第12話 敗走

 12.敗走



 連合軍のAM部隊は空から雨のように降ってくる銃弾をかわしながら、ようやく山の麓へと戻ってきた。森を抜ければ街道沿いに南東のケッフェナッハに向かい、そこから基地まではわずかな距離しかない。

 とはいえ、ここまで逃げてくる間に連合軍のAMはどの機体もボロボロにされていた。装甲板を増やしていたおかげで撃破こそされなかったが、その装甲自体もすでに蜂の巣のようだ。キャメルほど重装甲ではないスパッドに乗るルネなどは左腕がやられ、接近戦用の武装であるパイルバンカーが使えなくなっている。


「くっ……こんな屈辱的な敗走は初めてですわ。見ていらっしゃい……必ず対策を講じてこのお返しをしてやりますから」


 ジョルジーヌの操縦するパップもかなりの銃弾を受けていた。致命傷となる胴体部や機動性を奪われる脚部に弾を食らっていないのはさすがとしか言いようがないが、大破を免れているのはなによりも運の要素が一番大きい。そもそもアイカメラで敵の位置すら捕捉できない状況では、勘を頼りに避けるしかないのだ。唯一アーサリンだけは可動式の撮影カメラで敵の姿を捉えることができるが、彼女が無線を通じて敵のおおよその位置を伝えていなければ、パップはもちろんキャメルですら撃破されていたかもしれない。


「よし……もうすぐだ。もうすぐ森を抜けるぞ。あとは基地まで街道を一直線だ」


「…………駄目よ! みんな、街道に出ちゃ駄目!」


 突然、ルネがなにかに気づいたかのように大声を上げた。


「少佐? ど、どうしたんだよ!? もうすぐ逃げ切れるんだぞ」


「いいえ、上空から攻撃されているこの状況では、障害物のない街道に出たら狙い撃ちされるわ。少し遠回りになるけど、ケッフェナッハまではロブザンヌ側の森の中を進むのよ」


「ちくしょう! また森の中かよ! あいつらいつまで追ってくる気だ!?」


 ルネの指示に従い、六機のAMはロブザンヌ東の森を南東に進んだ。ショーネンブール通りを進むよりは少々遠回りになるが、それでもあと数キロで基地まで逃げ切れる。

 だが、複座式パップの後部座席で身を縮めるアーサリンには一つだけ心に引っかかっていることがあった。たしかに城の写真は撮影したし、敵の新兵器の正体も判明した。しかしその性能の限界はまるで未知数であり、なにより二トン以上もあるAMがいかにして空を飛んでいるのかという最大の謎については全く不明のままだ。これではせいぜい「敵が空飛ぶAMを開発しました」という報告しかできないし、された方もただ驚くのみで対策の立てようもないだろう。しかも肝心の敵AMの写真といえば、はるか上空で円を描いて飛行しているときのものと、襲撃中に夢中でシャッターを切ったときのものしか撮れていない。最初の写真はせいぜい機影しか写っていないし、後のものはまるでピントが合っていないだろう。せめて一枚――なるべく接近した状態でピントの合った写真が撮れないものか。


「……ギヌメール大尉、一つだけお願いしてもいいでしょうか」


 アーサリンはパップを操縦しているジョルジーヌの背中に向かって声をかけた。


「なんですの? 下手に口を開くと舌を噛みますわよ」


「このままでは情報を持ち帰ってもなんの対策も立てられません。せめて一枚……一枚だけでもピントの合った敵AMの写真が撮りたいんです。私が敵機の来る方向とタイミングを指示しますから、それにスピードを合わせて同じ方向に動いていただけないでしょうか」


「なっ……! まったく……ずいぶん簡単に言ってくれますわね。でも、お任せなさい。それしきのこと、私にはお茶の子さいさいですわよ!」


 アーサリンはジョルジーヌの言葉にうなずくと、カメラをくるりと回して接近してくる敵影がないかを探した。

 いた。ちょうど高度を下げて後方から猛スピードで迫ってくる赤い機体――あれはマルグリット・フォン・リヒトホーフェンの駆るアルバトロスD.IIだ。


「敵機、七時の方向から来ます! 一時の方向へ抜けていくコース! 速さは時速百三十キロから百四十キロ!」


「五十メートルまで接近してきたら速度を合わせます! 敵機がフレームインしたらシャッターを切りなさい!」


「はいっ!」


 ジョルジーヌが機体をわずかに右に振った。斜め後方から飛んでくる敵機に対して移動軸を合わせようというのだ。今走っている場所は比較的木々が少ないため、少しの間なら蛇行せずに加速することができる。普通なら軽量のパップでも時速百キロを超えられるかどうかというところだが、バレーボール級の胸を持つジョルジーヌならば百三十キロ出すのもそう難しくはない。


