第30話 揺れた足元

 アゼルがダーボン城まで戻ってきた頃には、すでに日が落ちかけていた。


「ん?」

 周囲の空気がおかしかったことに、アゼルは首を傾げた。

 もう皆が休む時間帯になっているというのに、城近くの広場が騒然となっている。数名の兵士達があっちにいったり、こっちにいったり。集まって何かを話している者もいた。


「おい、何かあったか」

 その中の一人にアゼルは話しかける。


「あ、アゼルさん。戻ってきてたんすか」

 振り返ったのはリデロだ。

 愛用の弓を持ち、いつでも戦場に行ける姿で彼は会話に参加していた。アゼルを見て、リデロの周囲の皆が一様に礼をする。よく見れば、同じくシルク配下となっている同僚達だ。


「……まぁ、何かはあったんだろうけど。それにしても、酷い慌てっぷりだな」

 一つ息を吐いて、もう一度周囲を見る。動いているのは報告の任を与えられている者らしく、足早に通り過ぎている。立ち止まっている者も、そわそわとせわしない。


「まぁ、ちょっとビックリしたのは確かっす。まさか、中央軍が山越えてくるとは」

「はい?」

 アゼルは予想していない言葉に眉根を寄せた。その言い方が若干威圧的だったのか、リデロが恐縮しつつ続ける。

「あ、でも大丈夫っすよ。そもそも少人数だったし、警らの部隊で難なく撃退できましたから」

「そりゃ、大勢進軍させるのは無理だろ。あんなところ、偵察にだって行きたくねぇ」


 アゼルは中央と北部の境目になっている山脈を思い出す。それはアゼルが往復したアリエット王国との境界とは全く違っている。


 鬱蒼うっそうとした森に突如現れる露出した岩肌。道なき道を進んだら、崖が目の前で「こんにちは」。おまけに熊や毒蛇といった面倒な野生動物の宝庫である。

 だからこそ、中央軍に数で劣っている解放軍でも、唯一切り開かれている道を塞ぐように存在しているフェルデン砦に兵力を集中し、鉄壁の守りとすることができているのだ。


 確かに予想もしていないところから奇襲をすれば効果は高いが、失敗のリスクはとてつもなく高い。

「嫌がらせで兵を浪費するなよなぁ」

 アゼルはつくづく、シルクに従う選択をしたことを幸運に思った。やはり、ルトルが案じていた通りヴェレリア王国で出世するなんて自分には向いていなかったとアゼルは思う。


 そんな物思いにふけっていたアゼルの顔が急に強張こわばった。


 ヒュン、と頭上から何かが降ってくる。

「あぶねぇっ!」

 とっさに右に避けたアゼルのいた場所に金属の棒が地面をえぐる勢いで落ちてきた。よく見れば、見覚えのある槍だ。その石突の部分が砕いた土、周囲に飛び散ったそれが周囲の人間にバチバチと当たっていく。


「ホント危ないな、頭割れるだろうが」

「割るつもりでやったのに」

 アゼルの非難を、ミィナは不満げな表情で受け止めていた。

「おっそい。どこで遊んでた」

 頬を膨らませるミィナ。対して、遅くなったのは事実なので強く出れないアゼルは頭をかきながら弁明を始める。

「そりゃ、シルクに言ってた時間よりは遅れたけど、こっちも色々あってだな」

「どーでもいい。戻ってきたなら、こっちは任せるから」

 いや、おまえが聞いたんだろうと恨めしい視線をアゼルはミィナに向けるが、彼女は意に介さない。そのまま槍を抱えて、背中を向けて走っていった。


「なんなんだ、あいつは」

 口を尖らせるアゼルの側に、離れていたリデロが近づいていく。アゼルを見つけて睨みつけていたミィナの姿が見えたので、リデロはこっそり彼から距離をとっていた。

「ミィナさん、現場に行きたくて仕方なかったみたいっすよ」

「そんなの勝手に行けばいいのに」

 そこまで言って、アゼルは出立前に聞いたミィナの言葉を思い出す。


――シルクのことならだいじょーぶ。あたしが守っておくからさ。


「あいつ、律儀に守ってたのか」

 もうすでに見えなくなっていたミィナの去っていった方角を見つめ、アゼルは大げさに嘆息した。


「あの」


 そんな様子を見つめていた紫の瞳。


「あの方を怒らせてしまったのは私のせいでしょうか」

 マリアはおずおずといった様子でアゼルに話しかける。彼女の小さな体がさらに小さくなっていた。

「ん? ただ機嫌が悪かっただけだろ、気にすんな」

 必要以上に恐縮している様を見て、アゼルはわざとらしいほどに軽い調子で彼女に答える。


 確かに彼女が同行したから遅れた。それは事実である。ただ、アゼルはその健脚ぶりに感服していた。

 道はあるといっても、あまり整備されていない道だ。前に進むだけで厄介なのだから、疲労もかなり溜まってくる。

 同行を許したアゼルも、一度了承したからにはシルクのもとへ連れて行かなければならないと先行して枝葉を払うなど彼女に気をつかった。それを抜きにしたとしても、休憩することなく歩き続けるには容易ではない。


 事情を聞いたアゼルも驚くほどに、彼女の視線は下がらなかった。どれほど強い意思を持っているのだろうと、アゼルは素直に感心していた。


「俺もシルクに報告しなきゃいけないから、一緒に行くか」

「はい、お願いします」


 じゃあな、とリデロに手を振ってマリアを案内するアゼル。そんな様子を黙って見ていた仲間が一人、リデロに話しかける。

「あの子、誰だろうな」

 しかし、リデロに言葉は届かない。彼は、ボーッと前を向いたまま立ち尽くしている。その視線は、ずっとマリアの後ろ姿を追っていた。


「可憐だ」

「え、おまえ。ああいう子が好み?」

 魂からこぼれ落ちたリデロの一言を、周囲の仲間の笑い声が包むのであった。

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