第3話 猟犬部隊

 3.猟犬部隊



 クリンバッハ城とは、WEUの首都であるパリのはるか東方、ゲルマニアとの国境線にほど近い山岳地帯に建つ城である。元々は国境守備のための要塞として建造され、三年ほど前までは前線の塹壕に兵士や弾薬を送り込むための補給基地として使われていた。だが現在はゲルマニア軍に占領され、インゴルスハイム基地の連合軍AM部隊と戦うための前線基地として利用されている。


 ―― ギュィィィィィィィィィィィィィィィ!!! ――


 山の木を切り開いて整備された街道に、油を挿さないまま動かした切削せっさく機械のような甲高い音が響いていた。履帯(キャタピラ)の接合部が擦れる金属音である。

 AMは両足の裏に履帯を装着し、それを左右独立して動かすことで戦車以上の小回りと走破性を実現している。そのスピードは最大で戦車の二倍にもなるため、このような甲高い音になるのだ。

 山頂にそびえる城へと通じる坂を、数機のAMが土煙を上げながら進んでいた。攻撃パトロールから帰還中の部隊だ。機体色は白、黒、紫など様々だが、隊長であるマルグリット・フォン・リヒトホーフェンの代名詞ともいえる赤いアルバトロスD.IIの姿は見当たらない。

 味方の帰還が見張りの兵士によって伝えられると鉄の門が開き、それまで“へ”の字型に編隊を組んでいたAM部隊が一直線に並んで入口へと滑り込んでいく。

 帰還したAMが城の中庭に設けられた格納庫に次々と収容される。その中の一機――純白の機体の胸部ハッチが開き、中から一人の少女が降りてきた。伝統的な飛行帽を思わせるヘルメットを脱ぐと、押さえつけられていた長い金髪がふわりとなびく。彼女の名はローラ・フォン・リヒトホーフェン。この基地の指揮官であるマルグリット・フォン・リヒトホーフェンの実妹だ。

 ローラは雑用の兵士から軍服を受け取り、V型水着のように大きく胸元の開いたパイロットスーツの上に素早く着込むと、整備用ハンガーに収容されたばかりの黒いAMに向かってずかずかと歩いていく。そしてパイロットが降りてくるや否や、凄まじい剣幕で食ってかかった。


「ちょっとヘルミーネ! あんた、一体どういうつもり? 私の獲物を後ろから撃って横取りするなんて!」


「あら、私はただ後ろを取られて撃たれる寸前だった隊長の妹君を助けてあげたつもりだったんですけど?」

 

 怒鳴りつけられた女性はローラの剣幕にたじろきもせず、むしろ嘲るような目つきで堂々と言い返す。


「あれは敵を引きつけていただけよ! あの後すぐにターンを決めて撃破してやるつもりだったのに!」


「そうでしたの? それは失礼いたしましたわね。あまりにも動きがノロマすぎて、敵に追い込まれているのかと思いましたわ」


「何ですって!?」


 ヘルミーネ・ゲーリングはいつも子供をからかうような口調でローラに接する。それはローラの姉であるマルグリットに敵AMの撃破スコアで大きく水をあけられていることに対する嫉妬からくるものであったが、姉よりも子供っぽいことがコンプレックスになっているローラにとって、彼女の態度はとても神経を逆撫さかなでされるものだった。


「それはそうとリヒトホーフェン中尉……私は貴女あなたにファーストネームで呼ばれるほど親しい間柄でしたかしらぁ?」


 ヘルミーネはとても理知的で美しい容姿をしているが、大きな眼鏡の奥から覗く視線は常に他人を見下すような侮蔑ぶべつを帯びている。しかし本来ならば嫌味に見えるはずのその視線が逆に妖艶な魅力を醸し出し、まさに大人の女性といった雰囲気を漂わせているのもローラには気に食わない。


「くっ……失礼したわね。ゲーリング中尉」


 相手を喜ばせないよう、これ以上子供のように喚きたてないのがローラにできる精一杯の抵抗だ。


 ヘルミーネの後ろには別のAMから降りてきた女性がいつの間にやら立っていて、きびすを返して宿舎のほうへと去っていくローラをクスクスと笑いながら見送っていた。ヘルミーネの親友……といえば聞こえはいいが、実際のところは腰巾着といった存在のブリュンヒルデ・レールツァー少尉だ。いかにも意地の悪そうな目を虹のようなアーチ状に歪め、ニヤニヤと笑っている。


