第7話 悲しみの異世界デビュー

 不愉快な寝覚めから、暫くは何もしたく無い気分だった。

ベッドの上でぼんやりしていると、扉を連打する音が響く。

破壊する気か!そう言い出したくなるほど、強烈なノックが続く。


「はい、はい。今開けますから。少々お待ち得を。」


 扉の前にいたのはカタリナという女性で、この修道院で神からの神託を授かった方らしい。カタリナが言うにはもう少しで朝のお祈りらしく、それまでに渡された服を着て、礼拝堂に来て欲しいとの事だった。


 どうでもいい話しだが、このカタリナという女性のテンションがおかしいのだ。こちらを見て話しをしているのだが、明らかに目の焦点が自分ではなく、違うものにピントが合わされていた。

 とにかく自分的に苦手なタイプで、扉を開けた瞬間に“チェンジ”と口走らなかった自分を褒めてあげたい。まさに交換でなく、敬遠したいと思える人物だった。


 そんな事をぼんやりと考えながら礼拝堂に向かう。朝のお祈りの為に皆が礼拝堂に居るのだが、場違いな雰囲気に思わず確認したくなる。ここはプロレスか何かの試合会場なのかと。そう疑問に思えるほどの熱気だった。いったい何に対して、そこまで期待に胸を膨らませるのか全く理解出来ない。とにかく意味不明で、やたら熱い視線に晒され続けていた。特に最初の入り口から奥へ移動するときのあの感じ、花嫁がバージンロードを歩く時の気持ちが理解できた。こんな気持ちを理解しても、その経験の生かし所が思い浮かばない。それでもやっとの思いで朝のお祈りという苦行から開放されたが、実際には更なる苦行へと突入しただけだった。


「これは石膏ですか?」

「いいえ、パンです。」


 こんな会話はなかったが、恐ろしく固いパンとスープに心が折れそうになる。もはや何の味なのか分からないほど、超極薄のスープに固いパンを浸しながらなんとか食べる。しかし食べるというより、何かを破壊している行為に近い。試しに、手に持ったパンでテーブルを叩いてみたが、どちらがテーブルでどちらがパンなのか判断はつかなかった。


「私の金槌はどこですか?」

「いいえ、ここは食堂であって、鍛冶屋ではありません。」


 もちろんこんな会話もないが、時折突き刺さる熱い視線などもはや眼中にはない。

とにかく、生き残る為には食べるしかない。例えどんなに過酷であっても。


(あぁ〜異世界舐めてたわ。これはマジ過酷だわ。)


 これは本当にキツい。平和で飽食な国から来た者にとって、これほどこたえることはない。頭の中では、これまでに食べたさまざまな料理が、脳内を駆け巡っていた。しかし、この時順平はこの思いが、後に大きな悲劇を引き起こす切っ掛けになろうとは、夢にも思っていなかった。


 正直に言えば全くお腹は膨れなかったが、おかわりを要求する気力すら失せていた。立ち直る隙すら与えてられず、そのまま隣接する教会へ連れ出された。ただ、こちらは女子修道院と違い、多少落ち着いていた。司教様との話しは、驚くほど簡単に終わった。余りにもあっさりとした対応だったので、こちらの予想し得ない力が働いたのかも知れないと考えた。


 それから、こちらの希望で街の中を見物して回ることになり、その時になって始めてレイシアが近付いて来た。驚いたことに、昨日と同一人物なのかと疑ってしまうほど、レイシアは静かになっていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ここはサランドリア王国の東にある、バーランド領内の城塞都市バルドスらしい。順平の感覚では、中世ヨーロッパの城塞都市に近い。円形に近い楕円形の城壁が、丘の上にある街を取り囲んでいる。街を俯瞰すると六等分された区画があり、そのうち北側の2区画が貴族の住む区画、西と東の1区画づつが商業区画となり、城塞都市内を東西に2分する大きめの道に隣接していた。残りの2区画が市民の住む区画で南側の2ブロックに4〜5階建ての石とレンガで作られた建物が並んでいた。都市の中心には公園があり、そこから各門に繋がる道が続いていた。ちなみに、最初にこの都市を訪れたときに使ったのが南東門。門はそこに隣接する区画の住人が使うのが、暗黙の了解となっていた。つまり北西門は貴族のみが使用でき、東門が貴族または商人が使用した。南東門は、一般市民か商人。南門は一般市民が使用し、西門は一般市民か商人が使用していた。


 この城塞都市は北東の方向に大きな森林地帯があり、そこにはさまざまな魔物達がいた。それらの氾濫による被害に備え、二重の城壁で防衛していた。順平が保護されたのはこの大森林地帯よりも、少し街に近い中規模の森林地帯だった。ゴブリンの調査を依頼された、暁の誓いのメンバーに偶然助けられたのだ。


 すっかり忘れていたが、レイシアに街まで連れて来てもらったお礼を言ったところ、何だか別の方向を向いてブツブツ言っていた。どうやら嫌われているようで、あまり関わり合いになるのは避けているようだった。


 ただ、暁の誓いのリーダーからは、ギルドでの報告に立ち会って欲しいと話があり、順平としては、ギルドに行ってみたいと考えていたので、渡りに船だと答えていた。


(……ワタリ…ニ…フネ……?この男、また呪文を口にした。本当は何者だ。

 確か食事中も呪文を唱えていた。確か……マジ…キ…ツイ……)


