第2話 Armour Maiden

 2.Armour Maiden



 冬も近づいてきたWEU(West European Union=旧フランスがポルトガルとスペインを併合して誕生した欧州西部を束ねる国家)東部の田舎道を、一台の馬車が走っていた。

 馬車の客はただ一人、金色の髪を短く切りそろえた少女だ。歳は十五~十六歳といったところだろうか、馬車が路面のギャップを踏むたびに小柄な体を跳ね上がらせ、時折ときおりお尻を痛そうにさすっている。

 木炭車の使用が許可されているのは尉官以上の兵士からである。連合軍司令部からの極秘指令を受けての任官とはいえ、諜報部所属である彼女――アーサリン・ブラウン上級曹長の立場は大隊幕僚だいたいばくりょうにすぎない。彼女は舗装されていないデコボコ道にうんざりしながらも、馬車の揺れにただ耐えるしかなかった。


 ―― …………ドォォォン………… ――


 風に乗って砲弾の炸裂する音が聞こえる。はるか北東の国境付近で、歩兵部隊による塹壕戦が繰り広げられているのだ。

 さすがに十キロ以上も離れたここまで砲弾は飛んでこないが、現在向かっているインゴルスハイム基地はまた別の意味で最前線だという。アーサリンは少し冷え込んできた初秋の空気に身を震わせながら、基地の司令官宛の指令書が入ったファイルを胸に抱え込んだ。



 基地に到着すると、アーサリンは馬車から降りて御者に礼を告げ、自分と同年代であろう歩哨の兵士に書類を渡して入門の手続きをした。面倒な手続きに十五分ほどかかった後、大きな鉄の門の脇に設けられた小さな扉が開き、ようやく彼女は基地内に入ることを許された。

 インゴルスハイム基地は元々学校だったのを改装したものだ。校舎だったところが兵士の宿舎となり、体育館が兵器の格納庫と修理ドック、グラウンドが訓練場になっている。

 アーサリンはかつて校門だった入口から兵士宿舎へと通じる道の途中、扉が開いたままになった格納庫の前でふと足を止めた。


「AMだ……」


 そこには全長五メートルほどもある鋼鉄の巨人が、整備用のハンガーに両肩を掴まれてぶら下がっていた。『Armour Maiden』――化石燃料が完全に枯渇した現在、十年ほど前から戦車に代わって世界中で使用されるようになった人型兵器である。

 前掛けのような機体の正面ハッチが上に開き、コックピットの内部が見えている。その中心部には、海のように青く輝く大きな石の塊が鎮座ちんざしていた。あれこそが『GETS』――この兵器の動力を生み出すための心臓部だ。



 二十二世紀の初頭――人類は完全な核兵器廃絶を成し遂げた。脅しの道具にしか使えない核よりも実用的な大規模破壊兵器の研究が進み、核ミサイルの類はもはや時代遅れの単なる危険物として次々と解体されていったのだ。

 かつてテロ国家と呼ばれた国々のほとんどが体制を自壊、もしくは大国との戦争に敗れたことで国家の統合が進んだのも大きな要因だった。

 度重なる原発事故によって世論が動いたこともあり、エネルギー供給源としての原子力も徐々に廃止されていった。代替エネルギーの開発により、いずれは森林資源や化石燃料にも頼らないエコ社会が実現する――当時は誰もがそう思い込んでいたのだ。

 しかし、残念ながらそうはならなかった。


 世界の各国首脳にとって誤算だったのは、人口の爆発的な増加だった。食料の生産やエネルギーの供給が日に日に増大する人口に追いつかなくなり、二十三世紀には化石燃料の枯渇が世界中で深刻なレベルに達したのだ。

 期待された代替エネルギーの開発も、どの国においても政府や企業の癒着、利権争いや内部構造の腐敗などで遅々として進まなかった。

 各国は原子力発電のノウハウを棄ててしまったことを後悔したが、もはやそれを復活させることも不可能だった。

 核廃絶ブームの末期、頭の中がお花畑と化していた当時の人々は二度と核の力には頼るまいと、そのとき地球上にあったウラニウムやプルトニウムなどの核物質を全てロケットに乗せて宇宙へと廃棄してしまったのだ。

 そして二十三世紀の中期、残された燃料資源、水と食料をめぐってついに第三次世界大戦が起きてしまった。

 そもそも核廃絶が進んだのも、平和思想の高まりによるものなどではなく、あくまで核兵器が前時代の遺物に成り下がってしまっただけの話なのだから当然といえば当然だ。


 世界中を巻き込んだ戦いは百年を経てもなお続いた。

 そのせいで残された化石燃料の消費がさらに加速したのは皮肉な話だが、かつて百億を超えた世界の人口はその大戦によって半分以下にまで落ち込むことになる。

 もちろん死者のほとんどは戦地で散った男性だった。二十四世紀には男女の人口比は一対九になり、政府を含めて社会を動かす人材のほとんどを女性が占めるようになった。

 戦争による死者と男女比のバランス崩壊――戦争の根本的な原因ともいえる人口の増加がそれらの要因によって解消されたのもまた皮肉な話だが、それでも人類は争うことを止めることはなく、二十五世紀の初頭にはついに化石燃料が完全に枯渇した。

