第16話 革命の狼煙

 ヴェレリア王国北部地区、タルテ地域。


 住民から犯罪の報告が相次いで上がっていたが故に、シルク達ここにが派遣された。ここ最近、組織化された動きを感じ取っていた地元の民が軍に要求を出したのだ。

 先住の民族以外は、中央からやってきた移住の民だ。彼らの機嫌を損ねれば、北部平定の基盤が揺らぐことになる。


(それは理解できてるよ、それはね)

 北部軍の駐屯地に構えられた拠点。その一室で、シルクは報告の書類に目を通していた。

 いつも通り、穏やかで涼やかな表情である。その眉間に、しわは一本もない。


「ふわぁ」


 そんな彼の様子を何の気なしに眺めていたアゼルは大きくあくびをした。

(うちの大将はほんと、働き者なこと)

 彼は別にこの部屋にいる理由はない。他の兵士達と違って、狭いながらも個室が与えられている。そして、シルクからもアゼルは比較的、自由な立場で行動できるようにしてもらっているのだ。

 アゼルの力が必要な時は来る。そんな有事の為に体を休めることも彼の仕事なのだが、気が向いたのか、シルクと同室の隅に陣取っていた。


 もし、シルクが手伝ってくれと言われたら動けるようにしておこう。言ってはこないだろうが。

 そんな風に考えていたアゼルの眉がピクリと動いた。

「おや?」

 そして、思案顔を浮かべたのは束の間、アゼルは勢いよく立ち上がるとシルクに近づいた。


「ん?」

 アゼルが隣に立った。そのことに気づいて、シルクは視線をあげる。そこにあるアゼルの顔はにやにやとしまりがない。


 何があったか、そうシルクが思うと同時にアゼルは核心を突く一言を呟いた。

 

「荒れてるなー、シルク」

「……分かる?」

 シルクの目がじとっとしたものに変化する。苛立ちをずっと隠していたのだが、もう限界である。気の置けない相手を前に感情を隠し続けることができるほど、シルクは薄情な人間ではない。


「分かったが、珍しいな。そんなに分かりやすく機嫌を損ねているのは」

「これでも隠してたんだけどね」


 感情を表に出さない。指揮官として必要な技術だ。もちろん、シルクはそれにも長けている。

 しかし、そんな表に出てこないシルクの感情の機微きびをアゼルは感じ取っていたらしい。


「結局、オットマーには話を聞いてもらえなかったんだな?」

 続けて、シルクの怒りの源泉をばっちりと当ててくるアゼルであった。

 

「ご明察」

 確かにアゼルには事情を話していた。当ててくるのも当然か、とシルクは肩をすくめる。


 シルクの答えと同時にくっ、と喉がなる音がする。アゼルが笑いをこらえていた。

「何がおもしろいの?」

 シルクは分かりやすく不機嫌になるが、それがさらにアゼルの笑いを誘う。もう我慢しきれない、そんな様子で声を出して笑った後、アゼルは面白そうに座っているシルクを見下ろす。


「いや、何もかもがおもしろい」


 シルクが、こんな年相応の表情を見せるのがアゼルにはおかしくてたまらない。今の立場と状況だと、それこそアゼルの前でしかシルクが見せることのできない表情だ。

 士官学校の時ですら、あまりシルクの子どもっぽい部分は見たことがない。それぐらい気を許してくれていることが、アゼルには嬉しかった。


「まぁ、予想通りだな。おまえだって、あの偏屈野郎が言うこと聞くなんて思っちゃいなんだろう?」

 そんな素直なシルクに合わせて、普段はちゃんと敬意を払っているオットマーに悪態をつくアゼル。彼は彼で、オットマーの指示には納得できない部分が多かったのだ。


「そうだね」

 アゼルにはすでに話してある。シルクが感じた違和感と、そこから生じる最悪のシナリオについて。

「それにしても、少しは危機感を持ってもいいんじゃないか?」

 姿勢を崩したシルクは唇を尖らせていた。


 シルクも自分自身の予測に過ぎないから強く言えなかった分、不満が溜まってしまっている。全力で説得を尽くしたあとでなら納得できるものの、不完全燃焼で終わっているのだ。

 こうしたら良かったか、ああ言えば伝わったか。シルクは自信への反省も含めて、気分が落ち込んでいるのである。


「言ったろ、でっかい奴はちっこい奴の視界をなかなか想像できないんだって」

 アゼルはシルクと問答を交わしたときのことを思い出す。


 確か、シルクの最初の一言はこうだ。


――君が、もし戦力差のある相手に勝たなければいけないと思ったらどうする?


