第32話 公女の決意
「え、兄様? シルクさんって確か……うっそぉ」
突然の出来事に
「正真正銘、アルビス公爵家のお姫様だよ」
アゼルは大げさに溜息をついた。シルクといい、マリアといい、自分が持っていた貴族に対する想像を綺麗に壊してくれるものだとアゼルは思う。
ここまでの道中、アゼルは彼女自身から事情を伺っていた。その行動力に舌を巻くと同時に、シルクの血縁者だったらやりかねないなという思いも抱いた。
もうすでに育ちきった頃に出会ったアゼルですら、シルクの影響を受けたのだ。幼少期の、最も多感な時期に彼と接しているのであれば、型破りな姫様が生まれるもの致し方ないことだとアゼルは納得した。
「なんで、マリアが、ここに?」
その影響を与えたであろう本人は、未だに事態を把握できていないようだが。
「なぁ、仕事終わったんなら出てったほうが無難だぞ」
こっからここは修羅場になる、と行き場を失っていた兵士に退室を促すアゼル。彼はこくこくと頷いて立ち去っていった。
「え、君。本当にマリア?」
シルクは一度した質問を繰り返している。
「兄様、まさか私の顔をお忘れとか」
「いや、うん。まさか、そんなことはないんだけどね」
じろっとマリアに睨まれてシルクは慌てて両手を振って否定している。
ここまで、うまく頭の回っていないシルクは初めて見るなとアゼルは目を細めた。二人から少し離れて、アゼルは傍観を決め込んでいる。
シルクの反応も無理はない。予想外の再会、かつマリアと別れてから2年以上の月日が経っているのだ。
シルクの記憶ではマリアはまだまだ子どもで、敷地から外に出ることなど考えられない、か弱い存在であった。
それがどうだ。眼の前にいるマリアは着実に大人へと階段を昇っている最中で、背筋を伸ばした姿はある種の頼もしさまで感じるのだ。
「風の噂で、兄様のことを聞きました」
マリアの目は、まだ涙で濡れている。それでも、視線をそらすことなくシルクと向き合っていた。
対して、シルクの反応は珍しいことが続く。バツが悪そうに視線を泳がせている。家族に対しての後ろめたさを、彼はずっと抱えていた。
対外的には「家を捨てる」と宣言したものの割り切れない想いがあったであろうことは、側で見ていたアゼルにだって分かるほどだ。
「北部で大規模な反乱があった、と」
マリアは修行の一環として教会巡りをすることになった時、意識的にヴェレリア北部に近づくように目的地を選択していた。きっと会うことはできない、それでも足は向かっていた。
その道中で、反対方向から来た男達が中心となって話題に上がっていたのが北部で起きた戦争の話だ。
「どうやらヴェレリア王国は北部から撤退したらしい、と」
マリアの表情が
初めて、その事実を聞いた時は、全身から血の気が引いたことをマリアは覚えている。人はここまで震えるものなのか、と彼女自身を振り返って思う。
兄様が敗けた? え、敗けた人って、どうなるの? もしかして……。
そこから先は想像した瞬間に、頭が真っ白になった。これ以上は考えたくなかった。
そして、マリアが
「士官のくせにシルクって奴が裏切ったらしいぞ、と」
話をする男の口調を真似するマリア。ずっと渋い表情をして聞いていたシルクは深々と頭を下げた。
「ごめん、君達にはいらぬ負担をかけてしまった」
でも、とシルクが口を開こうとした時。
「でも……、僕はこの道が正しいと信じている、ですよね?」
マリアが今度はシルクの口調を真似て代わりに続けた。
「兄様、父様が生前言ってたこと。私だって、覚えていますよ」
そう言って、マリアは胸を張る。表情まで、記憶の中の父に似せてマリアは威厳たっぷりにシルクに言う。
「我々は王国の剣である。しかし、剣を向ける相手は決して間違うな。己で考えて、己の信じる道を行け」
その様子がおかしくて、シルクは初めて表情を緩めた。
思えば父は貴族でありながら武人のような考えを持つ人間だった、とシルクは懐かしく思う。
ティエール諸王連合との有事の際は、王国の為に矢面に立つと、和平に努めながらも兵士の訓練は怠らなかった。当然、自分自身も可能な限り鍛え上げていた。
そんな性格だから、言いたいこともはっきりと言う。先代の国王とは仲が良かったが、今の国王からは
晩年、病に倒れるまで己を貫いた人であった。
「ですから、私も選びました」
マリアの声が急に小さくなる。
思い出を振り返っていたシルクは、それを聞き逃した。何を言ったか、聞き返そうとしたシルクはマリアの視線の強さに目を丸くした。
その瞳は涙のあとを残しながらも、強く、強く輝いていた。
「兄様」
真剣な表情のマリアに対して、シルクは思わず背を伸ばす。
こんな力強いマリアを、シルクは知らない。お互い離れて生きてきた期間、彼女に何があったのか。シルクが、そんなことをぐるぐると考えている間に、マリアは覚悟を決めて言い放った。
「どうか、私を傍に置いてください」
その一言は、とてつもない威力を持ってシルクの思考をぶっ叩いたのであった。
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