第ニ章 己が信じる道の果てには
第15話 英雄の相
エンブル砦の奇跡。
あまりにも一方的な戦況、それをあまりにも見事な手口でひっくり返したシルク達の功績を後の人はこう賞賛するのであった。
某日、アルテ族を中心とした反逆者達が北部地区平定の祭典に招かれた
反乱軍の策は功を奏し、このような非常事態にあって北部軍の対応は後手に回った。エンブル砦で対峙した実際の戦力の差は大きく、襲撃は成功するかに思われた。
しかし、配属されたばかりで所属の決まっていなかった北部軍の士官候補生、シルク・アルビスの存在が双方にとって予想外の事態を引き起こす。彼の機転によって状況は王国側へと好転。ついには反乱側の首謀者が討ち取られたことにより、反乱は無事に鎮圧されたのであった。
その後に予定通りに行われた祭典では多数の部隊が警護にあたっていた。どこから漏れたのか、参加した民衆は口々に反乱について口にしている。
重々しい空気で行われたが、王国の威信にかけた祭典は無事に成功した。
――シルク様は、こちらにいらっしゃらないのですか?
あらかじめ用意されていた原稿通りに挨拶をしていたレスティーナが、そこに記されていなかったシルクの名を出した。それを聞いた皆はどう思っただろうか。
まだ見習い兵にすぎない少年の名を王族が親しげに呼ぶ。その事実に、人々は新たな英雄の誕生を予感した。これが、シルクという名前が公に出た初めての出来事となる。
その後、この事態を重く見たヴェレリア王国は反逆者への断罪と事態の完全な収拾を北部軍に命じることとなる。命じられた北部軍も、自分達の面子を守るため、躍起になり各地を奔走した。
しかし、首謀者であるオルドーはすでにこの世におらず、反乱に加わった多くの者が流れ者であることが判明。アルテ族も、オルドーの一派以外は北部軍の監視する場所から動いていなかった。
時間は止まることなく流れ続ける。それなのに、未だ事件の全貌を王国はつかめずにいるのだった。
そう、王国はつかめていない。
王国に対する不満の種が、この戦をきっかけに大きく成長し、北部の地で実になろうとしていることを。そして、その実が爆ぜるのも間近だということを。
しかし、勘づいている者も王国にいた。
事件の後、北部軍の正式な士官に任じられ、この地の平穏を求めて奔走するシルク。彼の目には、変わっていないように見える北部の大地に確かな違和感が映っているのであった。
ダーボン城の奥へとシルクは歩く。
基本的に荒々しい作りで飾り気とは無縁な城内にあって、この辺は比較的華美である。執務用にとしつらえられた部屋を有する空間だから当然のこと。威厳を保つには、空間の整備も大事である。
ある部屋の前で立ち止まる。あまり表情を変えないシルクであったが、少しだけ眉を寄せていた。ふぅ、と一息つくと彼は意を決したように口を開く。
「失礼します」
そしてドアをノックしてから、部屋の中に入るのであった。
「ふん、来たか」
その部屋にはシルクを呼び出した人物が、険しい顔で座っていた。
オットマー・ホルスラフ。ヴェレリア王国北部軍の司令官であり、実質最高責任者だ。
「北部軍士官、遊撃隊長シルク・アルビス。参りました」
形式張った挨拶をすると、オットマーはさらに険しい顔つきになってシルクを睨む。
(今日も変わらず、か)
この人はいつもこれだ、とシルクは表情を変えずに心中で嘆息する。自分を士官に命じた時も、嫌々ながらというのが表情に出ていたことをシルクは思い出す。
正式な指揮系統から外れる遊撃隊などという有事の際にしか置かれない部隊を、わざわざ常設させているのもそこを指揮するシルクを直接自分の下に置きたいからだ。自由にやらせてもらえるか、と思いきやオットマー自らの命令に縛られている。
遊撃、など名ばかりだ。これなら間に他の士官を置いてくれた方が、
シルクのオットマーに対する評価は、良くも悪くも正直な人、というところだ。中央での権力争いに負けたのも納得ができる。足の引っ張り合いは苦手な部類だろう。その点は好感が持てるので、理不尽な扱いもシルクは我慢できていた。
