第23話 決断

 空は蒼く、どこまでも澄み切っていた。


(兄弟よ、今から私も楽園に行くからな)


 リチィオは遠く、幼い頃から慣れ親しんだ景色を見つめている。岩肌が露出した荒々しい山に、今は亡き兄、ボルドーの姿を思う。

 仲違いをした時もあったが、最後は自分を認めてくれた。そんな彼に報いる働きを自分はできたのだろうか、とリチィオは自答する。


(う~ん、未練を残す気は無かったんだけど。さすがに)


 とはいえ、自分がいなくなっても大丈夫だ、との確信もある。

 リチィオの胸に残るのは、多少の未練とやるだけのことをやってきたという自負。博打だった箇所も、様々な偶然が重なり、彼の思った以上の成果を得ることができた。その偶然も、引き寄せたものではあるが、ここまで集まってくれたら上出来だ。


(あとは、油断せずに着実に。そうすれば、解放は近い)


 アルテの誇りを取り戻すための戦い。その勝利に向けて、道を作ることはできた。自分の仲間であれば、後はきっちりと仕事をしてくれるだろう。


(それでも、未練があるとすれば)


 不確定要素が、残っていること。リチィオはちらりと、横目に銀髪の少年を見やる。

 二人の護衛を引き連れて、リチィオと共に処刑台に上っている彼の存在こそ、一番の不確定要素だ。


 視線を、すぐに前に戻してリチィオは眼前を見据える。


(なるほど。私の最期さいごの地に、ここを選んだのはいい判断だ)


 野次馬達が集まっている。その表情は様々であるが、哀れなリチィオに同情している者はいても、横暴な王国兵に怒りを見せている者はここにはいない。

 肌の色、風俗。それらを眺めてみると、北部の民族色は薄い。皆無と言って良い。それだけでも、この地に住んでいるのはヴェレリア中央からの入植者達が中心なことがわかる。


(やはり、あまり私の策は浸透していなかったようだね)


 リチィオが反乱の準備段階としてしかけたのは、治安の悪化だ。その地に住む者には苦労をかけることになるが、これも王国に対しての不平不満を高めるには必要な策であった。その後、その地に革命の種をまく算段である。

 汚い手段ではある。しかし、被支配者の心をまとめるには必要なものだった。事実、他の地では蜂起の際、アルテ以外の諸民族だけでなく、協力を申し出た入植者達の集落すらある。


(しかし、ここはうまくいかなかった)


 この地だけは色々と策を弄しろうしても、遅々として進まなかったことを思い出す。今から思えば、シルクが中心となって警備にあたっていた場所だ。


(気づかれないよう、気をつけていたんだがね)


 おそらく、その時には確信は持てなくとも、すでにリチィオ達反乱軍の影をシルクは感じていたのだろう。起こったことを個別に対処して後手後手に回っていた他の地区とは違い、シルク達はその中でいくつかあるうちの今後の起点となる事件を狙って全力で潰しつぶしてきた。恐ろしい勘の良さだ。事実、リチィオが放り込んだ火種は大きくなる前に鎮火されてしまった。

 結果、反乱軍に積極的に味方しようとする民衆をこの地に作り出せなかった。リチィオからすれば、軍を動かすには非常に動きづらい地となっていたのだ。


(ここなら、仲間達の動きも鈍る。よく考えたなぁ)


 北部軍のやり方、もとい、シルクの策を素直に評価するリチィオ。まるで他人事のような思考である。

 どんな窮地でも平常と同じ精神状態でいれることが一つの強みで、それが大きな敵と対峙する時に役立っていた。しかし、だからこそ、今自分ができることがないことを悟ってしまうのだ。


(まぁ、それでも私達の優位は動かないが)


 木でできた手枷で動きを封じられた状態で、今更悪あがきをするつもりはない。できるだけのことはした。あとは、残す仲間を信じるだけだ。


「前に出ろ」

 兵士に促されるまま、リチィオは処刑台の首置き場の前に自身の首を差し出した。潔いいさぎよい、何の迷いもない所作だ。


 そんな心持ちだっただからだろうか、それとは対照的な彼の雰囲気に心を揺さぶられたのは。


(おや?)

 まだ顔を動かすことを許されているリチィオは、横に立ったシルクの表情を見て眉根を寄せた。


 彼を支配しているのは、迷いだ。

 息も荒い。あの雨の中、敵の将であるリチィオに対して、冷静に投降を促してきた彼とは思えない。今まで恐ろしさすら感じていた鋭い視線に、リチィオは恐ろしさすら覚えた者だ。


 瞳が挙動不審にいったりきたり。おそらく手に多量の汗もかいているだろう。ここまで感情を表に出すシルクをリチィオは初めてみた。


(可愛いところもあるじゃないか)


 敵将として対している時には気づかなかったことが、今の観念した境地で眺めてみるとよく分かる。彼も自分の娘と同じく年相応の子どもな部分が残っている、そう感じた。


 シルクは剣を、顔の前に真っ直ぐに立てる。まるで、鏡のように磨き抜かれた剣身が彼の顔を映し出した。

(まず、私を抑えつけないと斬れないよ。それでは)