 それ以降、人々の生活様式や産業は十九世紀末のレベルにまで衰退した。蒸気機関や木炭エンジンによる発電でなんとか機械文明は維持されていたが、それも森林資源の乏しいヨーロッパなどでは軍事利用に制限されているという有様だ。


 そんなとき、人類に新たな転機が訪れた。とある極東の島国で、エネルギー資源の問題に革命を起こす鉱石が発見されたのだ。

 その鉱石は単体では何の役にも立たないただの石ころだが、二十代までの未婚女性の素肌に触れたときにだけ熱と電気エネルギーを発するという、なんとも奇妙な特性があった。

 それが発見された当初は、科学者たちによって様々な憶測が飛び交った。といっても「百年以上にわたって続いた戦争で童貞のまま死に、地下に眠っている男たちの情念が結晶化したものではないか」とか、「かつてこの地に住んでいた民族の変態性が乗り移った奇跡の産物ではないのか」といった半ばオカルトじみたもので、結局真相は何も分からなかったのだが。

 むしろ問題だったのはその鉱石の用途だった。愚かな人類はこの素晴らしい発見をエネルギー問題の解決や戦禍からの復興に用いるより先に、またも兵器に転用したのだ。

 最初にそれを行なったのは、今なお比較的高い文化と国家の体裁を保っていた欧州と北米を我が物とせんとする野望を抱いたゲルマニア帝国――五百年近くを経て再び帝政となっていた旧ドイツだった。

 『Generation of electricity by touching stone』――通称GETSと名づけられたそれは、墓石ほどの大きさで小型の戦車を動かせるほどのパワーを生み出すことができた。当初は既存の兵器に搭載して化石燃料エンジンの代わりに使われていたのだが、ハーティ・スミスという名の技術者がこれを使って新たな白兵戦用兵器を生み出した。それが『Armour Maiden』――通称AMである。


「はぁ……」


 目の前にあるAMを見て、アーサリンが大きなため息をつく。

 AMは数世紀前まで使用されていた内燃機関付きの二輪車――オートバイのような形に削り出されたGETSが操縦席と動力ユニットを兼ねている。そこに大きく胸元の開いたパイロットスーツを着た女性が跨り、伏せるような格好で体を密着させることによって電力を生み出すのだ。

 つまりGETSは触れる肌の面積が大きければ大きいほど多くのエネルギーを得られるため、必然的に胸の大きな女性ほど大出力の機体を扱えるということになる。

 格納庫内にあるAMの八割が『ソッピース・キャメル(ラクダ)』――現在連合軍の主力となっている第三世代型で、大出力を積載性に転換することで重武装・重装甲を可能にした機体だ。

 士官学校時代、それほど胸の大きくないアーサリンはどうしてもこのキャメルを扱うことができず、今では訓練機か偵察機としてしか使われていない第二世代型の『ソッピース・パップ(子犬)』しか動かすことができなかった。

 筆記試験の成績においてはトップクラスだったアーサリンが、全兵士の憧れであるAMパイロットではなく、諜報部の幕僚コースへと志望進路を変えざるを得なかったのもそれが原因だ。


「いいなあキャメル……私もこれが動かせてたら……」


 幕僚から司令部の幹部を目指すのもたしかにエリートコースではあるが、最前線で戦うAMパイロット――それもエースともなれば国家の英雄扱いだ。目指すことすら許されなかった憧れの象徴ともいえる機体を前にして、アーサリンは嘆息せずにはいられなかった。


「お姉さん、そんなところに突っ立ってどうしたんですか?」


「ひゃっ!?」


 突然後ろから声をかけられて、アーサリンは思わず飛び上がってしまった。振り返ると、そこにはどう見てもまだプライマリー(小学生)にしか見えないほど背の低い少女が立っていた。油汚れにまみれたツナギを着てはいるが、後ろでまとめたツインの三つ編みお下げと大きな眼鏡がとても可愛らしい。


「あ、あのっ……わ、私は別に怪しい者じゃなくて……って、どうしてこんなところに子供が?」


 その言葉を聞いた少女の顔がみるみる不機嫌になり、まるで口の中に食べ物を溜め込んだハムスターのように頬が膨らむ。


「こーどーもーじゃーあーりーまーせーんー! こう見えても私は十三歳ですー!」


 自分も士官学校を出たばかりの十六歳ではあるが、十分子供じゃないか――アーサリンがそんな風に考えていると、格納庫の外から一人の女性が歩いてきた。


「あらあら、どうしたの? そっぴーちゃん」


 アーサリンが声のしたほうを振り向くと、そこにいたのは軍服に身を包んだ二十代半ばと思われる優しそうな女性だった。

 襟の階級章を見ると少佐である。おそらくこの女性がここの部隊長に違いない。


「少佐! “そっぴーちゃん”はやめて下さいっていつも言ってるじゃないですかぁ! 少佐がそんなんだからみんなが私のことをちっこいだの可愛いだのって馬鹿にするんです。だいたい私の名前はトマサなんですから、愛称なら普通は“トミー”か“タミー”でしょう」


