第29話 覚悟を決めて
「すみません、部外者なのに場所をとってしまって」
こちらを向いた少女を正面から初めて見たアゼルを息を呑んだ。
澄んだ紫色の瞳がアゼルを見つめている。そんな輝きをもった目をした人間をアゼルは一人しか知らないから、否が応でも彼の姿が彼女に重なった。フードからこぼれる、ふわりとした銀色の長い髪が更に彼の姿を思い出させた。
「いいよ、俺も便乗させてもらった。死者へ祈る言葉なんて、知らないからな」
非常に恐縮した様子で頭まで下げそうな勢いだったから、アゼルはあくまでも軽い口調で彼女に答えた。
ここで別れるのも芸がないのでアゼルは話を続ける。
「嬢ちゃん、教会巡りの最中だろ。どっから来たんだ?」
これで好みの女性だったら口説き始めるところであるが、宗教家相手にそんな気になれない。確かに見目麗しい少女であるが、年下という点から情欲が削がれる。
だから、彼女と会話を続けたいと思っているのは、単純な興味からだった。それぐらい、彼女のまとっている清涼な空気感が気になっていたのだ。
「えっと、私はヴェレリア王国の南部からで」
(おっと)
予想外なところからヴェレリア王国の名が出てきたのでアゼルは心中で身構えた。最悪な状況を予測はしたが、考えれば南部には星神教会が多い。
何も緊張するようなことはないか、とアゼルは肩の力を抜いた。
「そこからティエール諸王連合の各国を巡って、ここまで来ました」
彼女はそんなアゼルの変化に気づいていないようで、話を続けていた。
ヴェレリア王国の南部からティエール諸王連合の各国を巡って。言うのは簡単であるが、結構な距離のある道程だ。この細い体にどれだけの根性が宿っているのか、アゼルはますます気になった。
「結構な長丁場だな。それで、こっからようやく戻るのか」
「いえ、ここからは……」
彼女はそこまで言って何か気づいたのか、眉根を寄せて口をつぐむ。話したくないことでもあったのだろうと、察したアゼルは話を変えようとする。
「嬢ちゃんが泊まってるの、ここの教会だろう。俺もそこに用があってさ」
そこまで話したところで、遠くから声が近づいてきていることにアゼルは気づいた。懐かしい、その響きにアゼルはピタッと会話を止めて、声の方を振り返る。
「マリアさん、どちらですか。そろそろ戻ったほうがいいですよ」
丘を上ってくる、その姿を見たとき、一気にアゼルの思い出が蘇ってきた。
ここに住んでいた一年間、その短い期間にそれまで知らなかった安らぎを教えてくれた人物。その女性の姿をアゼルは一時も忘れたことがない。
目が合った。白のローブに身を包んだ彼女は、驚きの余り普段は細いその目を丸々と見開いている。アゼルはアゼルで、言葉が出てこない。
「えっと、シスター・ルトル」
何とか絞り出した彼女の名をアゼルが呟いたとき、ルトルは年齢を感じさせない勢いで駆け出した。
「アゼルさん!」
そして、力いっぱい彼を抱きしめる。これだけ感情を表に出すルトルは、それこそ出会った時と別れた時くらいしかアゼルは見たことがない。
落ち着いた香りがアゼルを包む。彼はそのまま彼女の気が済むまで動かずにいた。
「本当にアゼルさんなのね」
ようやく解放されたアゼルは改めてルトルの顔を真正面から見つめる。顔にできた皺が彼女の生きた年月を感じさせるが、それさえも美しく感じるところは昔のままだった。
「えっと、戻らないつもりだったんですけど事情が変わりまして」
アゼルもルトルの前では尊大な態度を取ることはできない。借りもあるし、恩もある相手なのだ。
「ふふふ。アゼルさんのことだから戻ってくるとは思っていましたよ。ちょっと、予想していた時期より早かったので驚きましたが」
「すみません、急に」
「いえいえ、私の命が尽きる前で良かったです」
ここは笑って良いところだったよな、とアゼルは苦笑いを浮かべた。ルトルの、時々自分の寿命をネタにするところは相変わらずでアゼルは反応に困る。
「ここで話していても何ですから、教会に戻りましょう。そうそう、マリアさんも一緒に……どうされました?」
ルトルが声をかけたのは、二人の足元で呆けている先程までアゼルと話していた少女だ。アゼルの登場に驚いていたルトルよりも、その目を丸くしていた。
紫の瞳にアゼルの姿が映っている。しばらく、彼をじっと見つめていたマリアが呟いた。
「アゼル様、あなたが……」
(シスター、俺のこと何か喋ってたのか)
正直思い出したくない出来事もルトルは知っている。彼女がマリアに何を話したのか気になると同時に、マリアの視線に恥ずかしくなってアゼルは顔を背けるのであった。
それから、アゼルは教会に併設された家屋の一室でルトルにこれまでのことを話した。この集落を飛び出して、流浪の旅を続けた結果、ヴェレリア王国の士官学校に入学し、そして軍を離れて解放軍に身を置いていることを。
正直、もっとうまくやれたことも多くあった。アゼル自身、やり直したいと思っていることも。
「そう、全部ひっくるめて貴方らしいわね」
その全てを、ルトルは肯定してくれた。
「そもそも権力を嫌っていた貴方が、権力側につくと言い出した時点でどこか破綻すると思っていたのよ」
「ご明察の通りで」
実際に入ってみた組織はどこも窮屈だった。成り上がるにも、それまで我慢をすることなど不可能だろうといつも感じていた。
だから、今は結構充実しているとアゼルは思う。
