第33話 強固なる意志

(やっぱり、そうくるよなぁ)


 私をそばに置いてください。そんなマリアの一言は、アゼルにとって予想通りであった。

 わざわざ、あの距離を歩いてきたのだ。相応の覚悟があってだろう、とアゼルはマリアの内心を想像していた。


 貴族のお姫様、といえば自由意志なく生きているものだとアゼルは思い込んでいた。付き合いが短くとも、マリアはアゼルのそんな幻想を打ち壊すには十分な存在である。見た目が可憐かれんなだけに、それにそぐわぬ彼女が持つ強固な意志はアゼルにはまぶしく映る。


 つくづく、この兄妹は自分の甘い考えを打ち壊してくれる。アゼルは興味深そうに事の推移を見守っていた。


 マリアのぐな目は強く輝いている。しかし、その輝きを受け止めることができない者がこの部屋に一名。

「…………はい?」

 そう、マリアに意志をぶつけられた張本人だ。シルクは、訳も分からず目をパチパチとさせている。


「おお」


 傍観ぼうかんすると決めていたアゼルが思わずうなった。


 シルクが本当に「分からない」ときはあんな顔をするのか、と。アゼルは驚きで目を丸くする。思い返せばシルクとは長い付き合いとなってきたが、まだ彼にはアゼルの見たことのない表情があることを知った。

 聡明そうめいであるがゆえに、もし知らないことに出会った時も自身の知識で事の本質を推察するのがシルクという男だ。


 それがどうだ、眼前の彼は。本当に何も考えられないといった感じでほうけている。アゼルは、それが面白くてしかたがない。


「今、なんて言ったの?」


 あまりに衝撃が大きかったせいか、シルクの言葉遣いはどこか拙い。されに言えば、今日は久しぶりにマリア相手に話をしているからか、シルクはのそれは妙に幼かった。

 それが、マリアには懐かしく思うのと同時に自分が子供扱いされていると苛立いらだちも覚えた。真剣に聞いてもらえていない、と感じ取ってしまったのだ。


「ですから、私をおそばにおいてくださいと言ったのです」

 だから、必要以上に気を張るのも仕方が無いだろう。毅然きぜんとした態度で、マリアは一切のよどみなく言い放った。


「おそば、おそばって」

 うわごとのように繰り返した後、シルクは一瞬だけマリアから視線を話した。ようやく、理解が追いついてきたシルクの顔色が変わった。そして、緊迫した表情でシルクは叫んだ。


「君、自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」


(うっわ、うるせぇ)


 シルクの大声が離れて見ていたはずのアゼルに直撃した。さすがに自分は蚊帳の外だと油断していた。そのせいで、耳が手で押さえたくなるくらいに痛い。それでも、アゼルは我慢して二人の邪魔をしないよう平静を保っている。

 シルクの声が大きいことは知っていた。元々の地声に加え、戦場でもよく通るように訓練されている。しかし、まさかこの部屋の中で、最大声量を発揮するとはアゼルは思っていなかった。


 それだけシルクが動揺しているのだろう。本当に珍しいことだ、とアゼルは感じた。


「はい。十分に承知しております」


 対して、マリアの反応は涼やかだった。彼女も内心、シルクの怒声に萎縮していたが、この反応は予想通りだった。

 きっと許してもらえないことを言っている。その自覚はある。だからこそ、マリアは引けない。このまま、自分の意志を押し切らなければならない。


「その上で、私をこの軍で働かせてくださいと言っているのです」


 あくまでも冷静に、そして淡々と。湧き上がる様々な感情を抑えて対峙たいじする。マリアの強い気持ちを前に、シルクもこれ以上取り乱していてはいけない。すっ、と彼の表情が冷えたのをマリアは感じ取った。


「それを僕が許すとでも?」


 妹に対してでは無い、指揮官としてのシルクの表情。それはマリアに対して真剣であることの証明でもある。彼女は多少の喜びを感じたが、要求を通す難度が上がったことを悟る。

 もう少し感情的でいてほしかった、とマリアは思う。こうなると、シルクはてこを使っても動きそうにないことをマリアは経験上知っている。


 だから、マリアも切り札を投入する。


「ええ、許さないですよね。許してくれなくても結構です。私は私の判断で動きます」

 この手のやりとりでシルクに勝てるとは思っていないが、泥仕合になら持ち込める。それが、星神教徒として旅を続けたことで得たマリアの経験値である。

「このとりで、救護の手が足りていませんね。私は、神に仕える者として彼の治療に当たります」


「……なぜ、それを?」

 シルクの紫眼がきらりと光る。どうやら、シルクとしても痛いところを突かれたようだ。

「ここに来るまでに、アゼル様から色々と聞き出しましたから」


 一瞬、シルクは奥で静かに見守っているアゼルを鋭くにらんだ。

(おまえ、動揺しすぎだろ)

