第24話 理想と現実と

 心臓が自己主張してくる。それだけ早く動いているというのに、頭にまで血が昇ってきている感覚がない。


 北部軍から離反する。その結論を出したのは最近であるが、思いつきで行動を起こしたわけではない。

 士官学校にいた頃から何となく感じていた違和感が、この北部にやってきてから表出してきたのだ。



 ヴェレリア王国は、アルシリア大陸の中でも珍しく軍人が職業として成り立っている国家である。

 他国のように身分で決まっているわけではない。戦の度に領民を集うわけでもない。常に訓練し、鍛え上げた常備軍は強大な敵を想定して作り上げられたものだ。


 イステロル帝国。


 かつて、幻遊戦争が起こった際に大陸を揺るがしたのがイステロル帝国である。魔を信望した邪教に支配されていた国で、すでに滅んでいる。その領地だった場所は儀式の跡が残り、現在も異様な空気が漂っている。

 もし、再び魔が蘇り、この地を襲うとしたら、この旧イステロル帝国領が起点になるだろうと言われている。

 名義上、セントクリフ皇国の領地であるが、そんな土地に好んで移り住む者はいない。そのため、色々な意味で荒れた場所となっている。


 そして、ヴェレリア王国は旧イステロル帝国領と国境を接していた。そもそもが、建国の英雄ヴァレオが有事の際は自分が対処できるようにと所望したのが現在の王国領だ。ヴェレリア王国軍の歴史もそこから始まっている。


『王国の魂を守護するために、外敵に対しての壁となり、打ち破るための剣となる』


 シルクもその理想を信じて、軍人を志した一人である。しかし、長い年月は、その尊い志を陳腐化させてしまっていたようだ。

 その強い力は外敵ではなく、内敵に向かっている。


 それが力をもたない民のためであればシルクも文句はない。実際に、リチィオ率いる反乱軍を鎮圧するためにシルクは精力的に動いていた。内部の憂いというのは、そういうものだとシルクは考えている。


 しかし、他の者はそうではなかったようだ。彼らの憂いというのは、自らの欲望を害する存在であるらしい。


 シルクが最初に疑念を抱いたのは士官学校にいた頃。

 中央の幹部が軍資金を着服しているという噂があった。その時は、それが例え真実だとしても、己の欲に負ける人物はどんな組織でもいるだろうとシルクは考えた。しかし、そういった類の話は聞こうとしなくても耳に多く入ってくる。

 いつしかシルクは「それは全体の話ではない、一部分の話だ」と思い込もうとするようになっていたが、実際に配属されると真実だと思い知らされることになる。


 決定的だったのは、治安維持にシルクが努めていた時。

 オットマーに「それは評価にならない」と冷静に言われた。彼個人の感情論であればシルクも納得できるのだが、おそらくはそれが軍全体の基準なのだと気づいて愕然とした。


 どんな些事さじも強大な武力を用いて制すること。それがシルクの配属前に、国王から告げられた命令だ。

 そこには恐怖によって、民を思い通りに動かしたいという欲望が透けて見えた。つまりは、国王にとって軍は自らの力を国民に誇示する為に存在しているということである。


 シルクはそこで軍を見限った。

 彼は平常おっとりしているように見えるが、実際は自分の力量に絶大な自信を持っている。そうでなければ、他者を動かすことなどできはしない。

 その力を、これ以上軍のために使うことは我慢ができなかった。



(さて、どうなるか)