 それに対してアゼルは答えた。


――仲間集めるか、相手の戦力を削るかなぁ。それこそ、生き残る為には手段を選ばすに。


 さすが、自分より戦場をしっている者だとシルクは頷いた。

 アゼルの答えはシルクにとって的を射たものだった。シルクの表情は暗かった。そして、彼は己の懸念をアゼルに語ったのだった。


 曰く、最近の治安の悪化は北部軍の無力さを知らしめるために反攻勢力が意図的に起こしているものではないのだろうか、と。


 物盗り、強襲。民衆への被害も確かにある。しかし、シルクはこう感じ取った。そんな軽犯罪を隠れ蓑に、軍の施設を襲っているのではなかろうか。あくまでも狙うのは金品にしぼり、全てが野盗の犯行と思い込ませているから、確信を持てない。

 そして、「なんで王国はこれぐらい対処できないんだ」という思いをヴェレリア王国中央からの入植者に植え付けている。そういった、好意的な勢力からの支持の低下を考えるとシルクは足下が揺らぐ思いになるのだ。


「なまじ成功体験があるからな。今度も叩き潰せると思ってるんじゃないか」

 成功体験。オットマーは幾度となく反乱を鎮圧している。そもそも反乱が起こってはいけないというのがシルクの思いだが、オットマーはそうは思っていない。過去にあったアルテ族の武装蜂起も一夜で沈黙させた。


 そして、先のエンブル砦防衛戦。初めて後手に回ったが、傷は浅かった。被害が少なかったのはシルクの機転によるものが大きいのだが、オットマーはその事実を見ないようにしている。

 

「うん、僕も大丈夫だとは思ってる。どれだけ反乱が大規模になってもね」


 同じような反乱が起きても、いや、それよりも大きなものがあったとしても北部軍が崩れることはないだろう。それは、シルクも同様の認識である。

 客観的に見て、そこに疑いはない。どれだけアルテ族が勇猛であろうと、彼らの戦力は多く見積もっても脅威とはならない。不意打ちにだけ気をつけていれば、と思うのだがシルクは安心できない。


「でも……僕はこう思うんだ」

 シルクは一層険しい顔になって、アゼルと向き合った。

「問題は、そこじゃない」


 シルクの懸念は、エンブル砦防衛戦以降感じる直感的なものに由来する。

「全ての件に、誰かの意志を感じる。それがどんなものか分からない。それでも……」

 だから、確信は持てない。できれば自由に動いて探ってみたいほどに真相が見えてこない。


 それでも分かるところがある。一連の事件が、全て同じ人物の意志に紐付けられていると仮定したのなら。それは、これまでの反抗とは一線を画す事態になってくる。


「彼等は本気なんだ」

 本気で、ヴェレリア王国を敵に回そうとしている。それが、一番の問題なのだとシルクは考えていた。


「ああ、そういう」

 アゼルにも思い当たる部分がある。


 ヴェレリア王国の不当な占拠は許せない、同族の誇りを汚すものには裁きの鉄槌を、北部軍は我々の土地から出ていくべきだ、などなど。

 これまでの反乱は精神的なものが起因だ。その大半が無茶な特攻に帰結する。


 当事者の怒りはよく分かるものの、本気で勝利を目指しているとは思えない。恐らく、先の見通しがないのだ。

 死したとしても、名誉が守られるのなら。そういった戦士の気持ちをアゼルは分かるものの、実際に命を捨ててしまうことには否定的だ。

(死んだら、そこまでじゃないか)

 その想いを、受け継ぐ誰かに重しとなって背負わせる。それは、アゼルには許せないことだ。


 しかし、今回の騒動が本当に反攻勢力によるものであれば、これまでと勝手が違うのだ。シルクの指摘には頷くしかない。

「マジで『革命』でも起こそうってか」

 アゼルは冗談のような口調でその言葉を発した。


「『革命』、か」

 その言葉はアゼルが予期した以上に、シルクの心に突き刺さる。


 革命、色々な意味で大それた言葉だ。


 現勢力を打ち倒し、完全に世の中をひっくり返す。そんなことはできるわけがない。そう理性が告げてくるのだが、同時に感じてしまうのだ。


 その覚悟を。本気で世の中をひっくり返してやろうという野心を。


「だとしても、やれることは変わらないけど」

 だったら、その企みを潰せるところから潰していくだけだ。その間に、背後に見え隠れするものがはっきりと見えてくるだろう。

 とにかく、情報が足りなかった。

 

「だな。とりあえず、じみ~な見回りでも行ってこようか」


 地味、という言葉にオットマーの嫌味をシルクは思い出す。シルクは小さく嘆息した。

「お願いするよ。メンバーの選定も頼めるかい?」

 おう、と右手を挙げてアゼルは駆け足で出ていった。


 シルクはアゼルの背中を見送った後、一人になった部屋で天井を見上げた。


 思い出すのは、自ら手に掛けたアルテの敵将。名をオルドーと言った。


――では、俺も、俺の道をくとしよう。


 彼は生きていれば、どんな道を辿るつもりだったのか。それはシルクとは相容れぬ道だった故に衝突した。

 それでも、考えてしまうのだ。オルドーの思いがどれほどものであったかと。


 そこまで王国に敵意を持っている者の思いは正直、シルクには分からない。王国の枠組みの中で、自分のできることを最大限行おうと考えているシルクにはオルドーの進みたかった道が理解できない。


(それでも)


 ただ、そこまでしても叶えたいものがあるのだろう。それは分かってしまう。


 シルクも一度は枠組みを捨てた身だ。だからこそ、他の者は気づかない、彼等の本気を読み取れてしまう。


(それでも)


 堂々巡りになりそうな思考を中断してシルクは立ち上がる。そして、ぐっと背筋を伸ばした後に己の手を見つめた。


「僕は、僕にできることをするだけだ」

 決意を言葉にしても、揺らぎを感じる。それは迷いか、戸惑いか。それを全て握りしめる決意を持ってシルクは拳を作る。


 ただ、どれだけ決意しようと。自身が歩く道は過酷なものになるのだろうという予感がシルクを支配しているのだった。

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