第27話 母の記憶

 ダーボン城を解放軍が占拠して数日。


 ヴェレリア王国北部軍の士官として使っていた部屋をシルクはそのまま与えられていた。そこで日々、デスクワークに忙殺されている。

 彼がこなすのは、主に調整関係。北部全域を占領したとしても、中央軍の勢力は健在。投降した兵士達の扱いであったり、今後の活動方針についてなど解放軍内でも意見が割れている事象にシルクは奔走していた。

 北部軍からの離反者という立場的に非常に危うい立場。逆にそれを生かし中立的な意見を述べ、両陣営から信頼を勝ち取っていくシルクの手腕は素直に感服する。


(生き生きとしちゃって、まぁ)

 アゼルは、そんな感じでシルクの働きを眺めていた。


 リチィオが言っていた。シルクは平和な時代であれば内政の方が向いていると。実際、北部軍で解放軍への対処を任されていた時は眉を寄せて考え込む方が多かったのだが、現在は無表情でありながら、アゼルには分かる程度に目を輝かせて書類を片付けていっている。


 しかし、こと戦闘関係に関してはシルクはあまり重要な仕事を与えられていない。現在は防衛戦が主であり、強大な勢力を地の利を用いて跳ね返すには兵士達の心の繋がりが最も重要である。

 そんな場所に、解放軍内では異質であるシルク達の舞台が入り込んだら、それだけで勝率が下がる。シルクは自分でもそう判断して、一線からは引いているのだ。


 そのため、正直に言ってしまえばアゼルは暇なのである。

 シルクに言われれば、どんな雑用でも引き受ける思いでいるのだが、そのシルクがアゼルに何も命じないのだから待機するしか無い。


(しかし、なぁ)

 アゼルはここ数日、シルクと初めて出会ったときのことを思い出すことが多い。それは現在のアゼルの原点でもある出来事だった。



 士官学校に入った頃、こんな噂を耳にした。貴族の公子様が入学したらしいぞ、と。

 冗談じゃない、と当時のアゼルは思った。ただでさえ良家の出身者の多い環境に辟易へきえきしているというのに。


 帰る家がある連中は、誰もが中途半端な根性で日々を過ごしている。最初、家柄しか見ずにアゼルのことを見下していた男は、一度叩きのめしてやったら学校を去っていった。

 そこで見返してやろうとなぜ思えないのか。家が大事なら、その名誉などもあるだろうに。両親のいない自分だって母の思いは少なからず背負っているというのに、とアゼルは逃げ出す者達を心底見下していた。


 その貴族の子とやらも似たような者だろう。軍人になろうとしているのは、兄弟間での勢力争いに負けたとかそんな理由だろうか。想像した人物が、あまりにもアゼルの嫌いな人種だったために「できるなら関わりたくねぇな」と思うのであった。


 アゼルの思惑通りに運命は動かない。その出会いは唐突に訪れた。

――君がアゼル、かい? ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな。

 休憩中に声をかけてきた銀色の髪をもつ少年。それがくだんの貴族出身の学生、シルク・アルビスであった。


 シルクはアゼルの剣術が自分の知らないものを基礎にしていることに気づいて興味を持ったと語った。どうか、教えることのできる範囲で教えてくれないかと頭を下げてきたのだ。


 シルクは、アゼルの想像とは全く違っていた。貪欲に色々なものを吸収し、自分の糧にしようとしている。アゼルにもあくまでも礼儀正しく、同期としての対抗心と、力量が上の者に対して素直に尊敬する心をもって接してくる。

 ああ、こういうのが本当の育ちの良さなんだろうと思うと同時にアゼルは己の偏見を恥じた。


 そして、それ以上に嬉しかったのだ。

 アゼルの剣は幼い頃、母親を真似て磨いてきたものだ。その後、生き残るのに必死で彼女の型をアゼルは忘れてしまっていた。今では、戦場で舞っていた彼女の姿を思い出すことはできない。あれほど憧れたというのに、だ。

 そんな自分ですら見失いかけていた原点、母の思い出をシルクは見つけてくれたのである。こんなに嬉しいことはない。



 その後、アゼルの方から積極的にシルクに関わるようになって今に至る。


(あの時はあんまり気にしなかったけど)

 アゼルはシルクが家を出たのは権力争いに負けたからだと想像していた。それは事実だったのだが、シルクの父が息子ではなく弟に跡を継がせたと聞けば話が違ってくる。

(なんで、シルクの親父さんはこいつを後継者に指名しなかったんだろうなぁ)

 こうして内政に精を出す姿を見ていると、領民にとっては良い領主になったのではないかとアゼルは思うのだ。それがシルクの幸せと結びつくか、と言われれば別の話であるが、わざわざ遺言で弟を指名するほどでもないだろう。


(まぁ、叔父さんがシルクを追い出すってのは気持ち分かるけど)

 優秀であるがゆえ、そのまま家に残っていたら新たな火種を生んでしまう。

 それを察してシルクも名前を捨てたのだ。まさか、王国に敵対する立場にまでなるとは、その時は思っていなかった。


「ねぇ~、シルク」

 猫が鳴くような声が聞こえる。物思いにふけっていたアゼルは気付かなかったが、いつの間にか部屋には彼とシルク以外にもう一人の姿があった。

 そもそも、彼女は本物の猫のようにシルクに忍び寄っていたから護衛の立場にありながら気付かなかったアゼルに非はない。実際に、彼女に敵対意識はないのだから無意識に警戒の範疇外にあった。