 額に冷たい汗を感じる。冷静に判断はしてきたが、自分の感情を基礎として生み出された策は初めてだから不安感が大きい。

 何より、今回は自身の力以外に頼るものが大きい。シルクにとっての不確定要素が多く目の前に浮遊している。


「くっ、こいつ」

 シルクの行動が予想の外だったためか、しばらく呆けていた兵が動き出した。シルクの護衛の為に処刑台にいた右の男が、慌てた様子で剣を振りかざす。


 シルクは突き出した剣を引き、構え直した。

「せぇーのっ!」

 しかし、反撃をしようとしていたシルクの視界から男の姿が消える。横から飛び出した足が彼を蹴り出したのだ。男は勢いよく処刑台の下まで転がり落ちていく。


 足を出したのは、シルクの左側にいた兵だ。シルクは視線を移すと、彼は自分の兜に手を添える。


「まったく、こっちは打ち合わせ無しなんだから。余計な演説入れんなよな。いつ動くべきか、ヒヤヒヤしたぜ」

 やれやれ、といった様子で兵は兜をとった。その顔を見て、シルクは眼を丸くする。


「アゼル、君、そこにいたのかい?」

「気づいてなかったのか!? おまえ、どんだけ緊張してんだよ」


 アゼルは再び上ってこようとした兵士目掛けて兜を投げつける。見事に兵士の顔面に当たって、彼はバランスを崩して転がり落ちていった。


「まったく、入れ替わるのに苦労したってのに。ほら、他のやつも動き出したから、とっとと逃げるぞ」


 今度は着ていた鎧を兵士に投げつけながら、アゼルは前を指差す。彼の背後では戦闘が始まったのか、大きな声が上がっていた。

「彼らは大丈夫かい?」

「下手な芝居までして炙り出した連中だろ、信用しろって」


 先日、シルクとアゼルは意見が食い違っている様子をわざと仲間に見せた。その後、一人ひとりの意思を確認したシルクは協力者を見定めていた。

 自分を信頼してくれていて、かつ現在の軍の体制に少なからず不満を持っている者。そして、今後「裏切り者」というレッテルを貼られることになっても影響が少ない者を。そういった人物を見出したシルクは一言、「アゼルについて行け」とだけ伝えた。

 シルクにとって意外だったのは、今後も変わらずに従ってくれそうな者が多かったことだ。ここまでシルクの指揮下で戦ってきた彼らは、シルクの能力と人柄を心から信用していた。もし、彼がいなかったら命すらなかっただろうと思っている者もいたのだ。


 一部、家族の関係で難しい者は所属を外して何も伝えずに逃したが、十分な戦力を確保することができた。その後はアゼルの仕事だ。

 シルクとケンカ別れを装って自由に動き出したアゼルは、ダーボン城から追加された部隊に自身も含めて何名か仲間を紛れ込ませた。自分のように生き残ることに特化した泥臭い連中だ。

 そんな彼らがアゼルのように、守護兵を混乱させているのが現状である。虚をついて、その後騒ぎに紛れて雲隠れする算段である。卑怯だと言われようが、そもそも離反するわけだから手段は選んでいられない。


 他の仲間は今頃逃げ道を確保してくれているはずだ。


 集まっていた民衆がおろおろと動き回っている。その外側にいた兵士が思うように動けていない様子に、アゼルは思案する。

「で、どうする。予定通りだと、町人犠牲にしそうだけど」

 険しい視線の彼に対して、シルクの表情は柔らかくなっている。アゼルが近くにいたことで緊張感が緩和されたようだ。

「それなら大丈夫だよ」

「ん……おおっ」


 シルクが大丈夫だといった瞬間、護衛の兵士達に動きが生まれる。それはシルク達に向かわず、背後の圧力に対抗しようとしていた。

 それはリチィオを助けようと周囲に陣取っていた反乱兵だった。彼らも、シルクの行動に合わせて突撃していた。

(お、ありゃ筋肉女)

 そこには、かつて戦場でアゼルと対したミィナの姿もある。自慢の槍を振り回して、文字通り兵士を叩き潰していた。


「おまえ、急に長話始めたのってあいつらの動きを制するためか」

「あとは注目を集めるためだね。ほら、まだ近くに民の姿がある」


 処刑台の下にまだ野次馬達が多くいた。逃げ遅れた彼らが、兵士達が動いてできた穴に一斉に流れ込もうとしている。

 アゼルは、ようやく処刑台に戻ってきた男をもう一度蹴飛ばして座ったままのリチィオに駆け寄った。


「おっさん、あんたも素直に座ったままでいずに逃げろよ」

「いやー、久々に歩いたから足が痛くなっちゃってね。腰も抜けてしまったようで立てない」

「……あんた、ホントにアルテの頭領か?」


 アゼルはリチィオを背負うと、シルクを見る。

 シルクは頷いて、処刑台から飛び降りて駆け出す民衆の流れにわざと飲み込まれる。アゼルもそれに続いた。


 リチィオはあくまでも自分のペースを崩さずに、アゼルの耳元に話しかける。

「ああ、そうそう。私が運良く助かったら使おうと思ってた抜け道があるんだが、使うかね」

「おっさん、それ早く言えよっ。シルク、先に行っちゃっただろうがっ!」


 もうすでに姿が消えかかっていたシルクに追いつこうとアゼルは足を早めた。



 こうして、シルクは反乱軍、もとい解放軍に合流することとなる。


 北部軍士官シルクとその部隊の離反。

 この出来事が北部の小さな反乱に終わるはずだった戦いを、王国全土を揺るがす「革命戦争」へと昇華させた 分岐点になったと、後々語り継がれることになるのであった。

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