「初めて出会った頃を思い出すわ。ただ生き残ることだけ考えてた貴方が色々な価値観を手に入れて、ここまで来た。それだけで喜ばしいことよ。貴方の旅は無駄ではなかった」
――金はある。お袋を
ルトルがアゼルに初めて会った時、彼は人を殺せそうな目つきをした傷だらけの子どもだった。
ルトルが教会を構える集落は、アリエット王国が亡命者の為に用意した土地である。
シュターゼの王であり、連王としてティーエル諸王連合を率いていたクレーオの暗殺から端を発した内乱。その麗しき草原を血で染めた戦乱から逃げ延びた人々が、この集落には住んでいた。
そこにアゼルが現れる。アリエット王国の高官から紹介された時、仇でも見るかのように睨まれたことをルトルは覚えている。誰も信用できない、そんな表情だった。ルトルが星神教の僧侶であることを知ったアゼルが顔色一つ変えずに言った台詞が前述の一言である。
彼は母の遺骨をずっと持ったまま、内戦を生き抜いたことを後から知った。あまり彼は話してくれなかったが、どれだけ壮絶な人生だったのだろうとルトルは胸を痛めた。
まずは彼に精一杯の愛を渡そう。そう決心したルトルは隙を見ては立ち去ろうとするアゼルを引き止め、もう大丈夫だろうと彼女が手放すまで我が子のように愛したのであった。
「いやー、あのときの俺はかなり
その結果、アゼルは冷静に過去を振り替えれるくらいには人間らしくなったのである。
「それで」
「はい」
「戻ってきたってことは、預かっていたものをお返ししたほうがよいのかしら?」
核心を突く言葉にアゼルの表情が一瞬固まった。しかし、すぐに息を吐くとアゼルは真っ直ぐに向き直る。
「ええ、シスターの顔を見て、やっと覚悟できたんで。お袋にはもう一回報告しときます」
その顔が晴れやかだったことで、ルトルは肩の荷が下りた気がした。アゼルは本当の意味で独り立ちができたのだと、ルトルは小さく頷いた。
「そう、良い出会いがあったのね。貴方の行く道に星の導きがありますように」
多少の寂しさを込めて、ルトルはアゼルの未来を祈るのであった。
部屋を出る。ルトルには伝えたが、明朝には出発するつもりだ。
胸の辺りに手を置いて、確かな感触にずっしりと気持ちが重くなる。覚悟は決めたとは言え、数年悩んでいたことだから気分が軽いものではない。
それでも、決断したことに後悔はしないつもりだ。
「あ、あの」
扉から出たところを待ち構えていたのか、マリアが声をかけてきた。
「よっ、嬢ちゃん。ありがとな、お袋も喜んでる」
ルトルが言っていた。マリアはアゼルの母の話を知って、本来の修行の内容を休んでも祈りを捧げてくれていたのだと。
「いえ、ご家族の方がいるのに余計なことをしてしまったのかと。それに私は何も知りませんでしたから」
マリアは知らなかった。内戦のことは何一つ。
ティエール諸王連合の各地を巡っている時に、未だに残る爪痕も目にしてきた。近くにいたというのに、そんなことを知らずに過ごしてきた自分に腹がたった。内戦で亡くなった人の墓所を訪ねているのも自身の罪悪感を減らすためだということを、マリアは自覚している。
「いいんだよ、知った後に何か想って行動してるんだろ。そういうのに、早い遅いはねぇよ」
アゼルはマリアのそんな後ろめたい気持ちも読み取って、わざとらしく軽い口調で話を続ける。
「少なくとも俺は嬉しかったって思ってんだ。嬢ちゃんは少しは自分に自信を持ったほうがいいぜ」
「……はい」
若干明るくなった表情にアゼルが安堵したのも束の間。
「あの、ちょっとご相談があるのですが」
マリアはすぐにきっと眉を上げて険しい顔でアゼルを見上げる。その可愛らしい外見には似合わない迫力は、アゼルを一歩交代させるほどであった。
「な、なに?」
「アゼル様はヴェレリア北部からいらっしゃったと」
ルトルはそこまで話したのか、とアゼルは奥歯を噛んだ。いくら同職者とはいえ信頼し過ぎではないか。アゼルは警戒心を表に出しつつ、マリアの反応を観察している。
しかし、あらゆる可能性を考えて準備をしている、そんな気を張り詰めたアゼルにとってもマリアの次の言葉は予想できないものであった。
「シルク・アルビスという方をご存知ではないですか?」
「え」
思わず声を出してしまった。シルクの名が、ここで登場するとはアゼルは思っていなかった。それにマリアは「アルビス」と尋ねた。彼の家名を知っている者はそんなに多くはない。
どれだけ警戒しても、マリアから感じるのは必死さだけだ。それも純粋な、ただただ知りたいという欲求だけ。その真意を見透かそうとしても、背景に黒いものは何も見えやしない。
「シルクなら、うちの大将だけど」
念の為、腰の剣に手を添えながらアゼルは正直に答えた。
ぱあっ、とマリアの表情が明るくなる。あまりの神々しさに疑っていた自分が恥ずかしくなるほどだと、アゼルは感じる。
「あ、あの、アゼル様」
かなり食い気味にマリアが近寄ってくる。空腹の状態で餌を見つけた小動物のようだと、アゼルは思う。それぐらい、彼女から彼が感じる圧力は凄まじかった。
そして、アゼルを更に驚かせる一言を彼女は発する。
「どうか、私をシルクの元に連れて行ってくださいっ!」
「……本気?」
アゼルは先程まで気を張っていたことさえ忘れて、素の表情で返事をしてしまうのだった。
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