第25話 堕ちる姫君

 ヴェレリア王国の王都ヴァレオ。その郊外に一基の塔が立っていた。

 歴史を感じさせるものの威風堂々たる佇まいは、牧歌的な印象の強い土地で一際異彩を放っていた。


 それは現在の国王、レザックの異母妹にあたるレスティーナの居城である。先王レスリオの急逝きゅうせいにより自身の婚約が破談となり、兄であるレザックにより与えられた住まいがここであった。

 それははたから見れば厄介払いのようにすら見えたが、当の本人は兄から一人前として認められたとご満悦だった。同じ王城の敷地内で隔離されて過ごすよりも、こうして誰にも縛られることなく自由に過ごせる方が彼女は幸せであった。


「貴方、今なにをおっしゃいましたか?」

 そんなレスティーナが不機嫌そうな表情で椅子に腰掛けていた。その視線の先にはお付きの騎士であるジェイドの姿がある。

 彼女の機嫌の悪さを察したジェイドは、恐縮した様子を見せる。それでも、凛々しく前を向いて言葉を続けた。


「北部の守備部隊は壊滅し、ダーボン城は反乱軍の手に」

「ジェイド」

 名前を呼ぶことで、レスティーナはジェイドの言葉をさえぎった。じとっとした目で、彼をめつける。


「私が伺ったのは、もっと前のことです」


 彼女の言葉に、そういうことかとジェイドは心の中で舌打ちする。顔には出さないものの、処理のしきれない不満が心を支配していく。

「もう一度、聞きますよ。誰が、裏切ったのですか?」

 ここ最近、レスティーナは一人の兵士に執着していた。妄執と言っても過言ではない。王国の勢力図が変わるという非常時においても、彼一人の存在が彼女の中で優先されるべき事象なのだ。


「北部軍士官、シルクの離反によって戦局が大きく傾いたと。私は、そのように聞いております」

「ああ、そう」

 レスティーナの表情がさらに険しくなる。しばし虚空を見つめた後に、小さく嘆息した。


 じっ、とジェイドを見つめる。美しくも、冷え切った眼差しだ。レスティーナを幼少の頃から知っているのだが、彼女のそんな冷酷な顔をジェイドは最近まで見たことはなかった。

 いつもどこか不安気で、そんな気持ちを悟られないように強がっている。そんな弱さのあったレスティーナの姿はここにはない。


 それを大人になったと言っていいのか。成長と呼んでしまうには、ジェイドはどこか寂しい気がするのだ。


「ジェイド、貴方は軍に協力なさい」

「と、言いますと?」

「お兄様が望むなら、援軍を出しなさいと言っているのです」


 冗談だろうとジェイドは思う。成り立ちも、歩んできた歴史も違う部隊が合流したとしても足を引っ張り合うだけだ。こちらが歩み寄ったとしても、あちらが拒否する可能性が高い。

 そもそも北部という特殊な土地は、攻める側には相当な犠牲を要する。そんな戦場に、信頼する同士を送り込みたくはないのだ。


「分かりました。それでは、陛下に援助の用意があるとお伝え下さい」

 それでも、レスティーナが望むのであれば、できる限り力になろう。ジェイドは若かった頃に誓った思いを胸に、うやうやしくレスティーナに頭を下げた。


「ええ。それでは、よしなに」

 彼の態度に、レスティーナは満足げに頷いた。


 背中を向けて部屋を後にするジェイドの脳裏に、エンブル砦で見たシルクの姿が浮かんでいた。

 あの時、初陣とは思えぬ戦果をあげた彼の横顔に「英雄の相」を見た。その言葉はジェイド自身の造語であるが、言い得て妙だと彼は思っている。

 幼い頃から初対面の人間に対して、不思議な感覚を覚えることがある。それを感じた相手は例外なく、所属する組織の中で成り上がっていった。


 だから、レスティーナがシルクに興味を示した時に積極的に動けなかった。

 もちろん、保身のためもある。それ以上に、シルクに感じた「英雄の相」が今までのものとは比べ物にならないほど強かったのが不気味だった。

(そうか、組織を壊す方に動いたか)

 妙に納得する自分がジェイドの中にいた。自分の直感は、シルクの危険さを告げていたのだ。

(今度、貴殿と会う時は戦場だな)

 レスティーナに見えぬよう、ジェイドは拳を強く握りしめていた。



 ジェイドの背中を見送った後、レスティーナは体を崩した。力を抜いて、背もたれに体重を預けて天井を見つめる。

「そう、貴方は私のものにはならないのね」

 ふふふ、とレスティーナは誰もいない空間に微笑みかけた。その姿ははかなげに消えそうでありながら、同時に周囲を威圧する凄みを感じさせる。


 初めてシルクに出会った時、彼に憧れのような感情を抱いた。自分の窮地きゅうちを救ってくれたシルクが、小さい頃に親しんだ物語の騎士の姿に重なった。シルクが自分を窮屈で閉じた世界から救い出してくれるのではないかと期待したのだ。

 彼のつややかな銀色の髪に嫉妬もした。そして、いつしかシルク自身を手に入れたいという欲望を持つようになった。

 その願いはおそらく叶うことはない。

「結局、私は物語のお姫様のようにはなれないのね」

 シルクも結局、手を伸ばしても自分が手に入れることができないものなのだと自覚する。


「そうね、どうせ手に入らないのなら壊してしまいましょう」

 レスティーナは笑顔のまま、残酷な言葉を口にする。


 まるで無邪気な子どものように、どこか助けを求める貧者のように。

 彼女はずっと、たった一人で笑い続けていた。

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