 レイシアは人知れず、険しい表情になったいた。この男が修道院に来てから、修道院の雰囲気が一変した。以前、女性達は皆柔らかく微笑み、院内は清々しい空気に満ちていた。それがどうした事か、今では熱に浮かされた者立ちの浮ついた言動、さらに目の前の男を見るときの院内のシスター達の目は、言葉では言い表せない何かを含んでいた。周囲の熱狂を他所に、レイシアはどんどん冷めて行く自分が自覚出来ていた。ある意味、一番冷静で真面だった人間である。


 ギルドの外観は、順平が想像していたものに近かった。ごつい石作りの階段を昇り、無骨な要塞を思わせる頑丈な扉。今はそこが開け放たれ、落ち着いたのんびりとした空気が流れていた。それでも中から聞こえる賑やかな会話が、ある程度の者達が常駐している事を物語っていた。レイシアに先導されギルドの中に入ると、それまでの賑やかさが一変した。順平は何事かと周囲を見渡すが、誰も目を合わせてくれない。


 仕方なく、レイシアの方を向くと、彼女もこの状況が理解出来てない様子だった。取り敢えずレイシアに促され、正面の銀行窓口に似た受付を目指した。受付窓口は3ヶ所。しかし、その3ヶ所ともこちらを見ようともしない。レイシアは怪訝に思いながらも、窓口の女性を呼ぶ。


「エリサ、ちょっと聴いてるエリサ。うちのチームは来てる。ギルドマスターに話しがあるのだけど。」


「いえ、昨日いらっしゃいましたが、今日はまだです。」


「それで、何があったの。皆、様子が変じゃない。」


 そこまで話したレイシアは、会話に聞き耳を立てている連中に目を向ける。視線を向けられた者達は、何故か露骨に視線を外した。そんな周囲の目などお構いなしの男が話し始める。


「あの〜ギルドに登録できますか。始めてなんですが。」


「ヒィィィ!!」


 その言葉に、受け付けのエリサと呼ばれた女性が悲鳴をあげる。しかも、心なしか震えているような気配が伝わって来る。不審に思ったレイシアが見たときは、既に泣きながら震えていた。その受付嬢の姿とギルド内の様子で、大凡の見当が付いたレイシアは溜息を止める事が出来なかった。このレイシアの予想は、ほぼ正確に的を得ていた。


 それは昨日、ギルドが込み合う夕暮れ時の事だった。探索の任務から戻ったCランクの冒険者チーム“暁の誓い”がギルドへ報告に来た。それを受けてギルド職員が教会の司祭様を呼びに走り、その慌てぶりから何か重大な事態が発生したと勘違いした冒険者達が、その情報を求めた事から今回の一件が露見してしまった。


 ギルド側は教会関係者から神子様という情報がもたらされ、安易な情報の開示が出来なくなっていた。しかも間の悪い事に、断片的な情報がギルド内に漏れてしまった。その漏れてしまった情報が“裸のゴブリンクラッシャー”という説明時に使った言葉だった。これは単純に名前を聞忘れた暁の誓いのリーダーが、状況を説明するときに使った、順平のことを言い表した単語だった。更に悪い事に、探索に加わった魔法士シズが、ゴブリンは意外と使えるとか仄めかすことで、意味不明な恐怖心を煽ってしまった。結果的にゴブリンを歪んだ性の捌け口に使う裸のゴブリンクラッシャーという、誤った解釈が誕生しギルド内はその噂で持ち切りになっていた。


「あの〜お嬢さん、ギルドに登録をしたいのですが。」


 レイシアは、その暢気な雰囲気に苛立を感じたが、とにかく誤解を解こうとした。正確に説明すれば理解が得られるのではと考えたのだ。そして、いざ説明しようと口を開き、その後の言葉が続かなかった。このまま説明すれば、ただの誤解が確信に変わるだけなのだと気付いた。


 つまり、

 彼は人間ですか=イエス

 裸の状態でゴブリンを押し倒していた=イエス

 ゴブリンの腰布は剥がされていた=イエス

 それを見た他のゴブリン達は慌てて逃げ出した=イエス


 自分が視て気絶した光景をそのまま説明するれば、この変態男の話を補強するだけで終わる。これはダメだとレイシアが説明を諦めた瞬間だった。


「あの〜お嬢さん。」


「お母さん〜!!助け〜てぇ〜!。」


 そのギルド嬢は大声で叫び、自らの両肩を抱え震えながら泣いていた。流石の順平もこの状況は何かおかしいと気付き周囲を見回すと、いつの間にか血の気の多い冒険者達に取り囲まれていた。この騒ぎにギルドマスターが飛び出して来てくれたお陰で、事なきを得るのだった。


 その後、暁の誓いのメンバーが午後にギルドを訪れるまで、順平達はギルドマスターの部屋に監禁されていた。説明自体は、昨日の報告と変わりなく、順平は頷く程度のものだった。ギルドから帰るときに、順平はもう一度ギルドへの登録の件を切り出したのだが、ギルドマスターからは今はソッとしておいて欲しいと懇願された。納得できないがこれ以上は無理と判断し、仕方なくギルドを後にする順平だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ギルドを後にした一行は、のんびりと商業区画を歩いていた。一行とは、暁の誓いのメンバーと順平を含めた6名だった。このとき、露天などから流れて来る食べ物の匂いに、順平の腹は盛大に鳴き始めた。


「あ〜腹減ったな〜。何でもいいから腹一杯たべてぇ〜。」


 この言葉とほぼ同時に世界が静止した。普通に歩いていた順平は気付かず、前を歩く暁の誓いのリーダーにぶつかっていた。


「いて〜、どうした?」


 そこまで話して、周囲の異変に気付いた。人も動物も全てが動きを止めていた。空を見ると、鳥が空中で止まっていた。何が起きたのか全く理解出来ず。ただ、唖然と静止した世界を見詰めているだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る