「手合わせしようよ、この前の続き。座ってばかりいたら、体が動かなくなるよ」


 薄着で抱きついてくるものだから、明らかにシルクは狼狽ろうばいしている。

「い、いや。ミィナレア、君とすると体がもたないというか」

「ミ・ィ・ナって呼んでって言ってるじゃん。ねぇ、しようよ。シルク、弱点ばかりついてくるから、そこがいいんだよ」

 傍から聞いていると少しいかがわしい響きがするが、シルクは単純に痛みで体が動かなくなるだけであるし、ミィナの方は文字通りシルクの戦術が興味深いだけである。


 シルクと手合わせすると、自分の弱い部分が分かるのが面白いという意見にはアゼルも同意する。しかし、きゃっきゃっ、とはしゃぐミィナの姿を見てアゼルは明らかに苛立っていた。

「何がミ・ィ・ナだよ。バカじゃねぇの」

 ぼそり、と呟いた一言。小さな声であったが、ミィナの優れた聴覚はそれを聞き取っていた。


 そっとシルクから離れると、ミィナは冷めた視線をアゼルに向ける。

「あら。頭の悪い言葉が聞こえたと思ったら、そこにいたんだ。知らなかったー、弱い人って気配も薄いのね。そりゃ、羽虫みたいにブンブン言わないと気付かないか」

「よーし、おまえ喧嘩売ってんな。買ってやるから表に出ろ、叩き潰してやる」


 そうして、何度めかの言い争いがシルクの目の前で始まる。こうなると、彼らの様子が気になって仕事にならない。

 どうやらアゼルとミィナは似た者同士のようで、同族嫌悪というか、相手の悪いところばかり目についてしまうようで初対面の時からののしり合っている。

 アゼルは普段、シルクに気を使いすぎているとシルク自身思っているので、こうして思ったことを口に出す相手が現れてくれた事自体は喜ばしい。


 しかし、時と場所はわきまえてほしいとも思うのだ。


「アゼル、ちょっと待って」

 しばらく様子を見守っていたシルクであったが、お互いが暴力に移行しようとしているのを察して声をかける。

「ミィナも。アゼルと話があるから、少しだけ下がってて」

「シルクがそう言うなら、うん、離れるけど」

 ミィナは納得していないようであったが、口を尖らしながら部屋の隅に移動していった。


「なんだよ、何か仕事?」

 アゼルは興奮した状態のせいか、シルクにもぶっきらぼうな態度を向ける。出会った頃のようで、シルクは少しだけ懐かしく思った。


「その逆。アゼル、君にはしばらく休暇をあげる」

「はぁ、休み?」


「やーい、お払い箱」という声が右から聞こえたのでアゼルは声の主を睨みつける。シルクも同時に彼女を見る。その視線には、君は黙ってて、という意思が感じられた。

 まさか、シルクにまで怒られるとは思っていなかったミィナはさらに隅っこで小さくなっている。


「しばらく部隊は戦闘から離れるからね。今のうちに」

「いや、休みもらっても何もすることが」

「本当に?」

 シルクはアゼルの言葉を遮った。穏やかではあるが、彼から発せられる妙な凄みにアゼルは断る言葉を続けることができない。


 そんなアゼルに、シルクは優しく提案する。しかし、その言葉には有無を言わせない迫力があった。

「もうすぐ、君の母上が亡くなった日だろう。アリエット王国は、ここから近い。君の足なら山越えも軽いと思ったんだけど、どうかな?」


 アゼルはむぅ、と唸ると頭をかく。

「俺、お袋のこと話した覚えないんだけど」

「一回だけ。酔っ払った君が話してくれたよ。君は覚えていないんだね」


 シルクは左の人差し指を立てて、左右に振っている。

 酒も怖いが、シルクもそうとう怖い。分かっていたことだが、彼に弱みを見せれば、最後まで覚えていて使用されるだろう。

 シルクがそれを悪用する人間ではないということ、それだけが救いだ。


「それを言うなら、シルク。おまえの両親だって待っているだろうに」

「こんな放蕩ほうとう息子より相応ふさわしい人が弔ってくれているよ。それに、僕は戻れる立場じゃないしね」


 君は違うだろ、とシルクが目で訴えてくる。

 自分はできないからこそ、できる人にはしてほしい。ここでもし断ったりしたら、シルクは自分のせいでアゼルに同じ思いをさせてしまったと悔やむだろう。

 それでも、と返答に躊躇ちゅうちょしているアゼルは急に肩を叩かれた。


「シルクのことならだいじょーぶ。あたしが守っておくからさ」

 いつのまにか近寄ってきていたミィナが、近くでニカッと笑っていた。確かにそれも懸念だったのだが、そこまで言われたら断る理由が見つからない。


 しばらく悩んだ後、アゼルは決断した。

「分かった。明日の早朝に行ってくる。できるだけ早く戻ってくるからな」

 そんなアゼルの言葉に、シルクは心底満足そうに頷いていた。


(まぁ、良い機会なのは確かだし)

 実はアゼルはシルクに感づかれていない悩みがあった。その結論が何になるかは分からない。しかし、母の墓前に行かなければいけない可能性もあった。

 シルクの方から促してくれて、助かった面もある。まだ悩み続けているところではあるが、決断は旅中にすることにしよう。



「アゼルがいない間に立場もらっちゃおうっと」

「てめぇ、それが目的か!」

 再び言い争いを始める二人を前に、シルクは頭を抱えるのであった。

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