 緊張で手順を間違えたのか、とリチィオは余計な心配をしてしまう。


 もしかしたら、手元が狂って上手く首が落ちないかもしれない。死ぬのは怖くないが、死に損なうのは怖い。

 痛いのは嫌だなぁ、とリチィオは思わず笑みを浮かべていた。


「はぁ」


 シルクは大きく息を吐くと、民衆の前に向き直る。それこそ手順にない。周囲の兵士の、動きには出さない戸惑いがリチィオにも伝わってくる。


「私の名はシルク。シルク・アルビス」

 何をする気か、皆の注目を集めたシルクはその剣を天に掲げて叫んだ。

 

「先代アルビス公爵、ヘンリ・アルビスの長子にして現アルビス公爵ハイリの甥。シルク・アルビスだ」


 アルビス侯爵の名がシルクから告白されると、一気に動揺が広がった。入植者達にとって、その名はなじみ深いものだ。ここに来て日が浅くない者達ですら、その名に覚えがある。


(……アルビス?)

 珍しい家名とは、リチィオも思っていた。しかし、まさか、そのアルビスと繋がるとは、さすがに分からなかった。

 それぐらい、アルビス公爵の名は重いものなのだ。


 アルビス公爵家。


 ヴェレリア王国の南部に領地を持つ辺境貴族であり、かつて建国の王ヴァレオと共に幻遊戦争を戦い抜いた騎士の末裔まつえいである。ヴェレリア王国の権力下にありながら、歴代国王の良き友として王国を支えてきた血脈。

 アルビス公爵領はティエール諸王連合シュターゼと独自に同盟を組み、南方の国境を守護してきた。先の公爵ヘンリの代では、ティエールの内乱の際、ヴェレリア王国の反対を押し切ってシュターゼの支援に回った。その尽力も虚しく、シュターゼは滅亡したと聞くが、その勇猛ぶりは貴族とは思えない戦いぶりだったと同じティエールのトルテからリチィオも聞いている。


 そんな出自の彼が、なぜこんな僻地に軍人としているのか。皆が、シルクの次の言葉を待っていた。


 ざわめきが落ち着いた頃、シルクは再び話し出す。


「父が亡くなり、公爵の地位は叔父が継いだ。私に継承権はほとんどない。軽くなった身で考えたのは、この国の行く末だ」


 シルクはちらりとリチィオの位置を確認して、目を前に向けたまま一歩半ほど後ろに下がる。その行動を、シルクに注目している人間達は誰も気づかなかった。それぐらい、さりげない動きだった。


「色々と噂は聞こえてくる。王国の端で聞こえてくるぐらいだ。実際はどれだけ愚かしいことが起こっているのか、想像するだけで辛かった」


 シルクは、そこで一瞬辛そうな表情を見せた。しかし、一回目を閉じて、見開いた後は強い意志のこもった瞳に戻っていた。


「私は皆が幸せに過ごせる国にしたかった。そんなのは、もちろん理想だ。私にそんな力がないことは分かっている。でも、本当にそうか。力が無い、と諦めていいことか」


 シルクの背後で、複数の人間が動く気配がする。ダーボン城からの増援部隊だ。急に始まったシルクの演説に、どうすればいいか分からないといった様子である。

 シルクはろくに彼らと話をしていない。ただ、反乱軍が攻めてきたら交戦しろと言われているだけでは当然の反応だ。もともと命令に忠実、の一点だけでオットマーから信頼された者達だ。今、何をしたらいいのか、彼等は分かっていない


「だから、まずは自分の力を試したかった。士官学校に入ったのは、それが理由だ。そして、この北部を任地に希望した。ここが最も自分の理想と遠い土地、最も現実に近い土地。まずは、現状を確かめなければ理想も語れない」


 ふぅ、と一息ついたシルクはリチィオに前に屈めと顎で促した。リチィオは含みを持った笑みを見せつつ、大人しく彼に従う。

 シルクは剣を振り上げる。リチィオの表情は変わらない。


(いや、これは面白い)


 シルクの移動した位置。そこから剣を振り下ろしては、リチィオの首に当たらない。シルクは何をする気か、ある程度想像はできる。年甲斐もなくリチィオはわくわくしていた。


「最初は努力すればなんとかなる、と考えていた。でも、そんな単純じゃないんだ。この反乱だって、彼を殺したところで何も変わらない。きっと、王国は同じ過ちあやまちを繰り返す。それこそ、何度でも」


 シルクの左手にいる兵士がわずかに動揺する。王国への反逆ともとられない言葉を、どう処理すればいいか分からないのだ。

 ここで、シルクを抑え込む気力があれば、まだ事態も変わっていた。しかし、それもシルクの計算ずくでの行動。


「だから、はもう一度選ぶ!」

 シルクは、これまでの人生と決別する決断を下す。


 シルクは剣を振り下ろした。繊細な手首の動きで、リチィオの手枷だけを見事に叩き切る。そのまま、背面に向けて剣を構えて睨みつけた。その視線は、はるか先にいる国王に向けて突き刺さっていた。


「僕は、アルビスの名をここに捨てる。王国のために振るってきたこの剣は、今から王国に向ける。この剣を下ろすのは、この地に理想が根付いた時だけだ」


 シルクの覚悟。それは、護ろうと思っていた王国に対して、本当に護るべき人のために告げる宣戦布告。


「僕を止めたければ、今ここで斬り伏せてみろ!」

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