逆に、そういった態度がシルクから余裕を感じる要因なのだろう。そんな彼を見て、オットマーの苛立ちは募る。
オットマーはシルクのことを知ってから個人的にずっと気に入らないと思っているが、現状は彼を使わざるを得ない。事実、基本的にはやる気の無い部下達の中で精力的に働くシルクは現在無くてはならない存在だ。
「ふん」
オットマーはシルクの冷ややかな視線を受け流して、鼻を鳴らした。
(どうせ、おまえも私のこと見下しているんだろう)
シルクを隊長として正式に任ずるにあたり、オットマーは彼の素性を知ることとなった。所見でシルクの態度から自身の好みでない空気を感じ取っていたが、その情報がオットマーの被害妄想に拍車を掛けている。
「ご苦労である」
シルクという人物はつくづく、オットマーのコンプレックスを刺激する。しかし、あくまでも上官として威厳を保ちつつシルクに向き合っていた。
「おまえの活躍は聞いている。反乱の鎮圧、まことに見事であった」
芝居がかった言い回しで、オットマーはシルクを称える。
昨日、現体制への不満を持つ者達による小規模な戦闘があった。最近、ヴェレリア北部ではこうした小さな争いが絶えない。その都度、シルクを始めとした若い軍人がそれに対処していた。
小規模、とはいえ火種は燃え広がると恐ろしい。シルクとその部隊は迅速に動き、敵の本拠地を無力化する戦術で、これから起こりうる甚大な被害を最小限に抑えたのであった。
「恐れ入ります」
本人は隠しているつもりだろうが、オットマーの中に燻る嫉妬の炎が見え隠れする。シルクは気づいていながらも、平静を装ってその言葉に応えた。
「まぁ、それはいい」
不本意ながらも賞賛することになったが、オットマーがシルクを呼び出したのはそれが目的ではない。あくまでも事務的に、オットマーは次の指令をシルクに告げる。
「タルテ地区の兵舎から治安悪化の報告が入った。おまえにはそこの警護を命じる。すぐに部隊を整えて、そこに迎え」
「むっ」
その命令に、涼やかだったシルクの顔は初めて曇った。
オットマーはその変化に気づき、誰の目にも分かりやすく鼻で笑った。シルクの弱点を見つけたと思ったのであろう、いつもよりも威圧的に話し始める。
「なんだ、その目は。治安維持も軍人の立派な勤めであろう。それともなにか。おまえは、先の戦闘のような派手な仕事しかしたくないのか。えり好みできる立場ではなかろう」
オットマーは意気揚々と演説調で話し始める。こうなると、話は長い。
(……しまったな)
シルクは自分の失態を反省する。シルクは今一度、自分の気を引き締め直す。
そんな彼に向けて栓の外れた水瓶のように、とうとうとオットマーからシルクをなじる言葉があふれ出る。シルクはただただ、降ってくる中傷の雨に耐えていた。
「殿下に名を覚えられたからと言って調子に乗っているのか」
しばらく待っていれば、いつものお決まりの言葉だ。どうやら相当、オットマーはエンブル砦の一件がこたえているらしく、念を押すようにシルクに告げてくる。
シルクは先の防衛戦の手腕を王妹殿下、レスティーナから直々に
それでもシルクは固辞した。騎士の位、そんなものは彼にとって何の意味もないのだから。
しかし、オットマーはその件をとてつもなく深く根に持っている。中央に帰りたいと常に思っているオットマーにとって、その提案自体が相当魅力的なものである。それを断るシルクのことが信じられなかった。オットマーは自分の認識を外れる怪物にすら、シルクを思えた。
それに加えて、オットマーはエンブル砦の戦闘によってシルクに助けられた立場だ。大事になれば自身の首の行方が危うくなっていただろう。その首、は職務のことだけではない。実際に命を絶たれていたとオットマーは思う。
そんなシルクに対する負い目と、彼の底知れない能力に対する恐怖心が、オットマーのシルクへの態度となって
「おまえなど、結局は一士官に過ぎぬのだ。私の言うことを聞いていればいい。分かったな」
「いえ、その件については承知しました。すぐに向かいます」