「フン……いい気味ね。隊長の妹だからって、あんな貧相な胸の女がこの部隊にいること自体が気に入らないのよ。ねえヘルミーネ」


 ヘルミーネは鼻で笑ったのみで返事をしなかったが、いい気味だといわんばかりの表情という点ではブリュンヒルデと全く同じだ。

 ブリュンヒルデはそう言ったが、ローラは特に貧相な体をしているというわけではない。胸の大きさにせよ、十六歳という年齢からいえば普通といっていい。だがAMパイロット同士、特にエース級の集まる部隊ではその“普通”ですら侮蔑ぶべつの対象となるのだ。

 ゲルマニア帝国は他国に先駆けてGETSを軍事利用するようになってからというもの、胸の豊かな女性から生まれた子供同士を結婚させるよう奨励する優良種選別政策をとっている。数世代を経れば、ゲルマニア一国で東西の欧州諸国を敵に回せるほどのAM部隊が編成できるようになるかもしれない。しかしそのせいで、帝国内はまさに『貧乳は人に非ず』といった風潮に包まれていた。

 そんな風潮の中で、姉をはじめとするトップエースが集うこの部隊にいることはローラ自身にとっても大きなプレッシャーだった。それを払拭するためにローラは努めて攻撃パトロールに参加し、姉に次ぐスコアを持つ副隊長のエルネスティーネ・ウーデット大尉やエーリカ・レーヴェンハルト中尉にも迫る実績を上げている。それでも部隊の同僚たちから向けられる嫉妬とあざけりの入り混じった視線は、いつもローラの心に付きまとっていた。


「くっ……!」


 ――― ゴッ! ―――


 ローラがレンガ造りの壁を叩き、苛立ちを沈めようとする。そこへ、廊下の奥から姉のマルグリットが歩いてきた。


「ローラか、そんなところでどうした」


「お姉ちゃん……なんでもないよ。ちょっとヘルミーネともめただけ」


「またか……あいつも仕方のないやつだ」


 マルグリットもヘルミーネの一方的な嫉妬には少々辟易へきえきしていた。マルグリットはヘルミーネの四倍近いスコアを上げているが、彼女はそれを「マルグリットのスコアが多いのは従軍するのが自分よりも一年早かったからにすぎず、パイロットとしての技量は自分のほうが上だ」と豪語してはばからないのだ。しかもヘルミーネの腰巾着であるブリュンヒルデを別としても、従軍経験の浅い兵士たちの間にもそれに同調する者が少なからずいる。

 マルグリットが率いるこの部隊が連合軍から“猟犬部隊”と呼ばれるほど統制が取れているのは、ひとえに彼女のカリスマ性によるものである。それがなければ隊員たちがめいめい勝手に功を競い合い、各国のエースを寄せ集めて結成された連合軍のAM部隊を揶揄やゆして自分たちが呼んでいる“ハイエナ部隊”と変わらなくなってしまうだろう。

 連合国との決戦用兵器が完成間近というこの時期に、ヘルミーネの増長ぶりはマルグリットにとっても頭の痛い問題だった。


「いいかローラ、お前は私にとって誇るべき妹だ。自分に自信を持て。お姉ちゃんはいつだってお前の味方だぞ」


 史上初のAM同士による戦闘を経験し、その後の戦術論に先鞭をつけた英雄オルトルート・ベルケの陸戦八箇条の一つに「戦場における兵士――特にAMパイロットというものは、自分はすでに死んでおり、意識を持ったまま動いているただの死体なのだと心得るべきである」というものがある。しかし自分に万が一のことがあれば、この功名心と嫉妬渦巻く軍の内部に最愛の妹を一人残して逝くことになる。それこそが帝国最強のパイロットであるはずのマルグリットが、戦場において完全に死人になりきれない理由なのだ。


「お前には才能がある。いつかきっと私をも超えるパイロットにだってなれるさ」


 マルグリットがその豊満な胸にローラを抱きしめる。

 ローラも少し前まではこうされるのが好きだったが、今ではあまり嬉しくない。自分も一人の兵士となった今の彼女にとって、姉の度を越した溺愛ぶりは子供扱い以外の何者でもないのだ。しかも質量が自分の倍はあるのではないかと思える胸を顔に押し付けながらそんなこと言われても、胸の小さい彼女には皮肉としか思えない。

 マルグリットがローラをハグから解放し、軽く髪を撫でてから廊下を戻ってゆく。その後ろ姿が声の届かなくなる距離まで離れたあたりで、ローラはぼそりと呟いた。


「ありがとうお姉ちゃん。でも、お姉ちゃんに言われるまでもないよ。私はいつかお姉ちゃんを越える。ゲルマニア帝国の歴史に英雄として語り継がれる名前は、マルグリット・フォン・リヒトホーフェンじゃない。ローラ・フォン・リヒトホーフェンだ……!」


 ローラは強い決意を込めた瞳で、去っていく姉の背中を刺すように見つめ続けていた。

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