 なにかのマスコットキャラのような名前で呼ばれた少女が軍服姿の女性に向かって抗議する。


「えぇっ!? トマサ……それに“そっぴー”って……ま、まさか……」


 少女がアーサリンのほうに向き直り、口の端をにやりと歪めて渾身のドヤ顔を作る。


「ふっふーん♪ その通り! 私がこの基地のAM整備長にして技術開発部主任、天才技術者の呼び声高いトマサ・ソッピースなのです!」


 トマサがアーサリンの目の前で、“ビシィッ!”と音がしそうなほど鋭い動きでVサインを作る。

 あまりの驚きに、アーサリンは自分の背中に電撃が走ったかのような衝撃を受けた。

 トマサ・ソッピースといえば、わずか九歳にしてローマ共和国(旧イタリア)のボローニャ大学を飛び級で卒業し、WEUのリュシー・ジュベローやノースアメリカ(旧カナダとメキシコを併合した北米大陸を統治する国家)のアネット・フォッカーと並ぶAMの開発者となったという、まごうことなき天才少女だ。

 そして現在連合軍で制式採用されている『ソッピース』シリーズの生みの親だ。噂には聞いていたが、まさかこれほど小さな女の子だったとは。


「自分で天才技術者とか言っちゃうところが、そっぴーちゃんの残念なところなのよねぇ」


「誰が残念な天才ですか誰が」


「(天才だってところは譲らないんだ……)」


 アーサリンがトマサを物珍しそうに見つめていると、軍服の女性が声をかけてきた。


「もしかしてあなた……今日配属される予定のアーサリン・ブラウン曹長かしら?」


 上官に誰何すいかされたことに気付いたアーサリンが慌てて姿勢を正し、目の前の女性に向かって敬礼をする。


「は、はいっ! 今日からこの基地に配属になりました。アーサリン・ロイ・ブラウン上級曹長であるますっ!(か、噛んじゃったー!?)」


「ウフフ、そんなに硬くならなくてもいいのよ。私がこのインゴルスハイム基地の司令官、そしてAM部隊の隊長を務めているルネ・フォンクです。よろしくね」


 その名を聞いてアーサリンはまたも驚いた。WEUのルネ・フォンクといえば、連合軍の中でもトップのスコア(敵AMの撃破数)を誇り、ゲルマニア軍のトップエースであるリヒトホーフェンと唯一互角に戦えると言われているエース中のエースだ。

 しかもリヒトホーフェンのスコアはパイロットの殺害までも含めた公式記録だが、AMを戦闘不能にしただけの非公式記録を含めれば、ルネのスコアはリヒトホーフェンのそれをはるかに上回る。

 ノースアメリカ北部(旧カナダ)の出身であるアーサリンも、WEUでは首都パリだけでなく全国の土産物みやげもの屋でルネのブロマイドが売っているほどの人気があることは知っている。雲の上の英雄を前にして、彼女はさらに体を強張らせた。


「あ、あのっ! これが配属の任命書と、司令部からの指令書です!」


 卒業証書の受け渡しのようにぎこちない動作で書類のファイルを手渡すと、それを受け取ったルネはふむふむと頷きながら任命書に目を通しはじめた。

 その優美な姿に、アーサリンは思わず頬を染めて見蕩れてしまった。腰まである長い髪をうなじの部分で束ね、微笑みを浮かべる姿はまるで聖母そのものだ。

 だが視線を少し下に落とすと、アーサリンは思わず変な声が出そうになってしまった。なにせルネの胸は今にも軍服のボタンを弾けさせんばかりに豊かで、そこだけ見るともはや母性を超越したものを感じさせるサイズなのだ。

 胸の大きさがすなわち機体の出力となるAMにおいて、一流のパイロットになるにはやはりこれぐらいのサイズが必要なのだろうか。

 アーサリンが自分の胸の貧しさに唇を噛んでいると、指令書のほうに目を通していたルネの表情が急に厳しいものになった。


「アーティちゃん、あなた……今回の任務について詳しい話は聞いてる?」


「は、はい。一応は……(初対面なのにもう愛称で……しかも階級じゃなくて“ちゃん”付け……)」


「そう……まあいいわ。とりあえず宿舎のほうに行きましょう。皆にあなたのことを紹介しなくちゃ」


 すでにルネの表情は先ほどと同じ、聖母のような微笑みに戻っている。アーサリンはいぶかりながらも、彼女の後について宿舎へと向かった。

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