シルクは姿勢を正して礼をすると、踵を返して入り口へ向かう。その潔い姿に、オットマーは奥歯を噛み締めた。
「どうした、不満があるなら言えばいいじゃないか」
オットマーの挑みかかる言葉に、シルクは足を止める。しばし、思案すると小さく嘆息した。
「でしたら、一つ。この一件とは関係がないのですが……いえ、大局的には大いに関係があります。聞いていただくべきですね」
シルクは振り返り、オットマーに向き直る。その視線は涼やかにオットマーを射抜く。
まるで、眼前の者を値踏みするかのような瞳で、立場が上なはずのオットマーは居心地の悪さを感じる。
「私が何度も奏上したお願いは読んでいただけてないようで、残念です。もし、お気づきではなかったとしたら今、この場ではっきりと申し上げましょう」
シルクの嘆願、オットマーは読んではいたが重要度が低いと判断して廃棄していた。個人的な感情も影響を及ぼし、内容も詳しくは覚えていない。
「最近、治安の悪化が目立ちます。野盗、物取り、放火……。比較的、大きな事態になってから我々が動いています。今回のタルテ地区も、すでに大規模な略奪が軍関係の施設で起こってからの報告でしょう。正直、色々と『遅い』のではないかと」
「何だ、町の自警団に任せているような事件まで私達が対処しろとでも言うのか」
オットマーはシルクの迫力に負けぬように威圧的に言い返す。そんな彼に、シルクは言葉の調子を一切変えずに話を続けた。
「そこまでは言いませんが……。それぞれを個別の案件と見ず、大きな視点で考えなければいけないのではないかと。局地的な対策ではなく、大局的な観点での対処をしなければならないとご忠告してきました」
「それをおまえがやりたい、とでも言うのか。思い上がりもいい加減にしろ」
ああ、まただ。すぐに話を終わらせようとする。そんなことは言っていない。その苛立ちが、分かりやすくシルクの視線を鋭くさせる。
どこまで、この人の目は曇っているのだろうか、と。
各地で起こる勃発的な事件。確かに自分が対処したいと思ったことだが、それを指揮する者は誰でもいい。オットマーが直接指示を出すのなら、それに越したことはないのだ。
(しかし、そんなあやふやな仕事を誰がする?)
しかし、シルクも確信を持った考えではないからオットマーにはふんわりとしか進言できないのがシルクはもどかしい。
「おまえが言っていることくらい、すでに手は打っている。おまえはおまえの仕事をすればいい。分かったな?」
まだ何か言いたいことは残っていた。しかし、この場でどれだけ言おうが意味は無いだろう。
シルクは黙って一礼する。そして、オットマーに背を向けると、そのまま部屋を退出していった。
「あれで、無能であればすぐに追い出すものを」
一人残ったオットマーは右手側に置いてある書を目にする。
それはエンブル砦防衛戦以来、シルクのことを諦めきれないレスティーナの命令を受けて動く騎士からの手紙。
その騎士は、シルクを自陣営に招くことには否定的なのだろう。決して、強くは推してこない。それでもオットマーに手紙をよこすのは、レスティーナの機嫌を損ねないためのパフォーマンスの意味合いが強い。
オットマーが目にするのは、その手紙に書かれたある一文。そこには、その騎士がオットマーの野心を見抜いた上での忠告が書かれている。
『貴殿がシルク殿を新たな手駒として考えるのならば、それで良い。だが、ゆめゆめ油断なされるな。シルク殿には英雄の相が見える。気づけば、貴殿が彼に仕えている未来が訪れていることだろう』
その予測、あながち間違ってもいないと思えてしまうからこそオットマーはシルクに苛立つのである。
「生意気な。良いか、おまえは私の部下だ。他の誰でもない、私の道具なんだ」
オットマーはぶつぶつと呟く。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
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