 身内だとここまで甘くなるのか、とアゼルは笑い出したい気持ちをこらえる。あの、革命側へと寝返るときに見せた演技力はどこにいったのか。

(それじゃあ、嬢ちゃんに勝てるわけない)


 見た目は戦場に咲くには小さすぎる一輪の花。しかし、アゼルの鍛え上げられた眼力は、彼女の本質を見通していた。おそらく正攻法を用いて、全力で立ち向かっても、その体躯たいくを折ることはかなっても心を手折ることはできないだろう。

 マリア・アルビスというのは、そういう少女だ。これで、発展途上なのだから恐れ入る。完成したら、どのような女傑になるのか。


(まぁ、でも)

 だからこそ、心配なのだ。マリアは未完成で、アゼルから見れば、やはり子どもだ。『貴族様』らしく、世間知らずな部分も多分にある。いくら、本質が素晴らしくても壊れてしまっては意味が無い。咲き誇る前に誰かに折られてしまったら……そう思っているのは、シルクも同じだろう。

(だから、シルクには頑張って欲しかったんだけど。こりゃ、望み薄だな)

 正直、シルクの分が悪い。アゼルは内心、いきをついた。


「この地は、君が思っているよりも安定していない。いつ、本格的な戦闘が始まるか分からないんだ。そんな場所に君を置いておくわけにはいかない」

「私が巡ったティエールの地は、ここよりももっと不安定でしたよ。怪我けがをした方も多くてきました」

「……この軍には、王国の支配者階級をよく思わない者も多い。君がいる、それだけでその均衡を崩す恐れがある」

「それを兄様が言いますか。それこそ、ティエールでは『アルビス公爵家』に対して悪意のある方もみえました。私も身の危険を感じることがありましたが、それも仕方の無いこと」


 二人の言い争いは平行線を辿たどっている。マリアの言い分にはいちいち筋が通っており、肝心のシルクが感情論しか言えていないのが痛い。

(身内相手だと、あそこまで弱くなるもんかね)

 とにかくシルクの歯切れが悪い。冷徹な仮面を被っていても、ふとしたことで表情はすぐに崩れるし、言葉の端々に感情が見え隠れする。

 もちろん、シルクがそんな状態でもマリアが彼を言い負かすことはできないが、シルクも彼女に対して決定打を打つことができない。


(まぁ、でも、俺もシスターに何か言われたら反論できないしな。生きている時のお袋相手もそうだったか)

 アゼルが少し遠い目をして昔を思い出している間も、マリアの予想通り泥仕合を演じる二人。


「それでは兄様。私は、星神教の信徒として負傷者の治療にあたります。これもアルビス公爵叔父様に許していただいた修行しゅぎょうの一環ですから、兄様に止める権利がないのは言うまでも無いですよね」


 結果、停滞した空気を切り裂くようにりんとした声で宣言したマリアが宣言したことでシルクの説得は強制的に打ち切られることになった。

「あ、ちょっと待って。まだ話は」

「失礼します」

 ぺこり、とうやうやしくお辞儀をして部屋を後にしようとするマリアの背に手を伸ばすしか無いシルク。マリアにパタン、と扉を閉められて行き場のなくなった腕が空をさまよっている。


 そして、それがぐっと握られて……机にたたきつけられる直前で止まった。


「アゼル!」

(ほら、きた)


 火の粉が飛んでくることを予期していたアゼルは、シルクに呼ばれるよりも前に動いていた。彼の近くへ、すっと近寄るとわざとにっこりと笑いかける。


「俺に文句言われても困るぜ。俺がもし断っても、嬢ちゃん一人でここに来たろうよ」

 ここまで護衛してきただけ褒められるべきだと思うとアゼルはシルクの非難を予想して、先に弁明をする。


 アゼルの言うことをもっともだ、と思ったのか。それともマリアの姿が見えなくなったことで冷静になれたのか。

 ようやく、シルクの表情がいつも通りに戻っていた。眉間みけんしわは寄せたままであるが。


「誰に似たんだろ、本当」

「いや、どう考えてもおまえだろ」


 アゼルの言葉を聞かない振りをして、シルクは天井を見つめた。これからどうするか、考えているようだ。

 マリアがここに来てしまったのは事実。そして、不本意ながら言葉で追い返すことは難しい。そして、時間がかかる。


 その時間は刹那ではあったが、シルクの中では熟考に熟考を重ねた結果。


「マリアの寝所の確保と……あと、できたら女性の兵に護衛を頼みたい」

「え、おまえ。説得するのに日をまたぐ気か」


 多少のからかいも含めてアゼルは大げさに驚いた。さすがに悪ふざけがすぎたのか、シルクにじろりとした冷たい視線に、アゼルは肩をすくめる。


 マリアのことはじっくりと考え直そう。自身の失態を反省しつつ、新たな策を練るシルク。

「失礼します!」

 しかし、その思考は部屋に飛び込んできた者が告げた新たな厄介事によって中断させられるのであった。

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