

 アーサリンは敵に気付かれないよう、ゆっくりとパップの両膝を地面に下ろして乗降姿勢をとる。そしてさっき脱ぎ捨てた服の下着だけを身につけると、上着をロープ代わりにしてジョルジーヌの体と自分の体をしっかりと結びつけた。もちろん撮影用カメラに収められていたフィルムを抜き取り、ズボンのポケットにしまっておくことも忘れない。


「ギヌメール大尉……痛いでしょうけど、少しだけ我慢してくださいね」


 取っ手のついた乗降用のウインチワイヤーに掴まって地面に下りると、アーサリンは基地のほうへ向かって森の中を歩き出した。

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