「敵機接近! 距離、七十メートル! ……六十……五十!」


「行きますわよ!」


 合図とともに、ジョルジーヌは両足のペダルを全力で踏み込んだ。それに合わせて電流の量を制御しているプレートが連動し、履帯を動かすための車輪に直結されているモーターがたちまち猛回転する。


「ひゃぁっ!?」


 あまりの急加速に、アーサリンは後頭部が引っ張られて首の骨がズレるかのような感覚を味わった。こんな速度は胸の小さな自分では到底出せない。そもそも荒地を走ることが多いAMの平均速度は時速七十~八十キロがせいぜいなのだ。いくらカタログスペックで百キロ以上出せるからといって、人間のように二本の足で直立するため重心が高く、ほんの小さなギャップを踏んだだけでつまずきかねないAMでこんなにスピードを出すなど自殺行為にも等しい。それを可能にしているのは、ひとえにジョルジーヌの操縦技術と豪胆さの賜物たまものだった。


 空を飛ぶものと地を走るもの、二機のAMがほぼ同じスピードで森の中を駆け抜ける。そして空を飛んでいる分わずながら速いアルバトロスD.IIがパップの動きを完全に捉えたとき、アーサリンもまた同時にシャッターを切った。

 そのとき、アーサリンは見た。真っ赤な機体の右肩に白抜きで描かれた薔薇の紋章。まぎれもなく敵の部隊長マルグリッド・フォン・リヒトホーフェンの乗機である。そして軽量化された細身の機体の背中から平行に生えた二対四枚の翼。離れて見ていたときは気づかなかったが、敵のAMは複葉機だ。

 写真を撮影することに成功したアーサリンは、他に少しでも敵の機体に変わった部分がないかと目を凝らす。だが、彼女はそれ以上の観察も考察もすることができなかった。こちらに向けられた敵の銃口が火を噴いたのだ。


 ―― ズダダダダダダダダダダダダダダダ!!! ――


 結論から言えば、アーサリンが敵機の写真を撮ろうとしたことは完全に悪手だった。敵AMの姿を写真に収めることはできたし、それを分析すれば敵がどうやってAMを飛行させているかの秘密も解明できるかもしれない。だが、全ては生還できてこその話なのだ

 わずかな時間とはいえ、開けた場所で敵と速度を合わせて併走するというのはまとになるような行為でしかない。ゲルマニア軍最高のエースであるマルグリットがその隙を逃すはずがなかった。十分に接近して放たれた銃弾はパップの装甲を貫き、胴体部に直撃した。


「きゃあぁぁぁっ!」


「あぁぁぁっ!」


 機体が揺れ、バランスを崩した拍子にパップは前につんのめるようにつまずいた。時速百数十キロのスピードが出ていたため、そのまま勢いにまかせて激しく横転する。高速道路で事故を起こし、オートバイから投げ出されたライダーと同じだ。


 ―― どがんっ! ごがっ! ガシャァン! ――


 機体は何度か地面を転げ回り、背中側から木に激突してようやく停止した。


「ジョルジーヌ! アーサリン!」


 パップが横転しながら停止したのを見て、エダが声を上げる。


「待ってろ! すぐに助けに――」


「駄目よ!」


 機体を急反転させ、パップのもとに向かおうとするエダを隊長のルネが制する。


「どうしてだよ少佐! 二人を助けないと!」


「この状況で止まったり引き返したりしたら狙い撃ちされて、それこそ全滅もありえるわ」


「でも……!」


「誰かがあの兵器の情報を持ち帰らないと……基地に残っているみんなも、前線にいる歩兵部隊も皆殺しにされるのよ。ここで二人を見捨ててでも…………我々は帰還しなければいけないの」


「…………っっ!」


 エダはなおも口を開こうとしたが、それ以上の言葉が出てこなかった。この先も戦いが続くことを考えれば、これ以上戦力を減らすわけにはいかない。二人の兵士を助けるために、それ以上の犠牲を出すわけにはいかないのだ。

 それに、ルネも本当は二人を助けに行きたいはずなのは彼女にも分かっている。普段から隊員たちの姉のように優しいルネがどんな思いで『二人を見捨てる』と口にしたか――それが分かっているからこそ、他の誰も異を唱えないのだ。

 エダは奥歯を砕けんばかりに噛み締め、叫びだしたいのを堪えながらアクセルペダルを踏み込んだ。

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